島村英紀が撮った新シリーズ「道」

(もともとは35mmフルサイズの写真ですので、ピントもコントラストもずっといいのですが、画像を軽くするために圧縮してあるので、お見苦しいのはご容赦ください)


1-1:ノルウェーの北極圏内の町ボードー(Bodo)から北へ至る道

ノルウェーの西海岸(大西洋岸)は、険しい山地とフィヨルドで寸断されている。ときには、目の前の部落に行くのに、フィヨルド沿いに何時間も回り道をしなければならなかったり、フェリーボートを待たなければならないことも多い。

この道も、前方左に見える山は対岸で、この道をあと10kmほど行ったところで、ごく小型のフェリーでフィヨルドを横断しないと行けない。つまり、この道は、間もなく、行き止まりになる。

対岸には小さな村がある。いわば、その村だけのための道とフェリーなのである。もちろん、交通量は、ごく少ない。9kmほどの長さのトンネルで、対向車に一台も会わないことも珍しくはない。

なお、ノルウェーの田舎の道の速度制限は90km/hである。これはヨーロッパでは一般的な速度だ。なお、ノルウェーやアイスランドでは、日中もヘッドライトをつけるのが義務になっている。日本から輸出した車も、エンジンをかけると自動的にヘッドライトが点灯するようになっている。


撮影したのは6月末だったが、さすが北極圏。まだ山には雪が残っている。

(撮影したのは2003年6月。撮影機材は Nikon F80S、フィルムはコダクロームKR)


1-2:ノルウェーの行き止まりの道。グレートフィヨルド。

ノルウェーの西海岸(大西洋岸)の北極圏内の町・トロムソからさらに北へ行ったところに、この集落がある。後ろは険しい山、前はフィヨルドの美しい村だ。

画面左から入ってきた道は、この部落、日陰に入っている何軒かの家のところで行き止まりになる。ノルウェーには、このような道が少なくない。

トロムソに行くバスは、朝、トロムソまで行き、午後帰ってきて、夜をここで過ごす。つまり運転手は、この村の人なのである。このバスは郵便や新聞や、ちょっとした荷物も運ぶ、多目的バスだ。後部に荷物室がついている。

トロムソTromsoはBodoより北の北緯70度(*)にある。北極圏内では世界最大の都市で、人口は約35000ほどである。昔は北極探検、いまは北極研究のための最後の補給基地である。町には探検家、ナンセンとアムンゼンの銅像が建っている。

(撮影したのは1988年7月。撮影機材はOlympus OM4、フィルムはコダクロームKR)


1-3:ノルウェーの中部の町ベルゲンから東の山へ入る道

ノルウェーの西海岸はフィヨルドとそのまわりにある険しい山で寸断されている。

ノルウェー第二の都会、ベルゲンでも、車で1時間ほど郊外に出ると、このような山に入る道がある。 たった一本の道が山に入り、小さな集落で終点になる。

しかし、このくらいの道でも舗装してあるのは、やはり豊かな国なのだろう。

なお、ベルゲンは北緯62度。ブナの北限である。

(撮影したのは1989年8月。撮影機材は Olympus OM4-Ti。フィルムはコダクロームKR)


1-4:ノルウェーの北極圏内の町トロムソ(Tromso)から北へ至る道

ノルウェーの南北を縦貫する幹線道路(国道E8)は、このTromsoからさらに北へ延びている。町をはずれるとすぐに、息をのむような風景が広がっている。

道ばたに立っている赤い柱は冬の期間の除雪車のための目印である。

撮影したのは9月末。平地には紅葉、山には新雪がまぶしい。

険しい地形のなかを唯一通した道だけに、道ばたには無粋な電信柱が並んでいるのはやむを得まい。しかし、ほとんどが水力発電で、原発に頼らなくてすむノルウェーはうらやましい。

(撮影機材は Olympus OM4-Ti。フィルムはコダクロームKR)

*) アラスカの南岸やカムチャッカ半島の根元はともに北緯60度しかない。またカムチャッカ半島の先端は北緯51度。南に目を転じれば、南極の昭和基地の緯度は南緯69度である。ちなみに、私(島村英紀)が行ったいちばん北は北緯79度(スピッツベルゲン)である。


1-5:ノルウェーの北極圏内の町トロムソ(Tromso)から西のKvaloy島へ至る道

ノルウェーでは都市部以外では車の制限速度は90km/hである。この速度は、人間には快適だが、道を渡ろうとする動物にとっては、とても危険な速度でもある。

このため、運転者に注意を促すための道路標識が各地に立っている。それ自体は、もちろん悪いことではない。

もちろん私は、この標識の150m先と800m先に、どんな地形的な、あるいは植生の特徴があるのか、たとえば川や崖や野原があるのか、観察してみた。しかし、そのどちらも、このような林が続いているだけであった。

トナカイは、この標識から149m先にも、また801m先にも、いないということになっている。 それゆえ、ノルウェーのトナカイたちは、この数字が読めて、「遵守」しているに違いない。

北極圏内だけに、道端の白樺は、日本で言えばダケカンバになっている。捻れて細い、高山対応の姿になっているのである。

(撮影機材は Olympus OM4Ti。フィルムはコダクロームKR)


2-1:アイスランドの北端に近いフーサビック郊外を走るアイスランド周回道路

人口27万人の小国、アイスランドでは、首都レイキャビックとその周辺はともかく、ほとんどの道は舗装していない砂利道だ。川を渡る道にも橋がないことが多い。つまり、車は注意しながら川底を渡ることになる。

アイスランドほ北岸一帯は切り立った険しい崖が続く。これは約10000年前に厚く載っていた氷河の「重し」がとれたために島が隆起したせいだ。この崖は海鳥の楽園になっていて、夥しい海鳥が住み着いて子育てをしている。

このため、アイスランド、なかでも北部の海岸に近い道には、このような海鳥注意の看板が多い。看板に書いてある字にも、鳥が3羽、とまっているのが分かるだろうか。

(撮影機材は Olympus OM4Ti。フィルムはコダクロームKR)

(このほかのアイスランドの写真はこちらへ)


2-2:アイスランドの「普通の」ガソリンスタンド

人口27万人の小国、アイスランドでは、国を走る国道には、もちろんガソリンスタンドがある。しかし、その間隔は100kmもあることが珍しくはない。

これは典型的なガソリンスタンド。考えてみれば、ここにはガソリンスタンドとして、必要なすべてがある。ガソリンと軽油のポンプ。昼間も暗い冬の極夜や夜のための照明。ガソリンの銘柄を示すスタンドの看板。さて、これ以上のなにが必要なのだろう?

後方に見えるのはアイスランド特有の盾状火山。氷河の下にマグマが噴出したときにできる、特有の形をした平頂火山である。

(撮影機材は Olympus OM2N。フィルムはコダクロームKR)


2-3:アイスランドの「普通の」道

首都を少しはずれると、アイスランドの「普通の」道が走っている。火山礫をならしただけの非舗装路が山や氷河を縫いながら走っている。

大西洋中央海嶺から噴き出した溶岩が固まった玄武岩、その後に少しずつ生えてきたコケ、夏も、もちろん消えない氷河。この写真にはアイスランドのほとんどすべてが写っている。

(撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR。1990年7月に撮影)


2-4:アイスランドの「悪路」-1

私の作った水晶発振式精密地下水温計という観測器を設置するために、JADという観測点に向かっているところ。

このような悪路になると、一人が石ころ(というよりも岩)を見ながら車を誘導し、一方、運転手は窓から身体を乗り出して、タイヤがどこを走っているか正確に把握する必要がある。一瞬の間違いで車が転覆することも、あるいはオイルパンなど車の重要部品を破損して走れなくなることもあるからだ。

車の上に高くそびえているのは長距離無線のアンテナ。アイスランドでは車が動けなくなったり助けを呼ぶためには必須のものが無線機なのである。

遠景の山の峰と峰を結んでいるのは雲ではなくて、巨大な氷河。

(撮影機材は Olympus OM2N。フィルムはコダクロームKR。1982年9月)


2-5:アイスランドの「悪路」-2

アイスランドでは、ちょっと町から外れると、橋がないところで川を渡る道はどこにでもある。

もちろん、川を渡るときには、細心の注意と高度の運転技術が必要だ。

よほど知っている場所以外だと、まず、歩いて川を渡ってみる。深さや底の凸凹を調べ、凹所には石を置いていくのである。

そして車が渡るときには、4つのタイヤがどこの石に乗っているのか、ちゃんと把握しながら、水中では決して止まらずに、しかし、這うようにゆっくり通り抜ける。

以前、アイスランドでは日本人の地質学者が車ごと川に流されて3人がなくなったことがある。その川が渡れる状態にあるかどうかの判断を誤ったもの、と言われている。往きにはなんのこともなく渡れた川が、帰りには増水していたのであった。

同じ日に、英国人の車も別のところで死んだ。 不幸な事件だったが、アイスランド人は誰も死ななかった。地元の人たちは、いつ渡っていいのか、いけないのかを知っていたのである。

中央奥手に石を積んだケルンが見える。 これは、ここで川が渡れる、という目印である。

(撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR。1990年8月)


3-1:フランス北東部、ドイツ国境に近い田舎道

欧州の平野部には、このような並木の道がよくある。ここはフランス北東部 Mulhouse 近くで、ドイツに近いところ。

かつて何度も戦禍に見舞われて、同じ土地なのに、ドイツとフランス、二つの国の間で帰属を繰り返して翻弄されたところとは思えない、いまは平和な景色が続いている。この歴史的な経緯から、この辺の人はドイツ語もフランス語も流暢に操る人が多い。

ところで、フランスの田舎道には3車線のところがある。真ん中の車線は両側から追い越しに使っていい。眼と勘が良くないともちろん危険だが、建設費は4車線よりはずっと安い。フランスらしい合理主義なのである。

1975年9月に撮影した。収穫期の小麦畑が拡がっている。手前の水色の車はイタリア製のフィアット125。外形寸法の割に中が広く、よくできた大衆車だ。

フィアットはこの頃から、一世を風靡したRR(後部エンジン・後輪駆動)をやめてFF(前部エンジン・前輪駆動)に変わっていっている。その先は、あらゆる先例に囚われずに作った前衛的な名車シトロエンDS19

撮影機材はOlympus OM1。フィルムはコダクロームKR)


3-2:ドイツ北西部Worpswedeの田舎道

これも欧州の平野部の並木の道。ドイツの北西部、北海の海岸まで車で約1時間のところにある芸術家が集まっている村、ワープスウェーデの村の中を通っているメインストリートである。なお、この村から車で南に1時間ほど行ったところには、ハンザ同盟以来の都市、ブレーメンがある。
パリ郊外のバルビゾンのように、この村には19世紀末ごろから、多くの画家や詩人などの芸術家が集まった。画家としてはHeinrich Vogeler, Otto Modersohn, Paula Modersohn-Becker, Clara Rilke Westhoff、Hans am Ende らが有名である。画家が目立つが、たしかに、ここならば、画材はいくらでもある。また、詩人として著名なRainer Maria Rilkeもいた。

幸い、バルビゾンのように有名ではないので、ここを訪れる観光客のほとんどはドイツ人で、しかもその数は限られている。もちろん、日本の観光地のように、混むことはない。

こういった道をゆっくり歩きながら、芸術家たちがなにを感じたのか、 を考えることが出来る環境が残っていることは羨ましい。2004年7月に撮った。

右側に止まっているのはメルセデスのコンパクトシリーズ、C。メルセデスは「最高か、無か」というドイツ的で、一方で気障なモットーを掲げていたが、コンパクトシリーズの最初であった190シリーズはともかく、その後のCやEのシリーズは、生産コストの切りつめや、見かけだけのギミックなど、まったく並みの、安っぽい車に成り下がってしまった。

もっとも、この道には、車よりも馬車が似合う。

(撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。122mm相当、F2.8、1/60s)


3-3:大西洋の真ん中にあるアゾレス諸島・ポンタデルガタの石畳の道

欧州ではどこにでもありそうな、古い町にある石畳の道。欧州の車のサスペンションは、必ず、こういった石畳の道を快適に走破することを考えて設計されている 。

しかし、このポルトガル領アゾレス諸島での石畳の道は、他と違う。それは、プレートが生まれている大西洋中央海嶺から海面上に突き出した島であるアゾレス諸島には、マグマが固まった火山岩しかないからだ。

つまり、島にある岩は、どれも真っ黒で、ほとんどが玄武岩である。このため、アゾレス諸島では、大理石や石灰岩のような白い石を、わざわざ、ヨーロッパ本土から運んできている。道に「描かれた」道路標識や縁石の白いものがペンキではなくて、こうして運んできた白い石を一個一個、埋め込んであるのが分かるだろう。

アゾレス諸島は9つの島からなるが、ここはサン・ミゲル島、島の人口が10万という、アゾレス諸島ではもっとも人口の多い島で、その首都ポンタデルガタには約5万人が住む。

しかし、アゾレス諸島の島同士は、長野県の各市町村や、あるいは四国各県のように、官庁や学校を取り合うなど、お互いに張り合っている。つまり、他の島では、ここを首都と認めたがらないのである。

アゾレス諸島で撮ったこのほかの写真は

(撮影機材はOlympus OM4。フィルムはコダクロームKR)


3-4:欧州の石畳の道の作り方

ところで、欧州にはよくある、この石畳の道は、どうやって作られるものか、ご存知だろうか。

舗装道路が、大型の専用機械で、あっという間に作られていくのと正反対に、この石畳の道は、何百年も続いてきた、手作業で作られている。いわば、手作りの道なのである。

写真では見えにくいが、まず、細い糸を張り、その糸に沿って、砂の上に、石を並べて、ハンマーで削ったり、割ったりしながら、丁寧に組み上げていく。つまり、日本の城の石垣の組み方と同じなのである。

時間も手間もかかる作業だ。しかし、こうしていったん組み上がった石畳は、驚くほど頑丈で、年月に耐えるのである。

1992年。ポルトガル領アゾレス諸島の首都、ポンタデルガタで。

撮影機材は Olympus OM4。レンズは Tamron 35-80mm zoom。フィルムはコダクロームKR


3-5:地中海に面した南フランス、ツーロンの市街地の小路

午後の短い時間だけ日が射し込む、欧州の小路。それでも、そのわずかな陽をねらって、窓から洗濯物が突き出されている。

この狭い道で、どれだけのドラマが繰り返されたのだろう。少なくとも200年以上、変わっていない道のたたずまいだ。

わずか数十年前の小路さえもがすべて姿を消してしまって、あわてて観光客のために底の浅い復元をしている日本とは大違いである。

しかし、夜の景色は昔とちがう。いまは、明るいオレンジ色のナトリウムランプが、それなりの風情をかもし出しているのである。

通っているのは三輪車のデュカティ。この小路によく似合う。いや、似合うというより、この車しか通れない幅の道なのである。

撮影機材は Olympus OM-2。レンズは Tamron 35-80mm zoom。フィルムはコダクロームKR


3-6:オランダ・アムステルダム。いつの日か、悲劇が起きる道

オランダの国土の1/4は海面下で、多くの土地は、干拓によって人工的に作られた土地だ。それゆえ、もともと陸地でなかった「弱み」が、地下には潜んでいる。

アムステルダムも、決して大陸の強固な地盤の上に立っている都会ではない。町の中は縦横無尽に運河が流れ、窓を開けたらすぐ下は水、という建物が多い。

その建物が、また、石造りで重い建物ときているうえに、欧州の伝統として、100年や200年前の家に住み続けるのは、ごく普通なことである。

そうすると、なにが起きるのだろう。フランスのパリのように、地下が強固な岩で、その岩を切り出して6階建てくらいの中層ビルを建てていったところとはちがって、ここオランダでは、ときとして、建物が、その重みのために地面の中に沈んでいくとしても不思議ではない。

この、観光客がひしめく小路に、いずれ、悲劇が起きる日が来る、というのは有能な予言者でなくても、容易に想像できることなのである。

(1991年、オランダ・アムステルダム駅近くの市街地で。撮影機材はOlympus OM4Ti、レンズはTamron Zoom 28-70mmF3.5-4.5。フィルムはコダクロームKR)


4-1:イランの砂漠の道。水平線の彼方まで続いている。

イラン中部のケルマンから南部のメハンへ至る国道。走っても走っても、景色はほとんど変わらない。手前から続く道は、うねりながら遠くの山の左の山麓にある水平線のかなたに消えている。車でも退屈するほどだから、ラクダの隊商にとっては、とても長い道だったろう。

砂漠にはいろいろなものがあり、このあたりでは、まばらに草が生えている。街道沿いにはオアシスが点々とあり、そこでは椰子の木が茂っていて、緑が多い。

1977年6月、イラン沖のアラビア海に招かれて海底地震観測をしたときに撮影した。気温は優に40℃を超えていた。じつは、この国道から何十キロも入った誰も通らない道で、乗っていた車(ランドローバー)が故障した。自分で直せなければ私たちはひからびて死んでいたかも知れない。

(撮影機材は Olympus OM2。フィルムはコダクロームKR)


5-1:パプアニューギニア・ラバウルの「道路標識」

ラバウルでは、車の通れる道から、いくつもの脇道が分かれている。そのそれぞれは、ある部落へ行く道だったり、海岸に達する道だったり、バナナの畑に行く道だったりする。

そのそれぞれの脇道は、まるで獣道(けものみち)のように、ごく細い。わずかに草が寝ているから、道と知れる程度の道が普通だ。

その脇道へ入るための「道路標識」は、道路脇の草を、特別な束ね方をすることによって、「指示」している。丸の中の草が縛られているのが分かるだろうか。

では、夜はどうするのだろう。じつは、この国の人々は、私には真っ暗で、なにも見えないところでも、十分に見えているらしいのである。

(1996年11月に撮影。撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR)


5-2:オーストラリア東部、シドニーとキャンベラの中間地点付近の道。山火事危険度の警報パネルがあちこちにあって、人々に警告している。

1988年6月、真冬の道で、草は枯れている。今日の警報は「緑」だが、5段階で赤まである。メーターの指示は自動ではなく、手動に違いない。

車は「ルー・バー」という、強い鉄の棒でラジエターやヘッドライトなどの前面を保護している。写真の車、ルノーも大げさなルー・バーを付けている。「ルー」はカンガルーの「ルー」のことである。

カンガルーなど野生動物にぶつかって運転者が死傷する事故が絶えないためだというが、そもそも、人間が野生動物の領域に入ってきて生活を始めたのだから、動物たちにとっては迷惑な話に違いない。そもそも、欧州からの渡来人が持ち込んだ家畜や犬に大被害を受けて絶滅に至ったオーストラリア土着の動物も多い。

(撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR)

6-1:北海道・阿寒横断道路から雄阿寒を望む

後方は雄阿寒岳。 1979年2月に撮影した。

山は真冬の景色だが、たまには快晴のこともある。 しかし、この好天も半日しか続かなかった。吹雪のときはこの道路は、よく交通途絶する。

(撮影機材は Olympus OM2。フィルムはコダクロームKR)


6-2:北海道・阿寒横断道路からオンネトーへの道

後方は雌阿寒岳。活火山であり、現在、山頂近くの表面温度は600℃を超えているので、注意が必要な火山である。

2002年10月に撮影した。山はすでに新雪に覆われている。

(撮影機材は Nikon F100)


6-3:秋の日高山脈の林道

夕張岳の西の山腹の林道。紅葉がいちばん美しい季節が終わろうとしている。葉が落ちるのを待ちかねたように雪が来る。 秋の最後の一日。

(撮影機材はOlympus OM2。1978年9月。フィルムはフジクローム)


6-4:秋の北海道大学構内(13条道路の銀杏並木))

緑。黄。赤。紅葉がいちばん美しい季節を迎えた。

(撮影機材はKyocera T-zoom。2003年10月18日)


6-5:2004年秋の北海道大学構内(ポプラ並木の台風被害)

2004年9月8日の日中、台風18号が札幌を襲い、瞬間最大風速50.2m/sを記録した。

このために、北大構内や植物園は古い巨木がたくさん倒れ、大被害を生んだ。正門から理学部までの道も、倒木のために、しばらくの期間、通れなかったほどである。

これは有名なポプラ並木。両側のポプラの間を歩く道は、ご覧の通りの惨状になってしまった。 数少ない救いは、上の写真の銀杏は、無傷で残ったことである。根の深さが違iい、幹の強さも違うのであろうか。

(撮影機材はPanasonic DMC-FZ10。2004年9月に撮影。レンズは44mm相当、F4.0, 1/200s。露出補正は-0.66EV)


7-1:北海道・十勝管内豊頃町大津の道(2003年十勝沖地震の被害)

2003年9月26日、2003年十勝沖地震が北海道を襲った。海底にあった震源に近く、十勝川の河口にあって地盤が軟らかかった豊頃町では、地震の揺れによって大規模な液状化が生じた。

町内の道は、あちこちで舗装面が割れたり崩壊したりしたほか、下水道のマンホールも液状化で持ち上げられてしまった。地下に埋めてある水道管も大きな被害を受けた。舗装道路もあちこちで崩壊したり、ひび割れた。

(撮影機材はKyocera T-zoom。地震の翌日に撮影)

(この写真は島村英紀著『公認「地震予知」を疑う』の第3章の扉103頁に使っています)


7-2:北海道・十勝管内豊頃町の道(2003年十勝沖地震の被害)

2003年十勝沖地震が北海道を襲った。十勝川の河口にあって地盤が軟らかかった豊頃町では、地震の揺れによって、町に出入りする道脇にある多数の電柱が傾いてしまった。

(撮影機材はKyocera T-zoom。地震の翌日に撮影)


7-3:北海道・2000年3月に噴火した有珠火山・西山の道

2000年3月31日、有珠火山は23年ぶりに噴火した。有珠火山は噴火するたびに火口が変わるが、今回は西側の山腹、西山であった。国道230号線に西山噴火口が生じて、付近は約70メートルも隆起した。

この被害を伝えるために、壊れた家や菓子工場や道路が保存されて公開されている。

(撮影機材はNikon F80。撮影したのは2003年10月)


7-4:北海道・1977年8月に噴火した有珠火山による地殻変動

前回は1977年8月に有珠火山が噴火した。このときは札幌でもかなりの火山灰が降った。火山活動に伴う地殻変動はすぐ麓の洞爺湖温泉町で、3階建てのアパートを激しく変形させて住めなくしてしまった。

また、写真に見られるように、もともとまっすぐだった国道230号線(札幌から函館に向かう幹線道路)をゆっくりと、しかし一車線分も食い違わせてしまった。 変化はごくゆっくりしたもので、この幅を動くのに4年7ヶ月かかった。道路の両側の建物も大変な被害を受けた。
噴火後20年近くたった1995年4月にも、道は右の写真のように、そのままだった。現在でも道のズレはそのまま残っている。断層運動は、横ズレだけではなくて、手前側が盛り上がった運動もあったことが、この写真から見て取れるだろう。

しかし、2000年3月の再度の有珠火山の噴火は、この写真の右手で起きた。

道路標識に見られる右折して太平洋岸に抜ける道の上に新しい噴火口が出来て、この道からは右折できなくなってしまった。

(左上の写真の撮影機材はOlympus OM2。右の写真はOlympus OM4。フィルムはともにコダクローム)



8-1:パリの道・朝市が終わったあと

「道」は人が作るものだ。自然の中にある道だけではなくて、都会こそ「道」の本場である。

フランス・パリでは、市内のあちこちで、曜日を決めて朝市が開かれる。食料品の市が多いが、衣料品や日用雑貨のほか、古道具や骨董品も売っていることが珍しくはない。

たいていの朝市は昼過ぎに終わる。人々は手際よくテントの屋根を畳み、道にあるテントの支柱用の穴からテントの足を引き抜き、今日の売り上げを懐に去る。

あとに残されるのは、このような風景である。売れ残ったものや傷んだもの、レタスやキャベツの外側の葉、それらを入れた箱が散乱していて足の踏み場もない。

しかし、これはこれで「文化」なのである。この残ったものを目当てに集まってくる貧しい人たちも多い(注)し、その「作業」が一段落したころ、毒々しい緑色をしたパリ清掃局の車と職員が来て、綺麗に片づけて掃き清めていく。

写真はパリ・バスチーユの朝市で。

(撮影機材は Olympus OM4Ti。フィルムはコダクロームKR。2002年2月に撮影)

(注:パリの衣料問屋街でも、ゴミの袋を開けて漁る人たちが多い。もっとも、これはフランスに限らず、アルゼンチンのブエノスアイレスでも、郊外から夕方やってきて、夜っぴてゴミを漁って、金目になるものを集めている人たちが多い。これはアルゼンチンの経済崩壊以前にはなかった光景である。)


8-2:パリジャン、パリジェンヌにとってのパリの道とは

パリほどの混雑した大都会で、道に車がどこにでも停まっているところは少ないだろう。

パリジャンやパリジェンヌは、都会に出かけるとき、あるいは都会に住みながら、ごく日常的に車を使う。

しかし、大都会だけに、車をとめられる場所は多くはない。彼らは、じつに根気よく、同じ道をぐるぐる回りながら、駐車している車が出ていくのを待つ。

そして、1台分でも空いたら、道の右側だろうと左側だろうと、また、それが横断歩道の上だろうと、なんの躊躇もなく、突っ込んでいって車をとめる。それが普通の流儀なのだ。

このためには、明らかに、小さい車のほうが有利だ。このため、写真の中央を走っているスリーボックス型セダンであるタクシーのプジョー505よりはずっと小さなツーボックスのハッチバックが、もっぱら愛用されているのである。

しかし、この駐車方法にも、まったく「仁義」がないわけではない。悪名高い大阪の御堂筋のような二重駐車や三重駐車で、「先人」が出られなくなるような下劣なことはしない。写真に見られるように、横断歩道も、人がかろうじて通れるだけは、残されているのだ。

一方通行の道がふたつ、Y字型に合わさるところでの「無法」駐車は、芸術的でさえある。それぞれの一方通行から出てくる車はなんのこともなく通れる、しかし、それ以外のスペースを、見事に、小さな車が埋めつくしているのである。

つまり、彼らにとってのパリの道とは、駐車料金を払わず、かといって他人に「多大の」迷惑もおよぼさないで、みんなで使うべき公共財産なのである。

写真はカルチェラタン。パリ・モーベットマチュアリテの駅近くで。

(撮影機材は Olympus OM2。レンズはタムロン zoom 28-70mm F3.4-5.6、フィルムはコダクロームKR。1984年3月に撮影)

9-1:(鉄道も「道」のひとつでしょうから)1918年にオランダで発行された日本地図に載っている北海道の鉄道

アムステルダムの蚤の市で買ったオランダの古い世界地図(ハードカバーで 25 x 40 cm ある地図帳)から。当時のオランダの情勢を反映して、インドネシア(オランダ領だった)の方が、日本よりもはるかに大きく詳しい地図になっている。

この地図で見ると、函館本線は札幌から函館までは通じていなかったように見える。函館〜小樽 Otaroena と室蘭〜札幌〜稚内が別々の線になっている。また、札幌〜稚内から別れて旭川〜根室 Nemoero の根室本線がある。

しかし、実際には1904年に函館〜小樽〜札幌が開通しており、一方、釧路 Koeshiro 〜根室が開通したのはこの地図の発行より後の1921年、旭川〜稚内が開通したのは1922年であるなど、多くの間違いがある。

なお、北海道は「エゾ Jesso」と書かれている。宗谷海峡は Laperouse 海峡、津軽海峡は Tsoegar 海峡である。石狩は Isjikari とあるのはオランダ語らしい表記である。


9-2:鉄道がなくなってしまった道東・津別の駅

北海道の鉄道は、1970年代をピークに、減り始めた。いまは、見る影もない。残っている路線も、すべて赤字路線だ。

これは道東の津別の駅(上の地図で、NemoeroのNの字の左肩くらいにある)。かつては周辺の林業の中心地として栄えた。1986年4月に撮影。あちこちに雪が残っていて、まだ新緑には遠い。

汽車が走らなくなり、やがてレールも撤去されると、町や村は一挙に寂しくなる。 「金目」になる電線も外されて、電信柱だけが空しく立ち並んでいる。

国鉄の民営化とは、なんだったのかを思う。結局は国鉄を食い物にしたあげくに、国の借金を増やして、鉄道で働いていた多くの人に職を失わせただけのことなのではなかったのだろうか。

(撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR)

10-1:「世界でもっとも南の道」の行き止まり

南米アルゼンチンの南端にフェゴ島がある。マゼラン海峡より南がフェゴ島になっていて、この島は西側がチリ、東側がアルゼンチンで分け合っている。マゼランが世界一周航海をしたときに、この海峡から火が見えたというので、火の島(Tierra del Fuego)と名付けられた。

アルゼンチンは南北に長い国で、面積は日本の7倍ある。首都ブエノスアイレスからこのフェゴ島まで南下する最長の国道が、国道3号線。その終点がこのフェゴ島・ラパタイアにある。南緯55度。南極を除けば、地球上で、ここより南に陸はない。

この標識は、その国道の終わりを示している。ブエノスアイレスから3063km、アラスカからは17848kmとある。
主要国道とはいえ、決していい道ではない。とくにフェゴ島に入ってからは、舗装していないどころか、ガードレールもない山際のぬかるみの道が続く。運転にはごく気を遣う道である。

ちなみに、ここから南極大陸までは、わずか1000km、東京と札幌の距離しかない。

しかし、悪いことばかりではない。交通量が少なく、村や町がほとんどないこの国道を夜、走るときは、南十字星をはじめ、降るような星や銀河が眺められるからだ。ちなみに、南十字星の十字架を3倍伸ばしたところが真南になる。



この標識から、しかし約200mほど歩道が続いていて、そこが世界の道の「南の果て」になる。そこからは、目の前のビーグル海峡が望める。対岸は険しい雪山が続く。高さはそれほど高くはない。アイスランド北岸の岩山と同じく、立派な見かけのわりには2000mを超えない。しかし、登るのは極めて難しい山が多い。

ビーグル海峡は(進化論のチャールズ・ダーウィンも乗った)ビーグル号航海記のビーグルにちなんで名付けられた。ダーウィンは1831年、ビーグル号に乗り、5年間かかって世界一周の航海を行った。出発したのは22歳のときであった。

じつは、パタゴニアがこんなに晴れて風もない日は、めったにない。海も、白波のひとつも見えずに、このように凪ぐことは、ごく珍しい。げんに、この写真を撮った日の夜は、風が一日中うなって、電線も建物も、この世のものとは思われないような音を立て続けた。

このほかのパタゴニアの写真はこちらへ。

(撮影機材はPanasonic DMC-FZ10。ともに2004年9月に撮影。右の写真は、レンズは167mm相当、F5.7, 1/800s
。露出補正は-0.66EV)

11-1:浮いたガードレール(メキシコシティ)

中南米最大の都市であるメキシコシティは、まわりをポポカテペドル火山などの山に囲まれた盆地にあるうえ、高度が高く、酸素濃度が薄いのでエンジンが完全燃焼しにくく、世界の都市の中でも、もっとも大気汚染がひどいと言われている。

もっとも最近は6ヶ月毎の排気ガス点検が義務づけられたが、まだ、古い車も多く、実効が上がっていない。

米国資本に駄目にされたために鉄道がほとんどない都市だから、写真に見られるように、渋滞も日常的なものだ。

そのための腐食のせいかどうか、ベニートファレス国際空港の近くの道のガードレールは、ご覧のように錆びて、コンクリートの土台から見事に浮き上がっている。この一本だけではなくて、この前後のどれも、同じような症状を呈している。

もっとも、このように危なげなガードレールのほうが、運転に慎重になるのかもしれない。ラテンの国らしい運転を諫める(いさめる)ための慎重な配慮かも知れないのである。


(撮影機材はPanasonic DMC-FZ10。2004年9月に撮影。レンズは85mm相当、F4.5, 1/250s)

12-1:車輪に咲く氷の花

北海道の春先には、車の車輪に花が咲く。

路面の温度が氷点以上で、空気が氷点以下のために、このように、車に跳ね上げられた水のしぶきが次々についていって、まるで
鍾乳洞の石筍のように、放射状に成長するのである。

写真は阿寒横断道路で。


(撮影機材は Olympus OM4。フィルムはコダクロームKR。1987年3月に撮影)


島村英紀が撮った「道」の写真はこちらにもあります。



(時間を見ながら、この頁を、少しずつ充実していきます)

島村英紀が撮った「海の風景」
島村英紀が撮った海底地震計の現場
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島村英紀のホームページ・本文目次へ
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