留萌市民文化誌『波灯』第14号、2001年5月30日発行。連載その6。原文に一部加筆)

世界でいちばん危ない国

 世界でいちばん危ない国はどこだろう。

 私には、その国がどこかはわからない。しかし、いちばんではないにしても、それに近い国には暮らしたことがある。

第1節:外務省から来た注意書き

 私がその国を訪れる前、日本の外務省から次のような「注意書き」が届けられた。これはその国への旅行者一般に配っているものだから、私だけが特別扱いされたわけではない。

 外務省の注意書きには二つの種類がある。「渡航自粛勧告」と「注意喚起」である。名前の通り、「渡航自粛勧告」のほうが強い。

 私が受け取ったのは弱い方、つまり「注意喚起」であった。外務省が日本人に注意したために観光客ががた減りになったり、その国のイメージが地に堕ちてしまったりすることは十分に考えられるから、外務省もそれなりに相手国に気を遣って、内容や表現をおとなしくしているはずだ。

 しかし、それにしても、弱い方とはいえ、なかなかのものであった。これが「渡航」を「自粛させる勧告」ではないとは、とうてい思えない。無味乾燥なお役所風の文章だが、そこには、いまの日本とはまったく違う国の世相が浮かび上がってくる。

 「最新情報。同国政府は、最近の国内治安悪化に鑑み、昨年11月8日から全国レベルで、午後9時から翌朝午前5時までの間、外出禁止令を施行しています。

 この時間帯における外出を避けられるようご注意下さい。なお、上記時間帯に許可なく外出した場合は、罰金xxまたは懲役一年の罰則が課されるとのことです。」

 「概況。同国の一般犯罪は、独立後最悪の状況です。とくに都市部では昼夜を問わず窃盗、強盗などが多発し、最近では、従来の組織的かつ計画的な強盗集団に加え、経済状況の悪化から、生活困窮者単独による家宅侵入、窃盗が日常茶飯事に発生しています。

 手口も自動小銃などの武器を所持した集団による反抗など、殺人事件に発展する凶悪犯罪が増加しています。とくに強盗事件の場合、理由もなく危害を加える場合が多いようです。

 このため銀行、郵便局、民間企業事務所の受付窓口は特殊強化ガラスを使用するなど、武装集団に対する防御対策を実施しています。(以下略)」

 日本は世界の中心でも、平均でもない。日本の事情が世界のどこでも通用すると思ったら間違いだ。夜半過ぎに、プロではない若い女性がミニスカートを翻しながら堂々と町を歩いている札幌の薄野のような繁華街がある国を、私は他に見たことがない。かといって、事前にこれほどの注意を受ける国というのも、私にとっては、初めてだった。

 どんな国に行くときにも、日本とは国情が違うのだから、それなりの注意や用意が必要なのは当たり前だ。生水を飲んでいけない国も、寄生虫やアメーバがいるために、どんな一流ホテルや一流レストランでもサラダを食べないほうがいい国もある。

 いろいろな国に行って仕事をしないと商売にならない私にとっては、どの国に行く前にも、情報を集めて準備するのは、ごく普通のことだった。

 しかし、この「注意喚起」だけは別格だった。いままでに見たこともない注意である。これでは準備のしようもない。

 いささか恐ろしいが、一方で、いったいどんな国なのか、そこでは何が起きているのか、この目で実際に見てみたい、という野次馬的な好奇心も湧いてきた。

第2節:撃たれたバス

 私がその国の首都の空港に着いたのは早朝だった。迎えの人が来てくれているということだったので、空港の建物から一人で外へ出ないように、という連絡が入っていた。

 長時間の飛行のあと、その国の空港の建物に入っただけでは、その国の空気を吸ったことにはならない。どの国でも、空港の建物の中の空気は、いかにも人工的な温度と湿度で制御された、空調が効いたものだからだ。

 こんなときには、普通なら、私は建物の外に出て、風を感じて気温や湿度や空気の味を自分で感じてみることを長年の習慣にしていた。今回のように、狭くて暗い夜行の飛行機の中に長時間閉じこめられたあとは、なおさらだった。そして、それではじめて、その国に第一歩を記した気持ちになれるのである。

 じつは船に乗るのも私の商売のひとつで、私はすでに地球を11回りしたほどの日数を船の上で過ごしている。私が若かったころは、帆船の時代に育った昔風の船長たちが、まだ現役で活躍していた時代だった。天気、海況、戦争、さまざまな危険をかいくぐってきたこれら昔の船長たちは、それぞれの人生の達人であり、その立ち居振る舞いには風格があり、すべてそれなりの意味があった。

 彼ら昔の船長は、朝起きると、必ず船長室から甲板に出て、風を感じ、空を見るものだった。これによって、船長は雲の種類と雲の高さと動きを読み、天気を占い、その日の行動を決めるのである。もちろん、いまの船長たちはめったにそんなことはしない。無線のファクシミリで送られてきた天気図を見るだけである。

 いつも昔の船長たちのそういった動作を思い出しながら、私はそれぞれの国での最初の空気を、こうして味わってきた。いまでもよく思い出すのは、私にとっての初めてのノルウェーや、初めてのアイスランドに着いて吸った空気の冷たさと快さだ。国ではないが、初めて着いた南極の空気も独特のものだった。

 しかし、この国に限っては、それをしてはいけない、と注意されていたのだ。例の「注意喚起」を読まされて覚悟はしていたが、私にとっては経験したことがない、なんとも不自由な異国への到着であった。

 迎えに来てくれた人とは初対面だったが、空港も安全なところではないらしく、挨拶もそこそこに、急いで迎えの車に乗ることになった。迎えられる客は私一人だというのに、バスが待っていた。なんだかものものしい。

 そのバスはまだ新しいものだったが、フロントガラスを見て私は目を剥いた。そこには、大きなひび割れが無惨に走っていたからだ。

 もっとも、車のガラスにひび割れがそもそも多い国に行ったことはある。たとえば北大西洋に浮かぶ絶海の孤島、アイスランドでは、ひび割れはよくあることだ。国中のほとんどの道が舗装されていないから、砂利道の石が跳ね上がった、よく起きる事件の結果なのである。

 アイスランドでは、割れたのがガラスたった一枚とはいえ、その交換用のガラスは、はるかヨーロッパや、ときには車の原産地である日本から運んでこなければならなかったから、ひびが入ったまま、何週間も走り続けることになるのが普通だった。

 そしてアイスランドでは、フロントガラスよりも、割れたらもっと厄介なヘッドライトのガラスは、別の工夫がしてあった。まるで日本の機動隊の車のように、それぞれの車に合わせてアイスランドで誂えた金網で覆われているのである。

 しかし、この国のガラスのひびは違った。つい二、三日前に、市内でこのバスが襲われて、銃で狙撃されたのだという。車を止めたら何をされるか分からないから、撃たれたまま、車を止めないで逃げ切った、その傷だったのだ。まるで西部劇の世界だ。

 つまり外務省の注意書き通り、この種のことは、この国では「日常茶飯事に」起きていることなのであった。銃弾ならば、バスのガラスでも車体でも、容易に貫通するだろう。たまたま運の悪い席に座っていたら、それきり、ということなのだ。背筋を寒いものが走る。

 空港からホテルまでは約30分ほどの道のりだった。窓から見ている限りでは、町には普通の生活があった。意外なことに、銃を構えた兵士の姿もなく、警官の姿さえほとんど見えない。いつも目の前にあって目障りなガラスのひび割れさえなければ、昼間の町は、買い物の人々が道を歩く、ごく平和ななりわいをしているように見えた。

 しかし、それが見かけにすぎないことは、しだいに私にも分かってくるのだった。

第3節:鉄条網に囲われたホテル

 ホテルは首都の町の中にあったが、ものものしい鉄条網を載せた二重の高い塀に囲まれていた。塀が切れているところにはいかめしい重い鉄の門があって、銃を持った警備の男が車と車内の人間を検問する。そしてはじめて、ゲートを開けて一台ずつ通してくれるのである。

 構内へ入ってしまえば、普通のホテルであった。水も湯も出る。レストランもバーもある。

 唯一違うことは、鉄条網と高い塀に囲われたホテルの敷地から一歩も出られないことであった。これでは、まるで強制収容所だ。

 つい百メートルほど先に兄弟分のホテルがあって、そこにはプールがある。私のホテルの客は誰でもそのプールを利用することができることになっていたのだが、そのホテルには歩いて行ってはいけないことになっていた。行くためには、わざわざ車を頼まなければならないのである。

 じつは、この百メートルの間に、つまり両方のホテルの目と鼻の先で襲われたとしても、ホテルの警備員は決して助けてくれない。警備員の契約はあくまでホテルの構内だけだし、ときには、警備員が強盗とぐるのことさえあるからである。

 私たち外国人は、町を歩いて買い物をしてもいけないと言われていた。もし、どうしても買い物がしたければ、ホテルの塀のような高い塀に囲まれた、つまり他の商店から隔離された、大きくて特別な商店にだけは行ける。

 しかしこれは普通の買い物とは言えないだろう。その塀の中に車を滑り込ませて、もちろん鉄の門を閉め、その車を待たせている間だけ、買い物をすることができるのである。

 この首都の町の中にある私たちの仕事場への往復も同じであった。

 私の本当の仕事はこの国の地方でやるフィールドワークなのだが、これから地方に行ってやるその日程や作業について、首都でまず打ち合わせが必要だったのである。

 ホテルからこの仕事場までの途中では、車から一歩も出られない。車から降りて町の写真を撮ることなどは、もってのほかである。

 地図を見ると、ホテルからそこまではそんな遠い距離ではない。しかし、ずいぶん時間がかかる。つまり私たちの車は、襲われそうな危ないところを避けて、遠回りしていたのだ。

 じつは、この国では、私たち外国人だけが狙われるのではない。この国の人の車も、よく狙われる。いつかは車でホテルを出てしばらく行ってから、ワゴン型の車のリアゲート(後部ドア)が半ドアになっていることに気がついた。

 普通ならば、道ばたにちょっと車を止めて、車を降りてリアゲートを閉め直すだろう。

 しかし、この国では違った。車を止めないまま、なんと、15分もかけて、出発地のホテルの構内まで戻って、ドアを閉め直したのだ。外国人である私が乗っていなくても同じことをしているのである。

 どこに誰が隠れているか分からない。隠れていなくても、通りがかりの誰が、車が止まったスキを見て、いつ、強盗に豹変するか分からない。
 この国では、道端で車を降りるたった数秒の間のスキさえ作ってはいけないのである。

第4節:大学構内で多発する殺人事件

 私が滞在していた間、この国の首都だけで、毎日40人ずつが殺されていた。命の値段がこれほど軽い国も少ないだろう。首都に限らず、地方でも同じような殺人事件が多発していた。

 この国にも大学がある。私が訪れた首都の町中にあった。大学だから、敷地は広く、構内には並木も林もある。しかし、それゆえ身を隠しやすいのだろうか、大学構内の殺人はこの国随一で、この数年で数十人が殺されたという。

 大学の構内にある職員住宅は三重の鉄条網に囲まれていた。私のホテルよりも、もっとものものしい。

 しかし、何重になっていたとしても、万全ということはない。入り込む気になれば、警備員を抱き込むことも、強行突破して押し入ることもできる。この職員住宅に住む職員たちも、何度となく、銃などの凶器を持った強盗に襲われていたのであった。

 一方、商店が軒を並べ、多くの人々が歩いている下町では、少なくとも昼間は、襲われる可能性がそれほどあるわけではない。私が空港からホテルまで通ってきた道が比較的平和に見えたのも、そういった下町だった。

 こんな危ない首都にも「観光地図」がある。町を訪れる外国人のために作られたものだが、もちろん、こんな危ない国に、観光客などが来てくれるわけはない。来てくれるのは、私のようにこの国に仕事があって、来なければならない人たちだけである。

 じつは、この国の航空会社が日本への直行便を開設したことがある。もちろん、日本人の観光客を期待してのことだ。ヨーロッパから輸入したばかりのエアバスという大きな機体の飛行機だったが、あまりの乗客の少なさに、たちまち直行便を取りやめてしまった。300人以上も乗れる大型機に客がたった9人、それも日本人はゼロといった惨憺たる日が続いたという。

 ところで、この「観光地図」には、外国人が近寄ってはいけない場所が何カ所も示されている。いままで外国人が襲われたり殺されたりした場所である。

 しかし、この指示がない場所ならば安全かというと、決してそんなことはない。

 げんに私たちが町のもっとも安全だという一角で昼食をとって、レストランから歩き出したときにも、いきなり銃声がして、壁際に身を潜めることになった。

 じつは私は、テレビや映画はともかく、本当の銃声を聞いたことがなかった。思っていたよりもずっと乾いた鋭い音が空気を切り裂いた。商店に押し入ろうとした強盗と警備員の撃ち合いが始まったのであった。この町には、いつでも安全だというところは、どこにもない。

 外国人に限らず、この国で車を運転するときには、特別な注意がいる。たとえば、倒れた木が道路をふさいでいることが、よくある。普通ならば、車を降りて、倒れた木を道端に寄せようとするだろう。

 しかし、この国では、そんなことをしてはいけない。木が倒れているところには、物陰にひっそりと隠れて、獲物を待っている強盗がいるのである。

 動物を捕るための罠を動物の獣道に仕掛けるように、車のドアを開けて出てきた人を襲うための罠として、わざと倒木が置いてあるのだ。

 最近は、道路に穴を掘って車を止める新手の手口もはやりだした、と新聞にあった。重い木や石を運んでこなくてすむから、一種の技術改良が行われたのであろう。

 だからこの国では、道がふさがっているのを見たら、それが倒木であれ大きな石であれ、すぐにUターンして、現場から立ち去らなければならない。どんなに遠くても回り道をしなければ、命の危険があるのである。

 この国には日本大使館がある。大使館で使っている車は日本製のジープ型の四輪駆動車だ。一見、日本でもたくさん走っている普通の車に見えるが、じつは、中身はまったく違うものだ。

 そもそも、車体の重さは日本で売っている同じ車の2倍もある。この車のガラスは、すべて厚い防弾ガラスであり、すべてのドアの中には、銃弾を通さないように分厚い鉄板が潜ませてあるからだ。

 もちろん、大使館といつでも連絡が取れるよう、強力な無線機を載せている。つまり、外観は普通の車の形をした装甲車なのである。

 しかし、私も、またこの国の人たちも、こんな特別注文の高価な車に乗れるわけではない。

第5節:八百もの言葉がある国

 この国で殺人や傷害が多いのはテロではない。つまり政治的な背景はない。宗教のいがみ合いでもない。

 では、なぜ、このように毎日多くの殺人や強盗が横行するのだろう。それを分かって貰うには、この国の歴史と成り立ちを、まずお話ししなければならない。

 それは私たちにとって貨幣経済とはなにか、いや、そもそも、文明とはなにかという問いを突きつけることになる。しかし、それを避けては、この国の状態を理解できないからである。

 この国には350万の人口がある。人口からいえば、北海道よりも少なく、国でいえば、ノルウェーより2割ほど少なく、ニュージーランドとほぼ同じだ。つまり、国としては、それほど大きな国ではない。

 しかし、ノルウェーやニュージーランドと違うことは、この国には言葉が800もあるということだ。関西弁、津軽弁、鹿児島弁といった、同じ言語の中の方言ではない。文法も文字も発音も、まったく違う、別々の言語が800もあるのである。

 話す人数が一番少ない言葉は、たった4人しか話せないものさえある。この言葉は、早晩死に絶える運命にあると思われている。

 この国の面積は日本よりひとまわり広い。だから人口密度としては日本よりずっと低い。

 日本と同じように島国である。しかし4000メートルを超える険しくて長い山脈が、背骨のように国を縦断している。

 山が険しいだけではなくて、大小さまざまな山の間を流れる川が、深い谷を削っている。つまり、この国には、平坦で広い土地はほとんどないのだ。

 この4000メートルの山脈は、一年中、雲に覆われていて山頂が見えない。海の湿気を含んだ空気が風に押されて山に登って行くと、水蒸気が雲になり、その雲が雨を降らせる。かって飛行機の性能がよくなかった時代には、この山を越えて向こう側へ行くのは難事であった。

 こういった地形のところだから、人々が住み着くことができたのは、険しい山の尾根と尾根とに囲まれた、谷川沿いの、猫の額のような土地が多かった。それぞれの村落は鬱蒼とした森に囲まれていて孤立していた。

 このような険しい地形の土地に住み着いた人々は、その村を出ないまま一生を終えるのが普通だった。

 この意味では、この国の事情はノルウェーの西部と似ている。海から陸地に向かって深く切り込んだフィヨルドと険しい山地に遮られて、ノルウェー西部の人たちも、つい数十年前までは、生まれた町や村で一生を終えることは珍しいことではなかった。結婚もすぐ近くの人とするのが普通だった。

 一方、首都のあるオスロなど、ノルウェーの東部では平らな地形が拡がっていて、人々は簡単に移動する。それゆえ、ノルウェーの西部と東部で、人々の生活ぶりも、気風も違ってきているのだ。

 ノルウェー西部では、それぞれの地域で、いまだに独自の文化や方言が残っている。たとえばノルウェー西岸にあるノルウェー第二の都会、ベルゲンでは、人々の名前(姓)を見たり、少し話をして発音を聞いただけで、その人が近郊のどのへんから来た人か、すぐに分かるほどだ。

 ノルウェーには大学が四つしかない。このベルゲンにも戦後大学ができたから、さすがに現在では山奥の村々から大学に来る学生も増えたし、各地の交易も、昔よりは増えた。

 しかし、いまでもノルウェーの人々に、日本では最大の都会と900キロほど北にある第五の大きさの都市との間に、300から560人乗りの大型ジェット機が二十分おきに飛んでいるほど人々が移動しているのだよ、といっても信じて貰えない。

 一方、この国は気温も雨の量も、幸い農業に適していたし、川や海には魚や貝が豊富だった。つまり、自給自足で暮らせる自然の恵みの多い国であった。険しい地形に区切られていたこともあり、この国では隣の村と交流する必要もなかったのである。

 こうして何世代にもわたって自給自足の暮らしを繰り返してきた結果、800もの違う言語や同じくらい多くの種類の違った文化が育ち、受け継がれてきたのだ。

 つい数十年前、日本でいえば戦後になってからも、近くの山にときどき登っていたある村の村人たちが、はるか遠くの山の間にまたたく隣の部落の火を見て、星だと思っていたという。この地球上に、自分たち以外に人間というものが暮らしているとは、よもや思ってもいなかったのであった。

 つまり、現代の私たちの目から見れば、この国は原始的な文明しかない、遅れた国だったと言える。

 しかし、原始的であるがゆえに、私たちの文明よりも劣っていて、消え去るべき文明なのだろうか。それは、決して決めつけられないものだと私は思う。

 この国の人々は、食うに困らない程度の自給自足ができて、それほどの不自由もない暮らしを営みながら、先祖を敬い、子供を産んで育てて、独自の文化を何世代にもわたって引き継いできていたのである。それはそれで、充実した生活と文化に違いない。

 考えてみてほしい。いま、もしこのような国が自称先進国の人々によって「発見」されたとしたら、その国をそっとしておくことがあるだろうか。

 その意味では、この国は不幸であったというべきだろう。探検隊や山師など、文明国が送りこんだ調査隊が石油や金やボーキサイト(アルミニウムの原料)や銅や錫といった有用な鉱物資源を次々に発見した。高価に売れる森林資源が豊富なことも探りあげた。

 一方で、文化人類学や民俗学の学者たちがこの国に入り込んで、この国の人たちの文化を「文明国の基準で」調べ上げた。これらの学問は、科学や知的興味を標榜したもので、一般的には、文明国の輝かしい文化だと思われている。

 しかし同時に、これらの学問は、歴史が証明するところによれば、結果としては、文明国がこの国を利用しようとしたときの尖兵の役割も果たしてきているのである。

 この国の場合も例外ではなかった。文明国のさまざまな学問研究によって、この国は文明国にとって利用しがいのある国であることが「発見」されたのであった。

第6節:文明国が未開国を発見したとき

 じつは私は、いままで「この国」と書きながら、そのたびに大きな抵抗を感じてきた。「この国」という国は、そもそも、ここにはなかったからである。

 ここを「この国」というひとつのまとまりのある国に仕立ててしまったのは、外にある文明国、つまり外部の国だったのである。

 昔から、いま「この国」とされている土地に住み着いて、そこで喜怒哀楽をともにしながら生きてきたそれぞれの部落の人々は、ある日突然、「この国」の国民にされてしまったのだ。この国は過去一度も統一されたことがない。ひとつの王国だったこともない。

 突然、ある国の国民にされてしまっただけでも問題だったのに、さらに大きな問題があった。民族も違い、習慣も違う他のあまたの部落の人々も、一緒に同じ「この国」の国民にされてしまったことだった。つまり、いままで見たことも交流したこともなかった、そして、言葉も通じないし、文化も伝統も違う、他のあまたの部落の人々とひとくくりにされて同じ国の国民にされてしまったのであった。

 つまり、見ず知らずの人々と一緒に「この国」の国民になることを、自分から選択したものでもなかったし、また同意を求められたわけでもなかった。

 ここにこの国の現在の不幸のすべての淵源がある。それをお話ししていこう。

 もし文明国が「非文明国を発見」したら、どうするだろう。ヨーロッパ諸国が植民地を獲得していった歴史が示すとおり、これには、決まった手順がある。

 まず宣教師を送りこみ、数々の文明の利器を導入させ、学校や病院を作り、そのうえ、形だけは近代的な、そして文明国に従順で利用しがいのある国家の仕組みを作らせようとするだろう。

 また、農場や工場を作って、なるべく安い労働力を使ってなるべく多くの作物や工業製品を安く作ろうとするだろう。

 文明国は、こういった援助こそが、この国を振興するための正義だ、ヒューマニズムだと言うだろう。しかし、じつは、それはヒューマニズムの仮面をかぶった商業主義で、文明国が作ったあらゆる商品を送りこんできて売りつけたり、商品をなるべく安く作らせる企てなのに違いない。

 まして、もしそこに文明国にとって有用な資源でも発見されていれば、あらゆる手段を使って、なるべく安い価格で買いたたこうとしたり、隙あらば、その資源を奪おうとするに違いない。このためには、飴と鞭を使い分ける巧妙な外交交渉もやるだろうし、ときには軍隊も送り込むだろう。

 そして、その通りのことが起きた。この国は第二次世界大戦の舞台となり、列強がこの国を取り合った。

 いくつかの国が争った結果、この国はある文明国の領土になった。その文明国は、この国に地方政府や議会を作り、各地に学校を作り、電気や水道も、首都からはじめて地方の大きな町へと、少しずつ整備しはじめた。つまりこの国は植民地としての発展を始めたのだ。

 そしてもちろん、我が日本も協力した。このところ、日本が善とするものが諸外国から非難され、他の文明国が善とするものに我が国が邁進できることが少なくなっていたから、これは日本の対外的な評判のためにも好ましいことだった。

 しかし、それ以上に日本にとって大事なことがあった。それは、日本がこの国に援助する金が、ダムを造ったり、発電器を売ったり、電気や水道を引いたりすることによって、現地に入った日本の企業に援助の金が環流して、援助した金のうちなるべくたくさんが、最終的に金が日本に帰ってくることだった。

 文明国から見た、「この国の黎明」や「近代化」は、こうしてはじまった。文明国がよく言う、そして、しばしばキリスト教にも裏付けられた奉仕は誰にとっても正義であるはずであり、この国を遅れた前近代から救い出すはずのものであった。

 しかし、この「近代化」にともなう数々の変化はこの国の人々にとっては、生活の強制的な激変だった。昔から伝統的な暮らしを続けてきて、小さな部落でおたがいに助け合いながら、それなりに自給自足の生活をしてきた生活とはあまりに違う生活を強要されることになったからだ。

 もっとも大きな変化は、お金、つまり現金が必要になったことだった。かっての村の生活では、食料も衣料品も、自給したり、物々交換で入手していた。しかし、いまは食料など、生きるために必要最小限のものを入手するためにも、現金が必要になった。

 そればかりではない、税金という、なにもしなくても払わなければならない現金さえもが必要になったのであった。子供の教育にも、医療にもお金がかかる。

 一方で、いままで現金を使ったこともなかったほとんどの人たちにしてみれば、その現金を稼ぐことが決して簡単にできることではなかった。

 働いて給料を得ようにも、仕事の機会がほとんどなかったし、農作物や水産物を売ろうにも、それを遠くの町まで運んで現金にする手段がなかった。

 そもそも、自分たちで必要とする以上のものを、売って生活費を得るために大量に収穫する仕組みがなかったのであった。じつは、自分たちで必要とする以上のものを採らないできた、というのは、それゆえに資源が減少したり枯渇したりさせないで、自然との共生を図ってきていたことだったのである。

 文明国は、この人々の生活の激変について、近代化のための陣痛、などときれいごとを言うだろう。あるいは、そもそも遅れていた文明なのだから、消え去るのは仕方がないというかも知れない。

 しかし、これはこの人たちにとっては、あまりに大きな、適応できない変化なのであった。つまり、いままではそれなりに満ち足りていた村での暮らしが、そもそも成り立たなくなってしまったからである。

 これは350万人もいる新「国民」にとって一大事だった。必要な現金を払えないことは、明日からの衣食住に困るだけではなくて、税金を払わないことは犯罪にさえなってしまうからであった。

第7節:この国のジョン万次郎

 こうして、人々は知らない間に「知らない国」の国民にされ、知らない間に、税金などの「近代国家の義務」を負わされた。村での、いままでの平和な暮らしは、望んでも、すでにできるものではなくなっていた。

 さて、人々はどうすることになっただろう。

 ジョン万次郎のように、見たことのない世界に行ってそこに適応できる、勇気ある若者はどの国にもいる。

 田舎の部落から、はるか遠くの町にできた首都という別世界に行ってみた青年が、たまたま仕事にありついて、現金収入を得られることがあった。

 道路工事、水道工事、電気工事、建築、空港建設。外国からの援助額のほとんどが消費されている首都では、その種の肉体労働の仕事がないわけではなかった。

 しかし、雇い主にしてみれば、労働者をなるべく安く使いたいのは当たり前のことだ。貨幣経済が始まったばかりの社会では、驚くほど安い給料で人を雇うことができる。そして、その安い給料からさえ、宿舎費だ衣服だ食事だ娯楽だ酒だ女だ博打だ、と巧妙に金を巻き上げる仕組みが生まれるのも世の当然であった。

 しかし、いくら安い給料で、しかもそこから巻き上げられる金もかなりのものだというのに、田舎の人々に伝わってくるその青年の話は、夢物語だった。

 都会という、いままでなかった刺激と現金収入。かくて、その青年の親戚一同、いや、それだけではない、しばしば老若男女の部族そっくりそのままが、暮らせなくなった田舎を捨てて、たった一人の都会の青年を頼って、大挙してやってくることになった。

 ジョン万次郎は一人だけではなかった。各地方の各部落から都会に出て、運良く働き口を見つけた青年の数だけ、都会に出てくる親族や部族の数も増えていった。

 こうして、田舎の人口は減り、首都の人口だけが異常に膨張していった。

 しかし、もちろん、親戚や部族の一同全員がありつける職はない。それどころか、都会では、衣食住、すべてに現金が必要になる。田舎だったら、自作の農産物や近くの野生の植物の果実や根や、そのへんで捕れる魚や貝や動物を食べていればよかったものを、現金がない限り、ひとかけらの食料も手に入らないのが都会での生活なのである。

 ささやかな職にありついて成功したとはいえ、青年ジョン万次郎の薄給では、一人が食っていくのがやっとだ。生かさず殺さず以上の現金を雇い主が払うわけはない。これだけの金で、少なくても数人、多ければ数十人という数で大挙して上京してきた親族や部族一同の生活をまかなうべくもないのは明らかだった。

 しかし、誰もが田舎で暮らしにくくなった以上、この人口移動の洪水が止まるはずはなかった。

 さらに悪いことも起きた。ジョン万次郎の労働意欲が失せてしまったのである。

 一族が出てくる前は、安い日当からさらに搾取されているとはいえ、わずかに残った現金はジョン万次郎のものになった。ジョン万次郎にとっては、そのわずかな金を自分の好きなように使えることが、労働意欲をかろうじて支えていたのであった。

 しかし、一族が出てきて一緒に暮らすようになると、仕事のない一族は、ジョン万次郎の稼ぎだけに頼るようになる。つまり、ジョン万次郎の稼ぐ現金は、いまや、みんなのものになってしまったのである。

 たった一人で額に汗して働いている、聖人ならぬジョン万次郎の労働意欲が失せてしまったとしても、不思議ではないのであった。

第8節:新しい「狩猟」

 慣れない都会の暮らしのせいで、病気になったり、怪我をしたりする親族も増えた。一族には年寄りも赤ん坊もいる。しかし「近代国家の黎明期」であるこの国では、社会保険も医療保険も整っているわけではない。

 現金がなければ、病人や怪我人になった家族や親族が死んでいくのを、むざむざ見ているしかなかった。しかし病院も慈善事業のためにやっているわけではない。金のない患者は見捨てるしかないのである。もちろん良心ある医者もいただろう。医者にとっても、いたたまれなかったに違いない。

 こうして、極限まで追いつめられた人々はどうするだろう。飢えて泣く子供を抱えた親の目の前に、あるいは病を得て死にそうな老父母を抱える男の前に、外国人でも同胞でもかまわない、金を持っていそうなカモが現れれば、その金を目当てに襲うことになるのは、ある意味で必然の成り行きと言えるだろう。

 それは、田舎に暮らしていた時代に、食料になる動物に出くわしたら、皆で襲って獲物にしていた生業(なりわい)と、動機も、実際の作業としても、それほど違うものではない。つまり、これは狩猟なのだ。

 狩猟といっても、衣食住に満ち足りた人々が、遊びのためにキツネやウサギを犬に追わせて猟銃で殺す文明国が主張する「スポーツ」ではない。これは、人が生きるために最低限の食料を得るための狩猟なのである。

 たとえ今晩の一家の食料を買うために必要な千円ほどの現金といえども、この人たちにとっては正当に稼げる見込みは、他にはありえないのである。家族や部族の飢えを救うために、獲物として動物を襲って捕るのは正業で、他方、追いつめられて人を襲うのは犯罪だ、と誰が断定できるだろう。

 もちろん、目的を持って襲うわけだから、相手に反撃されないよう、それなりに適切な道具が必要である。

 最初は、蛮刀と言われる、田舎では誰もが持っていた刃渡り60センチほどの万能の刀を使った。田舎では実のなる木を切り倒したり、道を切り開いたり、動物を捕らえるために、成人の男の誰でもが持っていた鋭利な刀である。もちろん、田舎では、人間を襲うために使ったことはなかった。

 襲う相手が動物ではないから、狩猟とは事情が違うことがある。外国人はともかくとして、同国人の場合には、襲われた人間には、すぐ近くに、家族も親族もいる。

 いかに相手が窮して襲撃に走ったといえども、殺されたり大けがをさせられた親族や部族が黙ってはない。たとえ暗闇に紛れての襲撃に成功したとしても、誰が襲ったかは、いずれは必ず分かる。

 こうして、報復が当然のように起きる。世界の各地で頻発している宗教戦争と同じように、家族や肉親や同胞を殺された恨みを晴らすために、また、ときには僅かな現金を奪い返すために、血が血を呼んで紛争が拡大するのである。

 一方、襲うべき相手から返り討ちにあってしまったら、狩猟の目的も、あるいは、報復する目的を達することもできない。だから、武器のエスカレートも自然の成り行きとして起きる。

 相手を確実に倒すのが目的である以上、相手が持っているよりも強力な武器が必要になる。日本をはじめ、文明国の軍備の理屈と同じだ。誰かが銃を使えば、当然、相手も、どんな無理をしても銃を入手する。

 人間は道具を使う数少ない動物だから、いい道具を使う、つまり自分が傷つかずに相手を倒せる道具を入手することは、人間のもっとも根元的な欲求なのである。エスカレートしていく一つの当然の段階として、より効率のいい道具、つまり銃を得る目的だけの襲撃も行われることになる。その銃も、最初は単発の、普通の銃だったものが、いまは自動小銃まで導入されている。

 不幸なことは、襲う方、襲われて報復する方、それぞれが別の田舎から来た、まったく別の部族であることがほとんどなことなのだ。

 もともと、同胞でもなかったし、顔つきも、眼の色も、肌の色も、言葉も、習慣もまったく違う。言葉の数が800もあるくらいだから、おたがいになんの親近感もない無数のグループが、獲物である現金を狙って、見境なく襲い襲われるという最悪の状況が生まれてしまったのである。

 奪うものは現金とは限らない。車を奪うことができれば、その車は現金を生む仕事に使える。タクシー(白タク)になったり、農産物や建築材料の運搬業をすぐに始められるからである。

 げんに、私と一緒に同じ仕事をしていたある外国人Pさんは、一人で運転していた車を止められて、身ぐるみ剥がされて縛りあげられ、崖下に突き落とされた。車は奪われた。

 命を奪われなかったことはせめてもの幸いだった。しかし、Pさんが受けた精神的な衝撃は、この国で仕事を続けるには、あまりにも大きなものだった。もちろん、車は帰ってこなかった。

 私が到着したこの国唯一の国際空港でも、日本の商社員の車がたった15分の間に駐車場から忽然と消えてしまったことがある。鍵はもちろんかけてあったし、空港の駐車場だから人の出入りが絶えることはない。

 しかし、これもこの国ではよくある事件なのである。運転者が襲われなかっただけ運がよかった、というべきなのだ。

 誰かを襲って現金を得ることに成功すれば、その男は、家族や、一族や、部族を危機から救った英雄になる。大きなシカを仕留めて部族を飢えから救った英雄と同じである。彼が活躍してくれなければ、いたいけな子供が飢え死にしたかも知れないからだ。

 また、他の部族との戦いで犠牲者が出れば、それは英霊になる。かって鬼畜米英と罵った敵との「聖戦」で命を落として故国日本の神社に奉られた英霊と何が違おうか。

 こうして、戦いは拡大こそすれ、止むことがないのである。

 はじめに書いたように、私がこの国を訪れる一年ほど前から、この国には夜間外出禁止令が出ていた。夜に屋外を歩いているだけで逮捕されるという、人権を強力に制限する命令だ。各国でクーデターが起きたときに発令されることはあるが、強盗が多いというだけで出されるのは珍しい。

 しかし、この禁止令ぐらいで治まる事態ではなかった。実際、この夜間外出禁止令が出てからも、強盗や殺人は一向に減る気配を見せていなかった。私がこの国を訪れたときは、ちょうどこのような情勢だったのだ。

 いままでお話ししてきたことから容易に想像がつくとおり、同国人よりも外国人の方がいいカモになるのは当然である。獲物を捕るときに、襲いやすくて実入りの大きなものを狙うのは狩猟のイロハである。

 部族としての報復をされるおそれはないし、現金もたくさん持っている可能性が高いからである。

 部族としての報復は、彼らがもっとも恐れるものだ。強盗ではなくて単純な泥棒に入った男の家でさえ、捜し出されて焼き打ちされる、という報復の暗黙のルールがあったほどなのだから。

第9節:「前線の軍医」の無念

 地球物理学者である私がこの国へ行ったのは、この国で火山の大噴火が続いて、その地方の中心の町が五、六メートルもの厚さに降り積もった火山灰に埋まって壊滅してしまったからである。この町は、首都からごく小さなジェット旅客機で2時間の距離にある。

 この町は、私にとって二度目の訪問だった。四半世紀ほど前の最初の訪問のときには、この町は地上の楽園に見えた。町を歩いてもなんの危険もなく、町の人々は食うに困るわけではなく、美しい海に面して色とりどりの花が咲き乱れた町で、ゆったりと暮らしていた。山梔子(クチナシ)によく似た、しかしずっと大輪の花が町中に咲いていて、強いが品のいい香りを振りまいていた。

 しかし、火山の噴火と治安の悪化は、この町を地獄に変えてしまったのだ。

 ここでは、いままでの200年間に7回も、こういった大噴火があった。これからも噴火があるのかどうか、いま地下のマグマがどこに潜んでいるのかを調べるのが私たちの研究のテーマであった。

 これは地球物理学にとっての大事な研究テーマであるだけではなくて、地元に住む人にとっても、必要な研究であるはずだった。大災害をもたらす噴火についての知識が増えることは、将来の災害の軽減に役立つことは確かだからである。

 しかし、私はいままでいろいろな国で、地球の内部を調べるという同じような研究を続けてきた。そして余った時間でその国の人と交流し、その国の人々の生活や考え方や、歴史や、産業や、食べ物を知ることを楽しみにしてきた、しかし、この国にいたときほど、複雑な心境になったことはない。

 この国が、いま本当に必要としているものはなんなのだろう。それは私たちの研究よりも、ずっと大事なものが他にあるのではないか、というのが、この国で研究を続けている間、私がずっと感じていた疑問であった。

 私は親や兄弟に医者がいるものだから、もし私も医者になっていたら、この国にいても、もっと直接にこの国の人々に役立つことができるのではないかと思った。病人。怪我人。それらを一人でも多く救うことができれば、私がいまこの国でやっている地球物理学の研究などよりは「有用」なのは確かだろう。

 しかし同時に、医者だった父が幼い私に話したことがこの国の現状と二重写しになった。父は国内の病院に勤めていた内科医だったが、第二次大戦のさなかに前線勤務の軍医として否応なしに徴用された。

 父が身にしみて感じたことは、すぐ目の前の前線で何百人という単位で大量の殺し合いをしながら、一方で、手を尽くしてたった一人の怪我人、それも故意に傷つけられた怪我人を救う努力をしなければならない、軍医という仕事の無力さだったという。

 さらに、せっかく治療した傷病者が、敵を殺戮するためにまた戦場に駆りだされて行くのを見るのは、もっと辛いことだったという。

 私は考え直した。たとえ私が医者としてこの国に来たとしても、間違いなく、前線の軍医と同じことになるだろう。

 この国の強盗や殺戮をやめさせたり少なくしたりするには、私たち地球物理学が無力なのと同様、個々の医者もまた、どんなに善意に溢れ、またどんなに努力を尽くしたとしても、あまりに無力である。

第10節:真っ暗闇のバスケットボール

 いままで「この国」と書いてきた。いや、「この国」といってはいけないかも知れない。この国に住む人々は、そもそもこの国の国民として暮らしてきたわけでもなく、また、そうなることを自ら選択したわけでもなかった。ある朝起きたら、まったく見ず知らずの人々とともに、この国の国民に「されてしまって」いたのである

 この国は、世界的な比較から言えば、貧しい国である。私が中流のホテルに一泊するときに払う金があれば、大家族の一家が半年も食べられる。

 衣食住はそれぞれ、私たち日本人の基準からすれば十分に安い。しかしそれでも、現金収入がないこの国の多くの人々にとっては、それらは高くて手が出ないものなのである。

 飽食に慣れてしまった私たち日本人のほとんどは、世界の人口の約半分もが、月に一万円以下の生活費で暮らしていることを知らないだろう。この国も、世界の多くの国の例外ではない。

 自給自足だった今までと違って、金がなければ生きられなくなったことは、いったい「進歩」なのだろうか。

 もちろん、かっての人々の暮らしぶりは、GDPだGNPだという数字の基準から言えば、いまよりもさらに貧しい暮らしだったに違いない。

 しかし、たとえそれらの数字そのものが低い暮らしではあっても、家族や隣人の愛情に囲まれて、それなりに満ち足りた生活を送ってきていたのだ。その生活の中で喜怒哀楽を感じがら、それなりに豊かで人間らしい生活を送ってきていたに違いない。

 GDPだGNPだというのは、どれだけの金を消費したかといった統計上の数字にすぎない。人間として豊かな生活を送っているかどうかを数字で計っているものではないのである。

 一方で、文明というものは人間の能力さえ退化させてしまう。ある地方の町に私が行ったときに、とっぷりと日が暮れ、鼻をつままれても分からないほどの闇の中で、嬌声がした。

 襲われたかと、ぎょっとしたが、危険なものではなかった。若者たちが、真っ暗なコートでバスケットボールに興じていたのであった。

 また、広場で毎日開かれる市場も、私ならば懐中電灯がないとまったく見えないほど暗くなっても、電灯もランプもなしに、賑わいが続いている。こんなに暗くても、品物を見分けたり、現金を数えたりできるのであろう。

 暗いところでよく見えるだけではない。私は視力が1.5とか、ときには2.0あるから、日本人では目がいいほうだが(その代わりに老眼になるのが早かった)、この国の人々は、視力の数字で表せば5とか6とかが見える。

 つまり、はるか彼方に点のようにしか見えない獲物を見つけたり、少しでも早く敵を見つけて身を隠したりする能力を備えているのである。

 めったにないご馳走である動物や、ときには夜行性の動物を捕まえるためにも、こういった能力があるのに違いない。

 多分、こういった能力は、もともとすべての人類が持っていたものに違いない。私たち「文明人」が退化して、これらの能力を失ってしまったのであろう。テレビだパソコンだといった、眼を退化させこそすれ、眼のためには決していいのものではない道具が急速に普及しているいま、これからの人類の能力はどうなるのだろう。

 この国の人々は、動物にせよ植物にせよ、そもそも自分たちで食べるだけの量しか捕っていなかった。動物で言えば、毛皮を売るとか、愛玩動物として文明国に輸出するとか、角や内臓を取って漢方薬にするといった「産業」はまだ、なかった。

 だから、動物を絶滅させたり、食物連鎖を狂わせるようなことはない。つまり再生可能なだけの量を食べつないでいるのである。

 重い病気になれば、一応、生薬や呪術師の世話になるが、それも天命のうち、私たち「文明人」のように、無理をして生かして、薬漬けにしたり、スパゲッティ症候群にして延命だけを図るわけではない。いかに悪あがきしても寿命は寿命。人間誰でも、最終的な死亡率は百パーセントなのだ。

 しかし、この国は、後戻りできない格好で文明国から「近代化」を押しつけられてしまった。文明国から見れば遅れたこういった文明を変えることは、真の意味でいいことだったのだろうか。私はこの国に来てはじめて、こんなことを考えるようになった。

 もちろん、文明国にとっての理屈はあろう。地下資源などの眠っていた天然資源を世界の人類のために使う、文明国の娯楽など知らなかった人たちに喜びを与える、キリストという唯一絶対の神を知らなかった人たちに導きを与える、コーラといった、いままでに味わったことがない、しかも習慣性がつく飲み物を与える、そういったことが、何が悪いのだろうとする「善意の」主張があっても不思議ではない。

 何世紀も前から、同じような「近代化」がアジアや、アフリカや、中南米など、世界中で「施されて」きたのである。

第11節:文明という名の疫病神

 しかし、この「文明国」の近代化支援には別の動機があったはずだ。それは文明国の産業にとっての市場を増やしたり、自分たちが将来食い散らかす資源を開発したりするという動機だったはずだ。

 援助という名の多額の支援が文明国から流れ込んだ。もちろんこの援助は「近代化という」「ヒューマニズム溢れた」オブラートに包まれていた。しかし、内実は先行投資としての援助にすぎなかったことは歴史が証明している。だからこそ、血で血を洗う植民地の争奪戦が文明国の間で絶えなかったのである。

 形式上は現地の国の要請に基づいて、実際には文明国の主導で、文明国から研究費や派遣費を貰って行った私たちの研究も、当然ながら、こういった文明国主導の近代化支援の枠組みに組み込まれていた。

 その意味では、私たちの研究も、現地の人々の役に立つという目的は掲げていたが、同時に、たとえば将来、安全な飛行場や港や工場を作るための必要な研究としても、組み込まれてしまっていたのだ。

 そして、いずれは、その飛行場や港を経由して、将来、この国の資源が文明国へ送り出されていったり、文明国の商品が流れ込んだり、文明国から贈られた援助という名の多額の金が、やがては文明国に環流したりする。

 つまり私たちの研究の結果、その土地の人を助けることは、もちろん、ある程度はできるだろう。しかし、いまのこの国のありさまを見る限り、私たちの研究も含めて、あらゆる文明国の科学者による研究は、それよりもまず「文明国のための近代化」に役に立つものではないか、とこの国の暗澹たる現状を見ながら、私は考えざるを得なかったのである。

 少なくとも私には、この国をどうすればいいのか、その処方箋は見つからない。米国のように、銃で襲われないために銃を各戸で持つことは、この国では、決して解決にはなるまい。その「自衛用の」銃は、間違いなく攻撃用に使われるに違いないからだ。

 そもそも歴史が明確に示しているように、過去どの国も、攻撃用と称して軍隊を持ったことはなかった。すべての場合、自衛用という名目で持っていた軍隊が攻撃用や侵略用に使われたのである。

 この面では、ドイツや日本を含めて、どんな文明国も大きなことは言えまい。ヒューマニズムや人権の名の下に他国に何度も攻め込んだことがある米国の軍隊も、裏ではそんなきれいごとが言える魂胆ではなかったことは明らかである。

 米国でも、一般の民間人たちは、防衛用に持っている銃をそうめったには攻撃用には使っていないかもしれない。しかし、米国と違って、この国では、貧しければ銃や銃弾を金のために他人に譲ってしまう人たちが必ず出るだろう。

 もし米国人がこの国の話を聞いたら、近代市民国家たる米国の先進性を誇りに思うだろう。しかし、なに、米国人は銃を持たなくても人間的で豊かな生活ができる世界がある、あるいは、あったことを知らないだけなのである。

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 この危ない国の名はパプアニューギニア。オーストラリアの北にあって、日本からは、ほぼ真南に、5000キロメートルのところにある。

 日本からオーストラリアへ飛ぶ飛行機は、日本を発ってから5時間目に、ちょうどこの国の真上を通るのだが、その飛行機から見下ろす限り、紺碧の海と、美しい珊瑚礁と、どこまでも続く白い砂浜に囲まれた南海の緑の楽園にしか見えない。

 しかし、目を凝らしてみると、他の国にはない風景が見える。一面緑の密林の中に、点々と煙が上がっている。小さな部落が、いくつかの谷筋にひとつずつ、ポツン、ポツンと離れてあるのだ。炊事をしているのだろうか。その焚き火である。

 不思議なことは、そのどの部落へも、車が通れる道が通じていないことであった。老眼ながら視力はいい私は、上空からでも一軒一軒の家を見分けられるから、車が通れる幅の道があれば、見えないはずはない。

 つまり、これらの部落は、孤立しているのである。隣の部落へ行く道もない。隣の部落とは別の言葉を話している。人種も違う。話してきたように、これがこの国の特徴なのである。

 オーストラリアへ向かう飛行機は、やがて4000メートルを超えるスタンレー山脈を越える。陽光がきらめく珊瑚礁の海岸地帯や密林が続く緑の山麓と違って、この険しい山脈は、いつものように厚い雲に覆われたままだ。ここではほとんど一年中、雨が降っていて、この雨がこの国の植物を潤しているのである。

 この国の子供たちの眼は、無垢で、驚くほど美しい。しかし、この国は、私が仕事で訪れたことがあるほかの約40カ国のどれとも違って、よほどの事情がない限り、私は二度と足を向けたくない国である。

 私の命を差し出すことに、なにがしかの意味があるのなら、私にとって恐れることではない。恐ろしいのは、たとえこの国で命を落としたとしても、それはまったくの犬死にしかならないことなのだ。

 私がこの国に行きたくない理由は、この国の現状を変えるために、残念ながら、私がまったく無力だということが分かっているからでもある。

(完)

この国(パプアニューギニア)で入手し「ヘビの噛まれ方」。とても「よくできた」パンフレットです。発行元は書いてありませんが、同国の厚生省か保健所のようなところなのでしょう。

なお、このときの研究について私が『日経サイエンス』1997年3月号に書いた説明(jpegファイルは1頁目2頁目3頁目全体のpdfファイルはこちら)と『EOS』(米国地球物理学会機関紙)の1999年6月15日号(80巻24号)に載せた観測点の配置図があります。

【2008年6月3日追記。AFPニュース】

 英国の先住民支援団体サバイバル・インターナショナル(Survival International)はウェブサイトで、ペルーで進む違法伐採によって居住区を失ったペルーの先住民がブラジルの先住民に接触し、先住民の生存が危ぶまれていると訴えている。同団体によるとブラジル領内には推定500人が暮らしている。

 スティーブン・コリー(Stephen Corry)代表は「国際社会は目を覚まし、国際法にのっとって彼らの居住区を保護しなければならない。さもなければ彼らは絶滅してしまうだろう」と述べた。

 サバイバル・インターナショナルによると地球上には外界との接触を持たない部族が100以上暮らしている。

【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
■:世界でいちばん人口が減った島 『波灯』第20号(2007年6月発行)、連載その10{400字で約50枚}
■:ウサギの言い分 『波灯』第19号(2006年5月発行)、連載その9{400字で約35枚}
■:世界でいちばんたくましい国 『波灯』第17号(2004年5月発行予定)、連載その8{400字で約35枚}
■:世界でいちばん雨が多い国 『波灯』第16号(2003年5月発行予定)、連載その7{400字で約33枚}
■:世界でいちばん危ない国 『波灯』第14号(2001年5月30日発行)、92-114頁、連載その6{400百字で約62枚}
■:世界でいちばんケチな国 『波灯』第8号(1995年6月10日発行)、16-24頁、連載その5{400字で約23枚}
■:流浪の科学者 『波灯』第7号(1994年5月20日発行)、13-19頁、連載その4{400字で約19枚}
■:世界でいちばん楽天的な国 『波灯』第6号(1993年5月10日発行)、100-112頁、連載その3{400字で約35枚}
■:世界でいちばん過疎の国 『波灯』第5号(1992年4月発行)、24-32頁、連載その2{400字で25枚}
■:オトギの国で過ごした夏 『波灯』第4号(1991年4月発行)、172-181頁、連載その1{400字で25枚}

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