島村英紀『夕刊フジ』 2023年10月26日(金曜)。4面。コラムその515「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

南海トラフ地震は連続して2度起きる説

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「南海トラフ地震は連続して2度起きる説 一度は無視された研究結果」

 南海トラフ地震が連続して起きるかもしれないという学説が発表された。東北大の研究だ。

 マグニチュード(M)8以上の巨大地震が発生すると、1 週間以内に同じくらいの巨大地震が再び起きる確率が2〜77%に高まるという研究結果である。
 確かに一回前にも、南海トラフ地震が半分ずつ起きた大地震が起きた。

 昭和東南海地震(1944年)と昭和南海地震(1946年)である。ただし時間差は2年あった。

 昭和東南海地震は熊野灘から東が震源だった。地震による家屋の倒壊や津波で三重県、愛知県、静岡県を中心に、推定1223名の死者行方不明者が出たものとされている。このときは戦時中だったこともあり、戸籍などが津波で消失したために正確な被害者数を把握できず、行政機能がマヒしたために死亡届を出さなかった例もあちこちに多い。

 一方、昭和南海地震は高知沖から紀伊半島が震源だった。被害は中部以西の高知県、徳島県、和歌山県を中心に死者行方不明者は1330名に上った。津波が静岡県から九州までの海岸を襲い、高知県、三重県、徳島県の沿岸で5メートル近かった。

 1940年代半ばの日本では、このほかにも1943年の鳥取地震、1945年の三河地震といった、いずれも死者千人以上を出した地震が相次いだ。これらの地震は終戦前後の「四大地震」とされる。

 次の震域が西だと指摘したのは東北大が初めてではない。当時の地震学者・今村明恒は昭和東南海地震が起きるのは「宝永地震(1707年)や安政東海・南海地震(1854年)は東海・南海の両道にまたがって発生したもので、今回の地震は東海道方面の活動断裂だけに止まっていて、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、この指摘は無視された。

 南海トラフ地震のひとつ先代は約150年前には最初に南海トラフの東側、静岡から紀伊半島沖を震源域とする大地震が起き、次に西側を震源域とする大地震が起きた。前の地震を安政東海地震、後の地震を安政南海地震と呼んでいる。時間差は32時間しかなかった。

 2年と32時間。東西の地震の時間差はあまりに違う。

 しかもその前の宝永(ほうえい)地震では、南海トラフ地震のほぼ全域が同時に起きた。この地震は大きく、次の南海トラフ地震はこれが再来するのではと恐れられている地震だ。

 その前は二つが分離して起きたかどうかは分からない。いずれにしても南海トラフ地震の先代は10回は起きてきたことが日本史上と考古学史上で知られている。

 しかし少なくとも数万年も続いている繰り返しの、日本人はごく一部を知っているにすぎない。

 私たちには、近年の例から求めた確率の数字だけを信じるわけにもいくまい。

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