島村英紀『夕刊フジ』 2023年8月4日(金曜)。4面。コラムその503「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

「良識ある」地震学者と予知 関東大震災100年

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「関東大震災100年 「良識ある」地震学者と予知 かつては「功なり名を遂げた大家が道楽でやるもの」と一蹴も」

 間もなく関東大震災(関東地震)から100年になる。地震が起きたのは1923年9月1日、死者10万人以上という日本史上最大の被害を生んだ大災害である。以後「防災の日」になっている。

 関東地方の下に南方から潜り込んでいるフィリピン海プレートが起こしたマグニチュード7.9の大地震だった。

 悪いことに海溝型地震が、日本を襲うもうひとつの大地震、直下型地震としても起きために関東地方では甚大な被害を生んだ。死者の多くは数日間にわたって燃えさかった火による焼死だった。

 じつはフィリピン海プレートが起こした地震が直下型地震としても起きたのは関東大震災が初めてではない。一回前には1703年、江戸時代に起きている。

 その前は定かではないが、関東地方の下に潜り込んでいるフィリピン海プレートが起こした関東大震災の先祖に当たる地震が何百回も繰り返し起きてきたに違いない。

 文明が進歩すると被害が増える。今後はどうなのか、地震学者としては心配になる。関東大震災の先祖には関東大震災よりもっと大きな地震もあったが、関東大震災ほどの被害は生まなかった。

 そのほかに、日本のどこにでも起きるかもしれない直下型地震は関東地方にも起きる。

 レンガ建ての煙突が多数崩壊して「煙突地震」と言われた1894年の明治東京地震、自然災害が少ないと言われた1931年の西埼玉地震、1924年に起きた丹沢地震、1853年の小田原の地震など、いずれも死者10名を超える。数えればきりがない。つまり関東地方はよりによって危ないところなのである。

 じつは関東大震災の被害を予言した東大助教授の今村明恒(あきつね)の時代には「地震予知」という言葉はなかった。学界では地震予知は星占いのようなあてにならないものとされていた。

 予知はいまだに無理だ。今村とその上司だった大森房吉の二人の論争は現代にも通じる。確たる証拠がなければ無用な混乱を避けるべきだという責任感は各方面でいまだに強い。学者と社会との関わりの問題を含んでいるのである。

 1970年代になってからも、地震学の大家であるU先生が、地震予知を卒論にしたい、と申し出た学生の相談を受けたとき「そのようなテーマは功成り名を遂げた大家が道楽でやるものだ」と一蹴したという。

 日本の地震予知計画が始まっていた1965年からかなりたっていた頃でも、「良識ある」地震学者は、そのように考えていたのである。なお、この学生はそつのない卒論の後、大手出版社の理科系の編集者になった。

 関東大震災の次も、恐れられている南海トラフ地震も、フィリピン海プレートの動きが起こす「姉妹」である。地球物理学的には両方とも起きて不思議ではない。どちらが先に来るかは、現代の科学では分からない。

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