島村英紀『夕刊フジ』 2023年6月30日(金曜)。4面。コラムその498「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

いつか壊れる運命にあった潜水艇<^イタニック残骸観光ツアー、コスト重視する民間への移転の難しさ 筆者が深海で体験した命の危険
『夕刊フジ』公式ホームページの題も同じ

 英豪華客船タイタニック号の残骸を見る観光ツアー中に潜水艇が事故に遭ったニュースが注目された。
 
 巨大な氷山と衝突して北大西洋の深さ約4000メートルの海底に沈んだ豪華客船タイタニック。当時世界最大の客船だった。同船は1912年、英国・サザンプトンから米国・ニューヨークへの初航海の途中で沈没して乗客・乗員2200人のうち、1500人以上が死亡した。
  
 タイタニックは鉄バクテリアが船体を分解して崩壊しかけている。崩壊を続けているのだ、

 70年以上も行方が分からず、最初に見つけたのが1985年、当時世界で最も深くまで潜れるフランスの深海潜水艇「ノーティール」だった。

 タイタニックを見つける前に、私はその出来たばかりのノーティールに乗って日本海溝の底まで下りて行ったことがある。私が命の危険を感じたことは何度かあるが、ノーティールに乗って深海に潜って行ったのが最大の思い出だった。

 腹ばいになって掌の倍ほどの展望窓を覗く。横には別の窓から外を見る操縦士が陣取っている。窓は6000メートルの水圧に耐えるために厚さ45センチもある。機関士が後ろに座る。科学者一人きりの3人乗りだ。

 夏の昼間、潜り始めたのに100メートルを超えると深海潜水艇のなかは暗く、周りの気温は海水温、つまり0度しかない。ときどきまわりの耐圧球から冷たい水が首筋に落ちてきて、耐圧球が潰れたのではと思わせる。

 私の場合は潜水は13時間半で終わり、予備の酸素を使う寸前だったが、予備の酸素は96時間分しかないという。あとは青酸カリを配って死んでもらうしかないのだと笑いながら言う。

 年月がたって深海の世界は科学の最先端から金を出せば誰でも行ける世界になった。その意味では宇宙旅行と似ている。

 今回タイタニックの残骸を見るツアーは、カナダ東部のセントジョンズを基点に約740キロ離れた沈没現場へ向かう。8日間の日程で、6人まで参加が可能。1人当たり25万ドル(約3500万円)払えば誰でも乗れる。

 海中ではGPSも無線も使えないために深海潜水艇「タイタン」と通信するのは無理だ。捜索は難航した。捜索範囲は50万平方キロにも達した。

 タイタンにも96時間分の緊急用の酸素が積まれている。

 タイタンは水深約4000メートルまで潜行するツアーを謳っていたが、前端部にある展望窓は水深1300メートルまでの耐圧基準しかクリアしていなかった。これはもっぱら予算のせいだ。2021年にもタイタニックの残骸への潜航を何度も行っているが、これは安全係数に助けられたためで、いつかは壊れる運命にあった。2018年に潜水艇を所有する会社が耐久性の検査実施を拒否したことから、海洋専門家ら30人以上が懸念を示していた。

 そしてばらばらになって発見されたのだ。最先端の科学から、コストを重視する民間への移転はむつかしい。

この記事
  このシリーズの一覧

島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ