【2011年3月12日に追記1。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】
地震予知にはまた失敗した。1965年の地震予知計画発足以来、これで、今回の特大の地震を含めて一回も地震予知に成功していない。しかも、地震の二種(海溝型地震と直下型地震)のうち、より地震予知がやさしいといわれてきた(*)海溝型の地震(大規模地震対策特別措置法ができて地震予知ができることになっている東海地震も海溝型)でも、地震予知はできなかった。

*)地震が大きければ、地震前兆現象も大きいはず、また震源域が広ければ(今回は500 x 200 km)、前兆現象が出る範囲も広いはず、といった根拠で。

【追記2】島村英紀の関連メモ「地震の名前」

【追記3】:誰かが危険地に行かなければならないとき

【追記4】 ロバート・ゲラー氏がよみうりテレビ「増刊!たかじんのそこまで言って委員会」に3月19日に出演して論陣を張りました。(動画)

【追記5】 1990年代までに期待されていた地震前兆現象がつぎつぎに討ち死にしていった(詳しくは島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』講談社文庫)なかで、気象庁が東海地震を予知するための唯一のよりどころとしてきたプレスリップ(前兆すべり)(島村英紀『巨大地震はなぜ起きる これだけは知っておこう』)は、この東北地方太平洋沖地震でも、まったく記録されなかった。じつは2003年に起きたマグニチュード8クラスの海溝型の巨大地震、十勝沖地震でも、プレスリップは観測されていなかった。”ニ連敗”である。

 地震予知ができることを前提にした大震法(大規模地震対策特別措置法)で地震予知に責任を持っている気象庁の将来に暗雲が漂っているのである。


毎日新聞 2004年1月12日(月曜、休日)朝刊。『論点』「主張・提言・討論の広場(オピニオン)」面

(地震予知)40年、一度も成功せず
「発生過程のモデルも方程式も存在せず」
「東海地震でも失敗で不意打ちあり得る」
全体のタイトル:「地震予知を考える」  サブタイトル:「1965年から続く国の研究。予知は実現に近づいているのか」

日本の地震予知計画はすでに約40年続いている。だが、この間一度も実際の予知に成功していない事実を関係者は重く受け止めるべきだろう。

 阪神淡路大震災が起きて地震予知の無力さが明らかになって、地震予知研究は重大な軌道修正を迫られた。しかし東海地震は前兆を捉えて直前予報が出せる、というのが政府の姿勢である。

 阪神淡路大震災が起きる前には日本での前兆現象が790件もあったと謳われていた。前兆はすべてが地震の後に発表されたものだが、こんなに多く前兆が捉えられているのなら地震予知はできるのにちがいない、と人々が考えたとしても不思議はない。

 地下で地震がどう準備され、どんな前兆がどのように出て、最後にどう大地震に至るかの過程については、モデルも方程式もない。地震予知研究は、医学で言えば「症例」が少ないこと、場所ごとに「症状」が違うこと、診断するための「透視」も難しく、事後の「解剖」も不可能なのである。

 研究者にとって、地震を予知して被害を少なくすることは悲願だった。このため、あらゆる前兆を捉えて、理論は後でもいい、とにかく地震予知を、という研究が続けられてきた。しかし観測を続けているうちに、地震があっても、前に記録されたような前兆がない例や、もっともらしい「前兆」が記録されたのに、肝心の地震が来ない例が、次々に現れてきてしまったのだ。

 最近、地震予知の救世主として期待されているプレスリップ(大地震の数時間〜数日前に地震断層がゆっくり滑り始める現象)も前兆のひとつだ。もし、プレスリップが確実に捉えられて、プレスリップが加速して大地震に至るのなら、地震予知は可能かも知れない。

 ところで「大地震の前に起きる現象」のすべてを必死に何十年も追い求めてきたのだから、プレスリップが明瞭に記録されていれば、当然、前兆として数えられたはずだ。

 しかし、じつは世界のどの国でもプレスリップを観測で捉えたことはない。昨年9月の十勝沖地震はM8の巨大地震だったが、プレスリップも、他のどの前兆も捉えられなかった。

 しかも、どのくらいのプレスリップが、どこで起きるのかは分からない。気象庁が行ったシミュレーションでは、一般的な学説からみるとずいぶん大きめのプレスリップが、運がいい場所で起きたときにだけは、三段階の警報を順に踏んで東海地震の予知ができるとされている。だが、小さめのプレスリップが、間の悪い場所に起きたら予知に失敗する不意打ちもあり得る。

 ところが、例えば三重県のホームページには「情報その一」「情報その二」そして「警戒宣言」という流れ図を掲げ、「予知情報の内容は明確化」されたとある。ここには、シナリオ通りに進まない場合があることは、どこにも書いていない。(注)

 国民は、地震予知の危うさをもっと正確に知らされるべきであろう。

(本文は13字92行)


新聞紙面のpdfファイル(288KB)
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上田誠也(東海大学)、平田直(東京大学地震研究所)と三人が同じ分量で一頁。 全体のタイトル:「地震予知を考える」 サブタイトルが「1965年から続く国の研究。予知は実現に近づいているのか」 私の見出し:40年、一度も成功せず「発生過程のモデルも方程式も存在せず」「東海地震でも失敗で不意打ちあり得る」 上田誠也の見出し:複眼的視野で研究を「地震の先行現象は存在する可能性が大」「電波や地電流などを含め自由な発想で」 平田直の見出し:発生過程の解明進む「実用段階はまだだが研究は進んでいる」「数年でプレート境界のモニター可能に」。

(注) なお、このホームページは、この毎日新聞の記事が出てから、予告も説明もなしに、突然、削除されてしまった。この記事以前(削除前)に掲示されていた三重県のホームページは

この辺のことの背景を含めての説明は拙著『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫)にあります。


『週刊エコノミスト』(毎日新聞社) 2004年12月7日号。特集「地震と日本経済」

地震予知神話から脱却せよ---大震法(大規模地震対策特別措置法)の幻想

●地震の予知は短期の天気予報とは違う。それは地震には、地下で岩の中に力が蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える方程式は、まだ、ないからだ。

 天気予報には、未来を予測する方程式が分かっている。アメダスなどのデータを入れれば、その式を使ってコンピューターが数値的に計算して、将来を予測することができる。

 しかし、地震予知は天気予報のように数値的に計算しようもないのである。そのうえ、地震が起きる場所とその周辺のデータも、地中のものはなく、地表のものしかない。これでは、天気予報なみのことができるはずがないのである。

 つまり地震予知は、物理的な科学や天気予報とは別のものである。このことが世間にほとんど理解されないまま、日本の地震予知計画は作られ、走ってきた。

●阪神淡路大震災のあと、当時私が勤務していた北大の食堂でお会いした先生から、「あれほどの地震でも予知できないものなのでしょうか」と聞かれて、答えに窮したことがある。

 今回の二〇〇四年の中越地震でも同じように、期待に裏切られたと考えている人たちは少なくないだろう。

 気象庁の公式の説明は、「(阪神淡路大震災を起こした)兵庫県南部地震や中越地震は、マグニチュード七クラスの地震であり、もともと予知は極めて困難である。しかし、マグニチュード八クラスの巨大地震である東海地震だけは予知できる」というものだ。

 ちなみに「極めて困難」というのは、普通の日本語でいえば「不可能」ということだ。だが、気象庁では、なぜか「不可能」とは言わないことになっている。

 私は東海地震が予知できることを、もちろん望んでいる。予知できれば、人命や財産の損害が減らせるし、地震予知というゴールを追ってきた私たち地震学者の目標が達成できるからだ。
 しかし、地震予知の研究は、三〇年前に見えていたバラ色の未来が消えてしまってから久しい。当時は、世界の多くの国で、地震の前に多くの前兆が報告され、それら前兆を捕まえさえすれば、来るべき地震を予知できるはずだという、当時は「信念」だと思い、じつは「希望」にすぎなかった考えが、地震学者の間に一般的にあった。

 だが、その後、同じような地震が同じところに起きても肝心の前兆がなかったり、「前兆」があっても地震が起きなかったりということが世界的に続いた。

 つまり、方程式や物理学は脇へ置いておいて、とにかく前兆を集めて、実用的な地震予知が出来れば、といった地震学者の戦略は打ち砕かれてしまったのだ。

●世界で初めての地震立法である大震法(大規模地震対策特別措置法)が作られた一九七八年は、ちょうど、地震予知がバラ色に見えていたときだった。

 東海地震が、それまで考えられていた遠州灘沖ではなくて、駿河湾に深く入り込んだ震源で起きること、その時期も「明日起きても不思議ではない」ほど切迫していることが石橋克彦氏(当時東京大学理学部助手)らによって発表されてから大きな騒ぎになった。大震法は当時の福田首相の強い指示もあり、わずか2ヶ月のスピード審議で成立した。地震予知の警戒宣言とともに、新幹線などの鉄道の停止、東名高速道路の閉鎖、デパートやスーパーの営業停止や工場の操業停止を含んだ強い規制が敷かれることになった。

●このように私権の制限を含む強い規制立法の大震法は、地震予知が出来ることを前提にしている。気象庁に置かれた判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)の決定に基づいて、総理大臣が警戒宣言を発令して、規制が始まることになっている。

 以後、四半世紀が経った。この間に、地震予知研究をめぐる情勢は、前記のように、大幅に様変わりしてしまった。「地震の方程式」も出来ていないままだ。

 幸い東海地震は起きていないが、このまま未来永劫に起きないということはありえない。あるいは東海地震が単独で起きるのではなく、かつての宝永地震(一七〇七年)のように、静岡沖から高知沖までの海底で超巨大地震が一挙に起きるのではないかという恐れも強まっている。

●地震予知を前提とした法律や警戒宣言の仕組みを作ってしまった政府としては、いわば、引っ込みがつかなくなった。

 日本の官僚は、自分たちで作った組織や仕組みがなくなることを、命を取られるように恐れる。また、自分たちが間違ったことを認めることは、まずない。この「習性」が地震予知にも働いた。大震法をやめたり、改定したりすることをせずに、二〇〇三年に発表した東海地震対策大綱(大綱)で、根元的なことはなにも変えないまま、大震法の「上塗り」をしてしまった。

 具体的には、いままで地震予知のために追求してきた前兆のすべてをあきらめ、その代わりに「プレスリップ」というものだけに頼って、地震予知の舵を切り直したのだ。

 プレスリップとは、大地震を起こす地震断層の一部が滑り始める現象で、それが非可逆的に加速して大地震に至るものだとされている。この小さな滑りが、微小な地殻変動として東海地方各地に置いてある体積歪計という観測器で検知されることを気象庁は期待している。起きるとすれば、大地震の数時間前から数日前だと思われている。

 しかし、大地震の前にプレスリップを明確に観測した例は世界でも一例もない。また、大地震の前に必ず起きる現象かどうかは、学界でも意見が分かれる。げんに、東海地震と同じ規模の地震だった昨年9月の十勝沖地震では、北大が襟裳岬の近くに設置してあった体積歪計はプレスリップを記録しなかった。

●大地震の前にプレスリップを明確に観測した例がないばかりではなく、どの規模のプレスリップが、どこで起きるか、には定説がない。プレスリップが起きたとしても、それが小さかったり、間の悪いことに御前崎沖の海底で起きたりしたら、気象庁の体積歪計の検知網にかからない可能性がないわけではない。

 だが大綱では、この可能性を無視してしまっている。大綱が定めている「注意報・警報・大地震」のシナリオ通りではない別のシナリオに目をつぶっているのだ。

 なまじ大綱がシナリオを作り、それを地方自治体にも伝達してしまった結果、こういったシナリオを信じたばかりに、かえって被害を大きくしてしまう可能性を、私は恐れる。

 たとえば、注意報があって、その後警報がなく、いきなり大地震に襲われたらどうだろう。人々は注意報のあとで、テレビやラジオでもつけながら、自宅や会社で整理を始めていないだろうか。また、不意打ちはない、ということで、ふだんの用心に抜かりはないのだろうか。

●かりにプレスリップが発見されて警戒宣言が発令されたとしても、その後に大きな問題がある。もし地震がしばらく起きなかったとしたら、その宣言を解除する仕組みがなにも決まっていないことだ。つまり判定会の学者の「勘」頼りであることだ。

 新幹線や東名道路が止められ、東西交通が分断されれば、経済にも深刻な影響がある。影響は日本だけにはとどまらないだろう。民間シンクタンクの日本総合研究所(東京)は1994年に、経済損失だけで一日七二〇〇億円を超えるという試算を発表した。

●このように、地震予知研究をめぐる情勢は、大きく変化した。他方、法律やそれに基づく仕組みは、地震予知の未来がバラ色に見えた時代のままである。

 政府や気象庁は、これら地震予知の現状と見通しを、正直に国民に提示すべきだろう。地震予知を担当する政府の組織があり、地震予知が出来るという期待を国民に植えつけ続けていることは、もし、不意打ちで襲われたときには、かえって被害を大きくすることにもなりかねない。

 他方、この間にも地震そのものについての研究はかなり進歩した。地震を演劇にたとえれば、どういう舞台に、どういう地震が「出演」できるのか、といった研究はずいぶん進み、地震のときに、どこが、どのくらい揺れるか、といった研究も進んでいる。

 建物を造るときの耐震基準は、段階的に強化されてきた。阪神淡路大震災のときには、一九七一年以前の規準で建てられた家屋に被害が集中し、一九八一年の最新の基準後の家屋の被害とは際だった対照を見せた。もし、阪神淡路大震災前に古い家が建て替えられていたり、耐震補強がされていれば、犠牲者の数を五分の一以下に減らせたのではないかという試算もある。

 つまり、最大の震度にも耐えられる家屋を造ることは不可能ではないのだ。

 こういった新しい研究を生かしながら、新しい防災を考えていくことが、いま問われているのである。

【2013年5月に追記】 筆者としてはまことに残念なことに、この文章の発表後10年を経た今日に至っても、上の情勢は一向に変わっていない。大震法はそのままだし、2011年に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でも、プレスリップは観測されず、南海トラフ地震はいずれは起きる。


方程式も理論もない判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)の
問題点は、イタリアの地震予知裁判ののちも、なにも変わっていないのである。

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