『学術の動向 』 (学術会議の広報雑誌=日本学術協力財団発行) 2005年7月号(10巻7号)、93-95頁

科学と国益のバランス
南極観測に参入する国が増えている「科学以外の」理由
第28回南極研究科学委員会(SCAR)総会(ドイツ・ブレーメンハーフェン)
に出席して

 『学術の動向』の同じ号に、同じ会議(第28回南極研究科学委員会(SCAR)総会)に出席した白石和行氏(国立極地研究所)の報告があるので、私はそのSCARの科学的な役割や背景や現状を説明しよう。南極を科学者の聖域として、どの国の領土支配からも守ってきた科学者のグループの活動は、極地研究以外の一般の方にも興味があるだろう。

1:SCARの歴史

 南極が探検の時代から科学の時代に変わっていったのは1950年代だった。そのころは、まだ環境科学の視点はほとんどなかったが、未知の大陸としての南極を気象や雪氷やオーロラなど地球電磁気現象から調べようという機運が各国で高まり、越冬基地があちこちに設置されて通年観測が行われるようになっていったのである。

 一方、19世紀以前から20世紀はじめまで続いた探検の時代に、南極に赴いた国の多くは、南極の一部を、それぞれの領土として宣言した。英国、ノルウェー、アルゼンチン、チリ、フランスなど7ヶ国だ。それぞれは南極点を通る特定の経度から別の経度までを領土として宣言した。つまり南極という丸いケーキを扇型に切り分けていたわけだ(地図=島村英紀著『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』から。なお、
ノルウェーだけは扇形ではなくて、南極の沿岸部だけを主張している。昭和基地があるのはノルウェーが主張している「領土」内である)。

 しかし、南極のすべてが分割されていたわけではないし、各国の「領土」同士が重複しているところも多い。西南極(経度が西経にある南極、日本の昭和基地は東南極にある)では、英国、アルゼンチン、チリの3カ国が、ほとんど同じ領域を「共有」している。

 これら「領土」に絡む小競り合いや発砲事件もあった。たとえば西南極にあるデセプション島では、アルゼンチンが領土宣言をした記念碑を1943年に英国が引き倒して自国の記念碑を建ててしまった。この事件以来、両国の睨み合いが続き、1952年には両国の海軍がデセプション島で遭遇して発砲事件を起こすまでに緊張が高まったことがある。

 この波乱の西南極に対して東南極では、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、ノルウェーの4カ国がお互いにほとんど重複しないように東南極を分割している。

 その後、南極は探検の時代から科学の時代に変わっていった。南極に行き、さまざまな科学観測をすることによって、未知の大陸である南極を解明しようとする科学者の動きが盛んになっていった。

 こういった機運の中でSCARが作られたのは、1958年だった。南極科学者が自発的に作った、初めてで唯一の国際的な組織である。当初、参加したのは12ヶ国。日本は発足当時からのメンバーである。

 当時は、もちろん東西冷戦のさなかだった。東西両陣営はお互いを敵視し、軍事力を増強していっていた時代だった。「領土」を主張する国々が、南極を軍事利用しようとしても、あるいは資源を開発しようとしても不思議ではなかった。そのなかで、各国の科学者が話し合う場としてのSCARの存在は大きかった。SCARは南極を「科学者の聖域」として保つことに成功したのである。

 このSCARでの科学者の話し合いから、南極条約も生まれた。戦争一歩手前まで行った事件への反省もあって、1961年に発効した南極条約によって、南極の領有権は凍結され、資源の試掘調査も、経済利用も、軍事利用も出来ないことになった。この南極条約は、日本など12カ国で採択された。その後南極の研究実績を作った国が次々に条約に参加して、現在45カ国(うち28ヶ国が、南極条約締結国の中でも南極に基地を設けて科学的調査を実施していることを認められて協議国になっている)が加盟している。

 南極の科学の機運をいっそう進めたのが、1957-1958年に行われた国際地球観測年(IGY = International Geophyical Year。正確には「国際地球物理学年」だが、日本では国際地球観測年と称された)だった。その名の通り、各国が協力して、世界各地でさまざまな地球物理学の観測が行われた。これらの観測には、地磁気、極光(オーロラ)や夜光、電離層、太陽活動、宇宙線、ロケットによる観測などがあったが、特筆すべきは、南極での観測が積極的に進められたことだった。

2:運営分担金

 SCARは国際的な組織だから、運営するための費用が必要である。このため当初は、越冬する南極観測隊員一人頭10ドルを、それぞれの国が支出することにしていた。合計で1000ドルほどという、ささやかな費用だった。

 SCARの会議は、以後、2年ごとに各国の持ち回りで開かれてきている。その後、この分担金も少しずつ値上げされていったが、越冬隊員が多いほど、つまり南極での科学的な活動の規模に比例して分担金を払うという仕組みは、その後20年以上にわたって続けられた。

 しかし、1980年代になって、南極観測の様相が変わってきた。南極までの輸送手段が進歩して、飛行機で南極に行くこともよく行われるようになり、それまでは南極観測といえば越冬するのが当たり前だった時代から、いわゆる夏隊員、つまり南極の夏だけ滞在して越冬はしない隊員が大幅に増えた。どうしても通年観測をしなければならない気象や各種の地球物理観測は別にして、行動しやすい夏の間に南極観測をすませてしまうことが出来る時代に変わったのである。

 科学には結構なことだ。しかし、SCARの分担金には、これは問題を生じた。越冬隊員の数は、その国の南極観測の活動全体には比例しなくなってしまったからである。このため、SCARの分担金は、当時の加盟国を、南極観測全体の活動度やそれぞれの国の財政に合わせて、正会員の国を3つのグループに分け、準会員の国と合わせて4つのグループに分けて固定した金額の分担金を集めることになった。

 その後、1990年代になってオランダが加盟し「第2グループの分担金は払いたくないが、第3グループよりは研究業績が多い」と主張して、グループがひとつ増え、結局5つのグループのまま現在に至っている。割り勘のことを英語ではダッチ・アカウントという。さすがオランダである。

 こうして、年額18000ドルを払うグループAには米国とロシア、14000ドルのBには日本のほかアルゼンチン、英国、フランス、ドイツ、イタリア、オーストラリア、インド、11000 ドルのCにはノルウェー、オランダなど6ヶ国、8000ドルのDには11ヶ国、自前の南極基地を持たない準加盟国(グループE)には4ヶ国がある。

 しかしSCARのいいところは、会長や副会長などの選挙のときには、このグループ分けが全く考慮されないことだ。Aだけではなく、BからDのグループから会長や副会長が選出されてきている。たとえば現会長はBのドイツ、副会長はCのニュージーランドやDのスペインから選ばれている。

 一方で残念だったことは、はじめからの加盟国であり、各国の南極基地の中でも越冬隊員が多い南極基地を持つ日本の存在感が小さかったことだ。たとえば、会長を出したことはなく、副会長も、ずっと以前に永田武氏(国立極地研究所の創立者)がなって以来、今回の総会まで30年以上たって、ようやく二人目の副会長(島村英紀)が選ばれた。

 ところで、どのグループに入るかは、自己申告制である。課金は科学者の「誇り」とその政府が払ってくれる金とのバランスで成り立ってきた。しかしこの仕組みは、いま、曲がり角に来ている。

 それは、経済的に苦しくなった国が滞納していることもあり、昔よりもずっと大きくなったSCARを運営する費用が不足するようになったからである。

 SCAR総会では、分担金が払えない国の一覧表が配られた。エストニア、ウクライナ、ウルグアイはここ数年間未払いなほか、チリ、中国、ロシアも払えなかった年がある。

 ポーランドも歴史のある大きな越冬基地を大幅に縮小した。私がかつてポーランドと共同で南極初の海底地震観測をした砕氷船も売却してしまった。かろうじて南極観測を継続している国が多いのである。

3:正念場のSCAR

 他方、各国の領土宣言が「凍結」されている現状では、南極観測への新規参入が後を絶たない。これは、もし将来凍結が解除されたときをにらんでの、それぞれの「国益」のためである。中国や韓国も、比較的近年、参入した。

 一方でアルゼンチンやチリでは領土の「実質」化も進んでいる。私がアルゼンチンの南極基地に飛行機で飛んだときには、子供連れのお母さんと一緒だった。現地に行ってみたら、お母さんが学校の先生、子供が生徒というわけだった。つまり、南極基地に学校や銀行や観光客のためのホテルを作り、南極ベビーを誕生させるなど、居住や生活の「実績」を積み重ねてきている。

 このように、南極観測は、さまざまな問題をはらんでいる。今年の第28回SCAR総会では、スイスの加盟とマレーシアの準加盟が認められ、合計32ヶ国になった。当初の3倍近い数の国が参加するようになったわけだ。

 科学研究と国益のバランスをとるために、いまこそSCARの真価が問われているのであろう。

この分担金について2003年に書いたエッセイ
島村英紀「日本の極地観測の課題」へ
島村英紀『私の視点』(朝日新聞)「南極観測50年」へ
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