島村英紀『夕刊フジ』 2015年3月27日(金曜)。5面。コラムその95 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

乳頭温泉死亡事故 迫る危険に気づかなかった?

 先日、十和田八幡平国立公園内にある乳頭(にゅうとう)温泉で3人がなくなった。これは火山ガスによる事故だ。
 
 太平洋プレートが東から本州の下に潜り込んでいるために、プレートが深さ90から130キロメートルに達したところでマグマが出来る。

そのマグマが上がってくるところが「火山前線」で、本州の東部を南北に串刺しにしている。乳頭温泉も、5キロメートルほど南にある活火山、秋田駒ヶ岳も、このマグマが作っているものだ。本州中部ではこの火山前線は那須岳、浅間山、富士山、箱根、伊豆大島といった火山を通っている。

 マグマが地下から運んでくる有毒な火山ガスでいちばん一般的なものは硫化水素だ。今回もこの硫化水素が原因だった。硫化水素は青酸カリと同じように細胞が酸素を取り込めなくしてしまう。

 硫化水素は無色だが卵が腐ったような臭いがある。温泉でよく「硫黄の臭い」がするのは、じつはこの硫化水素の臭いだ。硫黄には臭いはない。

 問題は硫化水素の濃度が高くなると人間の嗅覚をまひさせてしまうことだ。このため危険に気づかない場合も多い。今回もそうだった可能性が高い。

 そのうえ硫化水素は空気よりも1.2倍ほど重いガスだ。このため窪地に溜まる。3人も仕事を終えて帰るときに深い雪を掘った窪地に置いてあった荷物を取ろうとして犠牲になってしまった。

 乳頭温泉は「カラ吹源泉」と言われるもので、硫化水素を含む熱い水蒸気が噴き出し、水蒸気に水を加えて温泉水として供給している。もともと硫化水素が大量に出ているところなのである。

 火山とその周辺で有毒な火山ガスの犠牲になった事故は多い。

 青森県八甲田山では1997年に窪地から噴出して滞留していた火山ガスで訓練中の自衛隊員3名が窒息死した。2004年には長野県安曇(あずみ)村(現松本市)の温泉でマンホールに溜まっていた硫化水素を吸った4人が病院に搬送された。

 2005年にも秋田県湯沢市の泥湯温泉で、雪の窪地に溜まった硫化水素を吸って家族4人が死亡する事故もあった。また2010年には青森県酸ヶ湯(すかゆ)温泉の近くの沢で、山菜採りに訪れていた女子中学生1名が現場に滞留していた火山ガスで中毒死した。

 有毒な火山ガスは硫化水素だけではない。亜硫酸ガス、二酸化炭素、メタン、ヒ素や水銀の蒸気といったものが火山とその近くでは大量に出てきている。

 米国ハワイにある火山観測所に勤務する研究者には厳しい雇用契約が待っている。それは、2年を越えて研究を続けようと思ったら「健康を損ねても雇用者である米国政府は責任を負わない」という契約にサインしなければならないことだ。これは火山から出てきている水銀の蒸気のせいだ。

 マグマが地球深くから持ってくる「恩恵」はある。金銀銅などの鉱物資源や地熱や温泉といったものだ。他方、有毒な火山ガスや噴火災害もあることは忘れてはいけない。

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