ちょうど17年前のいまごろだ。日本中の火山学者や気象庁がピリピリしていた。
岩手県盛岡市の北西20キロメートルほどにある岩手山が、いまにも噴火しそうだったからだった。
それは火山性の地震活動から始まった。1997年12月末から岩手山の西側山腹の浅いところで群発地震が始まって増加してきたのだ。
そして翌1998年2月になると低周波地震も観測されるようになった。低周波地震は火山の地下でマグマや熱水が動くことで発生するものだと考えられている。噴火に近づいたに違いない
げんに富士山の下で起き続けている低周波地震の増加が次の富士山噴火のカギを握っていると考えられている。
ついで、東北大学や国土地理院が測っていた地殻変動観測データにも変化が現れた。噴火予知のカギになる山体膨張である。
そして4月の末になると火山性地震がさらに頻発するようになり、傾斜計にも大きな変化が出た。
これだけの「噴火の前兆」が揃った。いつ噴火しても不思議ではない状態になっていたのである。
しかし、固唾を呑んで見守っていた火山学者たちや気象庁を尻目に、岩手山は噴火しなかったのである。
これらの「前兆」だったはずのいろいろな活動は6〜7月をピークに、8月以降はしだいに下がっていってしまった。
じつはこの間、9月3日に岩手山の南西約10キロメートルのところでマグニチュード6.2の直下型地震が起きた。この直後には岩手山の地震活動も一時活発化したのだったが、それも10月には元に戻ってしまった。
翌1999年になると火山の山体の浅いところで起きていた地震活動はもっと低下した。
一方で火山のやや深部で起きる低周波地震や火山性微動の活動は続いた。つまり、まだ何かが起きる可能性が残っていたので気を緩められなかったのである。
他方、これも火山活動のバロメータである噴気活動は遅れて1999年6月ごろから活発化していた。噴気とは水蒸気を吹き出す現象で、あちこちの火山で見られる。だがこれも2002年から2003年をピークにして、しだいに少なくなった。
緊張の数年が過ぎた。結局、岩手山は噴火しないまま静かになってしまったのである。
2014年9月に戦後最大の火山災害になってしまった御嶽山噴火のときには、火山性地震が「前兆」だったので、来るべき噴火を警告すべきではなかったかという議論がある。
だがこの御嶽山の「前兆」は小規模な群発地震が約2週間前にあったが、その後おさまってしまっていたものだ。
それに比べると、はるかに多くのもっともらしい「前兆」があっても、岩手山のように噴火しないことがよくある。噴火予知は一筋縄ではいかないのである。
(写真は定期航空機から見た岩手山。2010年5月。島村英紀撮影)
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