島村英紀『夕刊フジ』 2015年1月23日(金曜)。5面。コラムその86 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

地震発生から5年 世界から忘れ去られたハイチの悲劇

 日本でも、そして世界からも忘れられてしまった地震がある。5年前に起きたその地震は2010年1月12日、カリブ海の島国ハイチを襲ったマグニチュード(M)7.0の直下型地震。2004年に起きたスマトラ沖地震と肩を並べる犠牲者20万人以上という被害を生んだ。

 地震は首都ポルトープランスの西南西25キロで起きた。ここでは北アメリカプレートとカリブプレートが衝突している。日本で起きるような直下型地震が起きても不思議はないところだ。ハイチが載るイスパニョーラ島の東半分を占める隣国ドミニカでも1946年にM8.1の地震で2000人が死亡したし、西隣の島国ジャマイカでも1907年にM6.5の地震で1000人が犠牲になった。カリブ海諸国は地震国なのである。

 ハイチの地震では大統領府や国会議事堂も倒壊し、地震直後は大統領や閣僚さえ屋内に寝る場所がなくなった。そのほか国税庁、財務省など中央官庁の建物は軒並み全壊するなど多数の建物が崩壊して150万人以上が住む家を失った。

 ハイチは世界初の黒人国家だが、南北アメリカで最も貧しい国だ。6割もの人々が1日2ドル未満で生活している。政情不安も続いてきた。

 この未曽有の災害は、当時は世界各国で大きく報道された。このため各国から援助の手がさしのべられ、支援金も各国から集まった・・はずだった。

 震災直後に約束された国際支援金は120億ドル(約1兆4000億円)にものぼったが、実際にハイチが受け取ったのはわずか40億ドルだった。米国は予定支援額の5%も拠出していない。つまりハイチは世界から忘れられてしまったのである。

 地震前と同じく、ハイチでは経済の低迷や政治の混乱が絶えない。そのうえ地震の年にはコレラが流行して1万人もの死者を生むなど、踏んだり蹴ったりの状態が続いた。

 いまもテント村など120ヶ所以上で85000人以上が避難生活を続けている。被災者の苦しみはなお続いているのだ。

 だがハイチのことを他人事だと言ってはいられない。

 日本でも、200人以上の津波犠牲者を生んだ1993年の北海道南西沖地震は、その後1995年に起きた阪神淡路大震災以後ほすっかり忘れ去られてしまった。

 そして2011年の東日本大震災で、阪神淡路大震災のことがまた忘れられかけている。

 阪神淡路大震災の被災地での「借り上げ復興公営住宅」の期限は20年。まもなく退去させられる期限が来てしまう。被災者に国や自治体が貸し付けた「災害援護資金」も兵庫県内だけで1万人以上、計約170億円もが回収できていない。生活の再建が出来ていない人がまだ多く取り残されているのだ。

 東日本大震災も復興が遅れている。オリンピックの狂想曲にまぎれて被災地が忘れられてしまうのを地震学者としては心配しているのである。

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