1月17日、阪神淡路大震災から20年になる。マグニチュード(M)7.3。6400人以上の人がなくなった直下型の大地震だった。
中京地区で約5000人が死亡した1959年の伊勢湾台風から約40年。巨大な自然災害の恐ろしさを日本人が忘れかけていたときに襲ってきた大災害だった。
神戸市を見おろす高台にある神戸大学の構内には、この地震で犠牲になった同大学の学生の慰霊碑が建っている。工学部の小林陸一郎非常勤講師が作ったものだ、
そこには39名の名前が刻まれている。なかには外国人留学生の名前もある。
この39名の学生のうち37名は下宿がつぶれて死んだ。自宅から通っていた学生に比べて、下宿生のほうがはるかに死者が多かったのだ。
神戸大学が他の大学と比べて特別に下宿生の割合が高いわけではない。理由は、この下宿生たちは古い木造建築、つまり自宅生たちよりも弱い建物に暮らしていたことだったのである。
地震が起きたのは午前5時46分。まだ暗い冬の明け方だった。学生たちは深い眠りについていたに違いない。
じつはこの地震では高台で地盤がいいところに建つ神戸大学の建物はひとつも倒壊しなかった。もしこの地震が昼間に起きていたら、これらの学生たちは死ななくてすんだだろう。
他方、「地震が起きた時間」に救われたものもあった。
新幹線だ。地震が起きた時間は山陽新幹線が走り出すわずか14分前だった。この地震では新幹線のレールを載せている鉄道橋がいくつか落ちた。つまり、もし新幹線が走っている時間だったら、多数の犠牲者を生む事故になっていた可能性が高い。
この連載で前に書いたように、2004年の新潟県中越地震(M6.8)では新幹線が高速で通りぬけた直後に地震が起きて、上越新幹線の魚沼トンネルの中がめちゃめちゃになった。地震が起きたのは17時56分だった。こちらも間一髪だった。両方とも、たまたま運が良かったとしか言いようがない。
作家の野坂昭如は次の文章を残している。それには「戦前の大水害や第二次世界大戦での空襲の大被害からの戦後の復興がめざましかったばかりではなく、その後の市街地開発や山を削って海を埋め立てる国土改造の先兵だった神戸を兵庫県南部地震が襲ったこと、しかも季節が冬で、新幹線が通る寸前の明け方だったことに神の存在を確信する」と書いてある。
地震が一日のうちのいつ起きるかについては、いろいろ学問的な研究が行われたが、結論としては、いつ起きても不思議ではないとことがわかっている。
つまり、地震が起きる時刻の偶然によって被害のありさまが左右されてしまうのが地震の恐ろしいところなのである。
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