島村英紀『夕刊フジ』 2014年12月12日(金曜)。5面。コラムその81 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

都会と地方の「震災」 同規模でも被害は数百倍の違い

 前回は地震の名前を各地方が「取り合う」話題だった。国民の同情を集めたり政府の援助を獲得するためには地震の名前に「その地方名」が入っていないと不利になるのだ。

 だが地震の命名にはそうではない事情も出てきている。それが明らかになったのは2000年に起きた鳥取県西部地震だった。

 震源は鳥取県の西部だったが、島根県境からも岡山県境からもそう遠くないところに大地震が起きた。活断層としてはまったくマークされていなかった地震だった。

 地震の名前を命名する立場にある気象庁の係官は、この地震にどんな名前をつけるか、複数の県名を入れるのか、胃が痛くなるような思いをしたに違いない。

 しかし拍子抜けだった。秋田県の沖で起きたのに、「日本海中部地震」(1983年)と名付けられたときとは逆さまのことが起きた。

 「地震に県の名前をつけられると観光客が減る」という意向が某県から伝えられたのである。この結果、この地震の名前は「鳥取県西部地震」とされた。ごく当たり前の名前がつけられた裏には、じつはこういった事情があったのだ。

 日本のどの地方でも農業や漁業や地場産業の不振が続いている。頼りは観光だけだ。観光客の足が遠のくことは極力、避けたい。こういった日本の現状が地震の命名にも影響したのだ。

 鳥取県西部地震はマグニチュード(M)7.3。この地震は1995年に起きた阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)と同じマグニチュード、同じ震源の深さの直下型地震だった。

 だが、こちらは死者はなく、負傷者は140人だった。6400人以上の死者と43000人もの負傷者を生んでしまった阪神淡路大震災とは大違いである。

 同じ大きさの、同じ深さの地震が襲っても、なぜこれだけの違いが出たのだろう。

 それは「地震」と「震災」の違いだ。地震が大きいほど「震災」も大きくなるのが普通だが、それだけではない。たとえ同じ大きさの地震でも「震災」が大きくなってしまう宿命を持っているのが都会なのである。

 だから、阪神淡路大震災や鳥取県西部地震なみの地震が、もし、もっと大きな都会、たとえば東京や大阪を襲ったとしたら、阪神淡路大震災よりもはるかに大きな震災になってしまう可能性が高い。

 江戸時代から東京は何度も大地震に襲われたが、そのたびに震災の規模が大きくなってきている。いちばん最近の大地震、関東地震(1923年。M7.9)では10万人を超える死者を生んでしまった。

 都会の人口密集地や都会の近くにある工場は地震に弱く、また地震が来たときの被害も拡がりやすい。都会の震災を押さえ込むことは容易ではないことなのだ。

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