島村英紀『夕刊フジ』 2014年11月21日(金曜)。5面。コラムその78 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

地震予知に失敗したイタリア学者裁判の行方は----「安全宣言」うのみにした市民が犠牲に

 イタリアで地震予知に失敗した学者が裁判にかかっている。

 2009年4月、イタリア中部ラクイラでマグニチュード(M)6.3の地震が起きて309人が死亡、6万人以上が被災した。

 ここはイタリアでも地震活動が高いところで、ふだんから月に数回の地震がある。大地震の前の半年間はいつもよりずっと地震が多く、3月には地震はさらに活発になりM4という現地ではめったにない地震も起きた。

 3月上旬には大地震が来るという独自の地震予想を出す学者も現れた。活発な群発地震や大地震の予想を受けて、地元の人々のなかに不安が拡がっていた。

 このためM4の地震の翌日「国家市民保護局」は学者を含む「大災害委員会」を開き「大地震は来ない」という安全宣言を出したのだった。

 じつは人心を鎮めようという方針が委員会の前に政府によって決まっていた。地震予知は学問的にはほとんど不可能だから学者も判断できず、政府が学者に期待したのは科学者のお墨付きだけだったのである。

 安全宣言が出されたのが3月31日。専門家が安全を保証したために人々は家の中に留まった。しかし地震は起きた。4月6日の午前3時半。人々が寝静まっている時間だっただけに大被害になってしまった。

 イタリアでは政府の「安全宣言」を鵜呑みにした市民が犠牲になった。57人がなくなった9月の御嶽山の噴火とよく似た話である。御嶽山も「噴火警戒レベル」は最低の1、つまり山頂まで登っても大丈夫という安全宣言であった。

 それだけではない。かつて鹿児島でもイタリアとほとんど同じことが起きた。

 1913年に有感地震が頻発し、地面が鳴動し、海岸には熱湯が噴き出した。人々は桜島が噴火するのでは、と心配した。

 だが村長からの問い合わせを繰り返し受けた地元の気象台長(いまの鹿児島地方気象台。当時は鹿児島測候所)は、問い合わせのたびに、噴火するという十分なデータを気象台は持っていない、噴火はしない、と答えたのであった。

 しかし気象庁の予測に反して、桜島は大噴火を起こしてしまった。後ろは火山、前は海。逃げどころのなかった住民の多くが犠牲になった。8つの集落が全滅し、百数十人の死傷者を出す惨事になってしまったのである。

 イタリアでは政府の安全宣言が犠牲の拡大を招いたとして地震学者らが過失致死傷罪に問われた。2012年10月、地裁での1審では学者ら7人が禁錮6年の実刑判決を受けた。

 だがこの11月10日、ラクイラの高裁は逆転無罪の判決を出した。1審判決を破棄したのだ。

 イタリアの高裁での判決言い渡しのとき傍聴席にいた震災犠牲者の遺族らから「恥を知れ」との怒りの声が上がった。検察側も上訴するとみられ、最終判断は最高裁に委ねられる見通しになっている。

 さて、どういう結末になるだろう。日本などほかの国で政府の委員会に関わっている学者たちも気が気でないのである。

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