島村英紀『夕刊フジ』 2014年7月11日(金曜)。5面。コラムその59 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

年に5万回、マグマが起こした群発地震

 長野県には年に5万回もの有感地震に揺すぶられた町がある。ここでは2年間に9回も震度5に襲われた。
 
 この町は長野市の南東にある山間の町、松代(まつしろ)。いまは長野市の一部になっている。

 群発地震が始まったのは1965年夏。東京よりずっと地震が少ないところだから1日数回の有感地震でも目立った。

 地震は日に日に増え続け、1日数十回から、秋には1日に100回を超えた。

 人々に不安が拡がった。翌年になると地震は減りはじめた。やっと峠を越えたかという安堵が人々の心に芽生えた。

 だが地震は人々を裏切った。3月からは一転、あれよあれよという間に地震の数は増え続け、5月には有感地震は1日約700回にもなった。地震計だけが感じるもっと小さな地震まで数えれば1日に7000回以上。平均5秒に1回というすさまじいものになった。つまり地面はほとんど揺れ続けていたのだ。

 地震の回数が増えるにつれて大きい地震も混じった。5月には震度4の地震が37回、震度5も8回あった。

 震度が5だと家が倒れる心配がある。夜も眠れない。群発地震から大地震に至った例もあるから、人々の恐れは頂点に達した。

 だが幸いそれ以上の大地震は来ないまま、地震の数は再び減りはじめた。6月には有感地震が1日200回、7月には1日150回ほどになった。これでも前年秋に大騒ぎになったときより多かったのだが、ようやく終わりに向かったのではという期待が人々の心にふくらんだ。

 ところが、まだあったのだ。8月から地震がまた増えはじめ、その月のうちにまた1日500回もの有感地震に揺すぶられることになった。群発地震が始まってから1年以上、人々は終わりの見えない地震に翻弄されて疲れきっていた。

 しかしこれが最後だった。地震はその後順調に減りつづけ、1年半ぶりにようやく群発地震がはじまった初期の水準にまで戻った。

 地震のほかに奇妙なことがあった。1966年春から途方もなく大量の水が震源の近くの皆神(みなかみ)山(右の写真、二つのコブがある山。島村英紀撮影)から湧き出してきたのだ。夏には毎分2トン近くにもなった。家庭用の風呂を6秒でいっぱいにしてしまう勢いである。

 松代の地下で何が起きたのか分かったのは、その後、研究が進んでからだった。

 それによればこの群発地震は、火山地帯でもない場所に地下からマグマが上がって来て起こしたものだった。そしてマグマは途中で冷えて固まってくれた。大量の水も、マグマが地下深くから運んできたものだった。

 北海道函館の沖の津軽海峡でも1978年から1982年にかけて群発地震が起きて観光客も減った。震源は沖なのに函館でも38回の有感地震を感じた。

 これも上がってきたマグマが起こしたもので、マグマは途中で止まったと考えられている。

 火山がないところだと安心してはいけない。どこにマグマが上がってくるかわからないのだ。

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