島村英紀『夕刊フジ』 2022年4月22日金曜)。4面。コラムその442「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

石垣島を壊滅させた日本最大の大津波

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「石垣島を壊滅させた日本最大の大津波 地震のマグニチュードの割に大きかった原因海底地滑り=v

 

 政府の地震調査委員会が南西諸島から日本海南西部の地震活動について、新たな見解を3月末に発表した。だが南西諸島南部の八重山諸島では不明点が多いので確率評価の対象外になった。

 それは、ある地震津波が元だ。1771年の「八重山地震津波」である。琉球海溝が震源で大津波が八重山諸島を襲った。東日本大震災が日本海溝に潜り込む太平洋プレートが起こしたのと同様に、琉球海溝から潜り込むフィリピン海プレートが大津波を起こしたのだ。私が学生のときには津波の高さが100メートルにも達した日本史上最大の津波と習った。その後の調査で約30メートルとなったが、日本最大級だったことは間違いがない。

 この津波で八重山諸島の政治と経済の中心だった石垣島が壊滅した。石垣島の人口の半分にもなる約8000人が死亡・行方不明になった。

 当時の沖縄は琉球王国で日本とは別の国だった。この津波も中国の元号を取って「乾隆大津波」と言われていた。

 琉球王朝は被害復興のために、被害が大きかった地域に他の島から入植させた。いまだに石垣市街の中心部と外とは方言や文化に違いがある。

 じつは石垣島の海溝に向いた東海岸には途方もない大きさの石がいくつも転がっている。大きなものは大型バス二台ほどの岩で1000トンもある。これらの巨岩はいくつもの大津波が海底から持ってきたものだ。サンゴが作った石灰岩で、上に大きな木が茂っている。

 それぞれの巨岩がいつの津波で上がってきたものか、最近の研究で明らかになってきている。

 これらの巨岩のうち、35トンほどの重さの岩は1771年の津波で上がってきたものだった。

 しかし200トンの岩は1771年の津波では動かず、もっと前の約2000年前の大津波で1000トンの石とともに上がってきたことが分かった。

 つまり、大津波は過去何度も琉球海溝で起きて、1771年の津波よりももっと大きなものも襲ってきたことがあったのである。

 不思議なことがある。1771年の津波は地震のマグニチュード(M)から想定されるよりずっと大きなものだったことだ。地震としてはそれほど大きくはなく、震源に近い石垣島で震度4相当で、地震動による被害はなかった。

 その割に津波が大きかったのは地震断層が起こした津波だけではなくて、海底地滑りが起きたと思われている。

 世界各地で、地震が直接発生させるよりも大きな津波が起きたことがある。グリーンランドやニュージーランドで、M4クラスの小地震でも大きな津波が生まれて被害を生んだことがある。

 恐ろしいことに、最近の研究では150〜400年の周期で大規模な津波が来襲したことが分かってきた。私たちは、その最後の1771年のものしか知らないのだ。「次」がいつかは今の学問では分からない。

 だが確実に「次」が来る。しかも、いつ襲ってきても不思議ではない時期になっている。

 現在は地震のMと地震断層の動きから津波の高さを予測して警報を出している。しかし海底地滑りはその予測を超えるものかもしれないのだ。 

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