島村英紀『夕刊フジ』 2022年3月18日金曜)。4面。コラムその437「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

慶長の大津波は東日本大震災なみの規模だった

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「慶長の大津波は東日本大震災なみの規模だった 崩れた500年周期説 「南海トラフ」や「首都圏直下型」不意打ちの可能性」


 京都や奈良など西日本では、書かれた地震の歴史は、長ければ3000年以上。しかし東北日本や北海道では、わずか200年あまりしかたどれない。これはもっぱら、文字を持たなかった先住民族が住んでいたせいだ。

 たとえば、1611年の慶長奥州(三陸)津波は大津波が襲ってきたことは伝えられていたが、どのくらい大きな津波を起こしたかは分かっていなかった。

 書いた歴史ではなくて、物言わぬ地層から過去の津波を探ろうという研究が行われた。岩手県北部にある野田村の沿岸部が実験地に選ばれた。過去3000年分の地層が切れ目なく残っている場所だ。同地は高さ800メートルの小高い内陸にあり、大きな津波しか駆け上がれない。

 この研究では地層の年代を垂直方向にミリ単位の高密度で測定する新たな手法で、14〜17世紀の津波堆積物の正確な年代特定を試みた。

 過去の大津波がいくつか見つかった。なかでも慶長の津波は2011年の東日本大震災(マグニチュード=M=9.0)と同じ程度の巨大津波だったことがわかった。地震はモーメントマグニチュード8.8と推定された。

 従来言われていた享徳津波(1454年)は、それほど大きな津波ではなかったことも確認された。野田村の高台に津波の痕跡はなかったのだ。

 享徳津波が大津波だったという伝承ゆえに三陸地方では大津波を500年周期とする学説があった。今後、どのような大津波が襲って来るのか、その目安として、今後数百年は来ないという説がもっぱらだった。

 やがて明治三陸地震(1896年、Mは8.2〜8.5)が起きた。

 明治三陸地震は大津波を生み、21000人以上が犠牲になった。地震動による被害は地震の大きさの割には少なかった。津波の被害は太平洋を超えて米大陸にも及んだ。

 この地震は北アメリカプレートと太平洋プレートが幅50キロメートル、長さ210キロメートルにわたって12 〜 13メートルずれ動いて起こしたと思われている。

 しかし、さらに1933年に昭和三陸地震(M8.1) が起きた。これは明治三陸地震と「組になっている」地震で、37年後の1933年に起きたアウターライズ地震と考えられている。この地震も犠牲者1500名以上を生むなど甚大な津波被害をもたらした。

 さらに2011年の東日本大震災も起きた。つまり、三陸沖で大地震は約500年に一度だから当分来ないという説は崩れ去ったのだ。最近400年間は100〜200年間隔の発生頻度よりもはるかに多い。

 明治三陸地震は三陸沖で北アメリカプレートと太平洋プレートが大規模にずれ動いたという意味では2011年の東日本大震災と同じである。
 大津波が襲ってくる規模や周期は予測困難で、むしろ不規則と考えるべきだろう。

 恐れられている南海トラフ地震や首都圏直下型地震も、政府が言っている周期説にとらわれず、不規則に起きると考える必要がある。

 地震に備えることは無駄ではない。だが日本は地震国。どこでも、いつでも、不意打ちがありうるのだ。
 
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