島村英紀『夕刊フジ』 2014年3月7日(金曜)。5面。コラムその42 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

安心情報になりさがった津波警報
『夕刊フジ』公式ホームページでの副題は「気象庁の情報発信のまずさ

 東日本大震災(2011年)であれほど多くの津波の犠牲者が出てしまったもうひとつの要因がある。気象庁からの情報発信のまずさだ。

 気象庁は「津波警報」と「津波の現況」を発信した。その両方ともに問題があった。

 最初の津波警報発表は14時49分だったから、地震が起きてから3分で出た。その意味では十分に早かった。しかしその警報が「岩手県と福島県の沿岸は3メートル以上」と小さすぎた。実際に襲ってきた8〜10メートルを超えた津波よりはずっと小さかったのだ。

 実際の津波の大きさよりも小さめの津波予報を出してしまったのは、気象庁の地震や津波の観測システムが「緊急地震速報」シフトになっているなど、この種の超巨大地震に対応できない仕組みになっていたためである。

 その後、気象庁は15時14分になって、予想される高さを「10メートル以上」と変更した。だが、このときにはすでに地震後30分近くがたっていた。飛び出していった地元の消防団や海岸の水門を閉めに出動した人々は、この後からの追加や訂正をちゃんと聞いていたかどうか疑わしい。

 前回に話したように、いままで警報通りの津波が来たことはない。小さすぎる津波警報はそれに輪をかけた。人々の油断を一層誘ったに違いない。

 もうひとつの問題もあった。それは、気象庁が14時59分に「大船渡で20センチの津波を初めて観測した」と速報したことだった。テレビやラジオなどのメディアも、15時3分から「鮎川50センチ、大船渡と釜石は20センチ」と気象庁の発表通りに伝えた。

 地元の人からのメールが私のところに来ている。「この津波到達の第一報を見た市民が10センチ、20センチという数字を報じられて安心しないわけがありません。この数字を出していなければ、もっと急いで逃げてくれたかもしれないのにと思うと今も残念で仕方がありません」。無念さがにじむ。

 「気象庁がまた津波予報を外した」「予報で3メートル、6メートルとか出ても、やっぱり実際にはそんなに大きな津波は来ないんだなぁとホッとした」と思った人も多かった。

 つまり、気象庁の発表が「安心情報」になってしまったのだ。

 この「現況の値」そのものは間違いではない。これらは津波の第一波の大きさだった。海岸にある「検潮儀(けんちょうぎ)」で実際に記録した観測値である。気象庁はこの現況の観測値を昔から発表し続けてきた。

 第一波がたまたま最大のときは、これでもいいかもしれない。たとえば、1982年の浦河沖地震(マグニチュード(M)7.1)では第一波が最大だった。最大の津波が、しかも押し波として到着したのだった。

 しかし東日本大震災を含めて多くの場合は、第一波よりは後続の波のほうがずっと大きいことがよくある。気象庁が知らなかったはずはあるまい。

(写真は釜石での津波被害=島村英紀撮影。このほかの東日本大震災の津波被害は

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