島村英紀『夕刊フジ』 2021年3月19日(金曜)。4面。コラムその389「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

先史時代のウィルス研究始まる
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「先史時代のウィルス研究始まる

 新型コロナウイルスが猛威をふるっている。18日午前現在、世界で1億2000万人超、日本でも45万人超が感染して、死者も世界で約267万人、日本でも8700人超に達している(米ジョンズ・ホプキンス大集計)。

 この流行はスペイン風邪に匹敵する。20世紀のはじめに世界で患者数約6億人、2000万から4000万人が死亡したとされているスペイン風邪は、やはりウィルス起源の病気だ。

 だが、スペイン風邪のウィルスがどこかに保存されているわけではない。このため、いまだに研究が続けられている。

 私はノルウェーの西北に拡がるバレンツ海の地球物理学の研究で北緯75度のスピッツベルゲンを訪れていたが、そのときに墓を掘り起こしている科学者がいた。

 土葬の遺体にウィルスが冷凍保存されているのでは、と遺体の一部を取り出す研究である。各地に住む末裔(まつえい)の許可を取ったほか、中が負圧になるテントや、密閉箱など、ウィルスが出てこないような周到な準備もした。

 しかし、墓を掘る研究は空振りに終わった。遺体は天然の冷凍庫である永久凍土層よりも浅いところになってしまって、遺伝学的サンプルは得られなかったからだ。

 もっと古いウィルスを調べる研究も始まり、この2月に発表された。ロシア国立ウィルス学・生物工学研究センター。融解した永久凍土層から出土した動物の死骸を分析することで、先史時代のウィルスの研究を始めたのだ。いまはウマにとりかかっているが、将来は永久凍土に閉じ込められていたマンモス、ヘラジカ、イヌ、げっ歯類、野ウサギなどの先史時代の動物の死骸も調査する。

 地球温暖化が進んで、永久凍土が解けはじめている。このために建物や道路や石油パイプラインの破損や土砂崩れなどを起こしている。昨年の5月にもロシア北部の都市ノリリスクで、永久凍土の融解で火力発電所の巨大な燃料タンクが倒壊。軽油21000トンが流出した。これは北極圏で史上最大の燃料流出事故になった。

 しかし永久凍土の融解はそれだけではすまない。細菌の研究はある程度進んでいるが、そのほかに動物の死骸に巣喰ったウィルスの研究もしなくてはならない。これらの研究によってウィルスの流行がわかる。

 すでに、永久凍土に長年閉じ込められていた感染症が出てきている。2016年にロシア極北シベリアで炭疽(たんそ)が集団発生して、子ども1人が死亡している。

 炭疽とは炭疽菌による急性感染症で、急性敗血症で死に至ることもある。ヒト以外にウシやウマ、ヒツジ、ヤギなど草食獣にも感染する怖い病気だ。炭疽は病気を起こすことが証明された最初の細菌でもある。

 第二次世界大戦以降、生物兵器として各国の軍事機関で研究され厳重に管理されている。だが軍事機関から流出し、2001年には米国で殺人に利用されたことがある。事件は郵送で行われ、5名が死亡、数十人が罹患(りかん)した。

 炭疽菌だけではない。永久凍土が溶けることによって、人類が知らない細菌やウィルスなどが解き放たれる恐れがある。
 いまの新型コロナウィルスよりもっと怖いウィルスが出てきて世界で流行するかもしれない。

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