島村英紀『夕刊フジ』 2020年9月18日(金曜)。4面。コラムその365「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

なぜか終わった上高地の群発地震
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「いつの間にか終わった上高地の群発地震 なぜここで始まり、なぜ終わったのか…分からないことがまだ多い」

 長野・上高地(かみこうち)付近で続いていた群発地震が、いつの間にか終わってしまった。

 この群発地震は今年の4月から始まった。大きめの地震ではマグニチュード(M)3.8が4月22日、23日にM5.5、5月19日にM5.4、29日にM5.3、7月5日にM4.8の地震が発生するなど、活動が盛んになった。

 大きな地震とともに雪崩も発生した。新型コロナウィルスのせいで登山客は少なくて、幸い誰も巻きこまれなかった。

 有感地震(身体に感じる地震)は7月までに225回にもなった。これは震度計が置いてあるところだけの統計だから、地元ではもっと多くの地震を感じたに違いない。

 ところが8月以降、地震活動は回数、規模ともに低下し、ときたまM2.0を超える地震が発生しているだけになった。

 群発地震は収まってしまったのだ。なぜ終わったのかは分からない。

 群発地震は、日本のあちこちで起きている。

 有名なのは長野県・松代(まつしろ)の群発地震で、年に5万回もの有感地震に揺すぶられた。

 群発地震が始まったのは1965年夏。地震の回数が増えるにつれて大きい地震も混じり、9回も震度5に襲われた。震度が5だと家が倒れる心配もある。地震の多いときは日に700回。地震計だけが感じる小さな地震は日に7000回以上。地震が続いて夜も眠れない。

 1年半ぶりにようやく群発地震が終わった。

 松代の地下で何が起きたのか分かったのは、その後、研究が進んでからだった。

 それによれば、この群発地震は、活火山地帯でもない場所に地下からマグマが上がって来て起こしたものだった。群発地震の終わりに大量に出てきた水も、マグマが地下深くから運んできたものだった。そしてマグマは途中で冷えて固まってくれた。

 北海道・函館郊外の湯の川温泉沖の津軽海峡でも1978年から群発地震が起きた。一度終わったかに見えた群発地震がぶり返して、終止まで4年もかかった。震源は沖なのに函館で38回もの有感地震を感じた。

 これも上がってきたマグマが起こしたもので、マグマは途中で止まったと考えられている。

 火山がないところだから、と安心してはいけない。日本では、どこにマグマが上がってくるかわからないのだ。

 もちろんマグマが地表まで上がってくれば噴火になる。世界的にも、火山があると思われていなかった場所で噴火が始まるのは珍しいことではない。

 今年の上高地の群発地震にも、まだ分からないことが多い。現場は活火山焼岳の足元だから、マグマが上がってくることは十分に考えられる。焼岳は1915年に噴火して観光客に人気の上高地の大正池を作った。

 上高地では1998年にも群発地震があった。

 震源は上高地を離れて北の穂高(ほだか)連峰や槍ヶ岳の地下へ移動した。始まったのは夏だったが、同年秋になると群発地震は長野・富山の県境付近で消えてしまった。

 群発地震にはなぜここで始まったのか、なぜ終わったのかなど、分からないことがまだ多い。 

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