島村英紀『夕刊フジ』 2020年9月11日(金曜)。4面。コラムその364「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

新しい彗星の出現と太陽系の謎
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「新しい彗星の出現と太陽系の謎 ハレー彗星以来の明るさ「ネオワイズ彗星」」

 実際に見た人は多くないに違いない。ハレー彗星(すいせい)以来の明るさになった「ネオワイズ彗星」だ。この彗星は7月上旬が一番明るかったが、あいにく日本では梅雨の曇り空に阻まれて、ほとんど見えなかった。いまは暗い。

 しかし、明るいときに世界各地ではよく見えた。典型的な「ほうき星」で、長く尾を引いていた。彗星は流れ星とは違って移動は日周運動だから、尾を引いたまま天空に止まって見える。

 彗星はどのくらい明るくなるかの予測が難しく、予言が外れた例は多い。この彗星は明るい方に予測がずれた。発見当時は17等級の明るさだったが、6月には眼に見えるほどになり、7月上旬には1〜2等級になった。

 彗星は太陽に接近すると熱で溶けて消えてしまうことも多い。明るくなることが予測された二つの彗星、2013年にアイソン彗星、今年5月にアトラス彗星が崩壊した。

 毎年、数百個の小彗星が太陽系の内側を通過するが、肉眼で見える彗星は10年に1個ほどだ。

 何もないところから突然現れ、ゆっくりと消えていく彗星。そのため、王の死や国の滅亡、大地震などの災害、疫病などの凶事を予告すると信じられ、出現が恐れられた。

 いちばん有名な彗星は「ハレー彗星」だ。明るいし、75.3年周期で必ず現れる。中国では紀元前に4回現れたことも文献に記録されている。

 近代になっても騒ぎが起きた。前々回の1910年のときには、ハレー彗星の尾に含まれる猛毒成分で地球上の生物はすべて窒息死するという噂が広まった。彗星の尾には有毒のシアン化合物が含まれていることが、当時知られていたからだ。

 全財産を遊びにつぎ込む者が続出した。どうせ死ぬのだからという客で繁盛した花柳界では彗星が歓迎されさえした。世界滅亡を憂えて自殺する者も多かった。

 このほか、地球上の空気が5分間ほどなくなるという別の噂も広まった。裕福な者は、当時自動車はほとんどなかったから自転車のチューブを買い占めてチューブ内の空気を吸って一時的な酸素の枯渇に備えた。チューブを買えない者は水を張った桶で息を止める訓練をした。

 だが、地球が尾の中を通過しても、ハレー彗星のガスは地球の厚い大気にはばまれて地表に到達することはなかった。

 ハレー彗星が現れた最新の1986年にはもちろんこの種の噂は消え、天体ショーとして楽しんだ時代になった。

 ところで、彗星は太陽系が誕生した時期に生まれた天体だ。それゆえ彗星が太陽熱で溶けて吹き出すジェットのガスやダストを分析すれば、太陽系ができた当時のことを知る手がかりになる。彗星核の表面が溶けてダストが放出されるが、ダストを望遠鏡で見ることによって、ダストがもともと彗星核にあった時の状態を知ることができる。

 今後も、ネオワイズ彗星が遠ざかるときに色と偏光データにどんな変化が起きるのかを観測して彗星内部の化学成分に変化があるか調べる。

 ハレー彗星が次に見られるのは2061年だが、ネオワイズ彗星の次は6800年後だ。めったにない機会を天文学者は追っているのである。

この記事
このシリーズの一覧

島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ