島村英紀『夕刊フジ』 2020年8月28日(金曜)。4面。コラムその362「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

南海トラフ地震、半数弱が事前避難「しない」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「南海トラフ地震、半数弱が事前避難「しない」 静岡県が「県民意識調査」」

 この春、静岡県は「南海トラフ地震についての県民意識調査」の結果を発表した。「南海トラフ地震臨時情報」の発令にともなう1週間の事前避難を半数近くが「しない」と回答した。また、その情報について「知っている」と答えた人は15%にとどまった。知っている人も少ないし、多くの人は無視をしたということだ。

 静岡県は南海トラフ地震に直撃されると想定されている。清水、静岡、御前崎は震源の真上に位置している。かつて「東海地震」が起きると言われたが、起きないまま40年が過ぎた。いまは、もっと震源の範囲が広い南海トラフ地震が起きて、その東端の一部として東海地震が起きると考えられている。いずれにせよ静岡県は震源の真上にある。

「南海トラフ地震臨時情報」とは2019年5月から運用を始めたもので、巨大地震発生の可能性が高まった際に注意をうながすものだ。

 2018年9月に行われた政府の防災会議で認められた有識者会議の報告書では「地震予知はできない。大震法(大規模地震対策特別措置法)を運用するのはむつかしい」とある。学問的には前から分かっていたが、政府は白旗を揚げたわけだ。

 地震予知を前提とする大震法の警戒宣言によって、新幹線や東名高速道路が止められ、住民避難などが一斉に始まることになっていた。

 しかし大震法は廃止されなかった。地震予知ができないということを突然言い出されても、現地が戸惑うのは当然のことだ。

 このために政府や気象庁は、あわてて「南海トラフ地震臨時情報」を出すことにした。それは「前震や地殻変動などの異常現象に基づいて住民に避難をうながす情報を出す」というもので、できないはずの地震予知そのものである。

 南海トラフ地震は以前の繰り返しが知られている。だが、たった1回だけの成功例から1週間の間、避難しなさいと命令されるのは心外であろう。

 いままでの例だと、前回の1944年12月の東南海地震のあと、1946年12月に南海地震が起きた。2つをあわせて南海トラフ地震の先祖だと考えられている。このときは2年あいている。

 その前の1854年には安政地震が二つ起きたが、そのときには東半分が起き、32時間たってから西半分の大地震が起きた。これが「南海トラフ地震臨時情報」に当てはまる唯一の例だ。

 もうひとつ前の1707年には宝永地震も、その前の1605年の慶長地震も一挙に起きた。

 大震法で言ってきた「地震予知ができる、地震前に警報が出る」ということを刷り込まれてしまった地元では、二階に上ってはしごを外されたようなものだ。静岡県民が「大震法による警戒宣言」ではなく「南海トラフ地震臨時情報」が指示する事前避難を半数近くが「しない」と、「する」の倍も回答したのは政府の右往左往を反映している。

 いまの科学では、住民に避難を呼びかけても、数日以内に大地震が起きる可能性はごく低いと言わざるをえないのだ。

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