島村英紀『夕刊フジ』 2020年8月14日(金曜)。4面。コラムその360「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

千島海溝の大地震「切迫」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「最後の17世紀の津波からの経過時間を考えると… 千島海溝の大地震「切迫している」」

 この4月に発表されたのが千島海溝の巨大地震だが、その後、忘れ去られている。首都圏などで地震が続いたり、新型コロナウィルスのためだ。

 これは、過去6000年間に起きた津波による堆積物を分析した結果を取り入れたものだ。陸地で穴を掘って過去の津波で海からの砂が上がってきていないかを調べた。

 日本で地震計を使った地震観測が始まったのは明治年間の1885年である。それまでは機械による観測はなく、それゆえ地震の震源も大きさも正確な記録がない。

 プレートは同じように押して来ているわけだから、同じような海溝型の地震が繰り返して起き続けていたはずだ。どんな大きさの地震がいつ起きたのか、という昔の地震の繰り返しの歴史を知って、これから起きる地震の予知にも役立てようとしているのである。

 このため、昔の地震について知るために昔の記録や日記から地震の歴史を調べる調査がある。歴史地震学という分野だ。古文書は過去の地震や津波の貴重な記録である。

 ところが、古くから都のあった近畿地方では歴史の資料が豊富で数多くの地震が記録されているが、歴史の資料が少ない地方では知られている地震の数が少ない。

 もちろん、記録に残っている地震が少ないといって、その地方で発生した地震が少ないわけではない。

 たとえば北海道ではわずか200年前の地震の記録は、もうない。19世紀になっても遺跡に頼らないと昔の地震が調べられないことがある。これは人口が少なく、そのうえ文字を持たない先住民族が文字記録を残してこなかったせいだ。東北地方でも同じだ。

 札幌市が行っていた遺跡調査で、石狩地震(1834年)での液状化の跡が見つかった。ここは、いまは住宅地の中にある札幌市内北部の北海道大学農場だ。液状化ゆえ震度6だった可能性が強い。

 震源から20キロも離れた札幌市内でこれだけの震度だったことから、マグニチュード(M)6.4と思われていた地震はもっと大きかったことが分かった。ちなみに当時は内陸にある札幌にはほとんど人が住んでいなかった。日本海に面した海岸沿いだけにわずかな人が住んでいただけだった。

 このため北海道や東北地方では、人が残した記録のない昔に、津波がどのくらい上がってきたかの調査が大事になる。

 4月の末に発表された調査では、北海道から東北沖の海溝型の巨大地震の間隔が300〜400年で起きていた。最後の17世紀の津波からの経過時間を考えて、最大クラスの津波を生む地震が「切迫している」と発表された。「切迫」といっても、数年以内かもしれないし百年を超えるかもしれない。現在の見積もりはまだあいまいなのである。

 今回の調査で、北海道から青森、岩手にかけて12〜13世紀と17世紀にそれぞれ30メートル級の津波が起きたことが分かった。そのほか、北海道から東北地方の太平洋沖で6000年がさかのぼれた。

 そもそも地震の歴史は、日本人が住み着いて記録を残してからに比べてずっと長い。私たちが知らない昔の地震が数多く起きていたのである。

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