島村英紀『夕刊フジ』 2020年6月19日(金曜)。4面。コラムその353。「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」
軽油の大量流出は永久凍土の融解が原因
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「軽油の大量流出は永久凍土の融解が原因 一層の温暖化や病気蔓延の可能性も」
日本では北海道・大雪(だいせつ)山頂など限られたところにしかない永久凍土だが、北半球の大陸の4分の1を占める。カナダ、ロシア、米国アラスカ州の北極圏に広く拡がっている。その名の通りカチカチに固まった地盤で、掘ることは容易ではない。
5月末に、ロシア北部の都市ノリリスクで大量の燃料油が流出した。火力発電所の巨大な燃料タンクが倒壊して軽油2万1000トンが流出したもので、北極圏で起きた史上最大の燃料流出事故だった。環境の浄化には何年もかかる。
同市は人口10万人を越える都市では世界で最も北にあり、年に250〜270日は雪に覆われる。地下には永久凍土が拡がっている。燃料タンク倒壊の原因は永久凍土の融解だった。タンクの土台が崩れてしまったのだ。
じつは永久凍土が地球温暖化の影響で世界中で溶けだしているのが大問題になっている。
永久凍土の融解は建物、道路、石油パイプラインの破損や土砂崩れの発生などを起こしはじめている。しかし融解はそれだけではすまない。 永久凍土の土壌には地球大気の約2倍の炭素が含まれている。推定1.7兆トンの炭素が凍結した有機物として閉じ込められているのだ。永久凍土が融解すると、この有機物が温められて腐敗するから、土壌に含まれている二酸化炭素やメタンとして放出される。これらのガスは温室効果による温暖化を地球に及ぼす。
それだけではない。永久凍土に長年閉じ込められていた感染症を引き起こす細菌やウィルスなどが、永久凍土の融解で解き放たれる恐れがある。
すでに事故が発生している。2016年にロシア極北シベリアで炭疽(たんそ)が集団発生して、子ども1人が死亡した。これは永久凍土に閉じ込められていた炭疽菌が出てきたと断定された。
この他にも、昔の天然痘患者の埋葬地などで、凍土層中に埋められて休眠状態にある他の病原体が地球温暖化で「目をさまして」活動を再開する恐れがあるのだ。
20世紀のはじめに世界で多くの死者を生んだスペイン風邪は、新型コロナウィルスのように世界中で蔓延(まんえん)して猛威をふるったウィルスだ。だがウィルスそのものがどこかに保存されているわけではないので、いまだに研究が続けられている。
私はバレンツ海の地球物理学の研究で北緯75度のスピッツベルゲンを訪れていたが、そのときに墓を掘り起こしている科学者がいた。土葬の遺体にウィルスが冷凍保存されているのでは、と遺体の一部を取り出す研究である。末裔(まつえい)の承諾を取ったり、中が負圧になるテントや、密閉箱など、ウィルスが出てこないような周到な準備もした。
しかし、墓を掘る研究は空振りに終わった。遺体は天然の冷凍庫である永久凍土層よりも浅いところになってしまって、遺伝学的サンプルは得られなかったからだ。
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2019年に発表した報告書では、永久凍土の大部分が今世紀末までに融解する可能性がある。
永久凍土の融解で、世界的な一層の温暖化や病気の蔓延がもたらされる可能性が大きいのだ。
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(写真は「島村英紀が撮ったスピッツベルゲンの写真」から)