島村英紀『夕刊フジ』 2020年6月12日(金曜)。4面。コラムその352「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

アフリカで1000年前の津波の遺跡を発見
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「地震の揺れを人々は全く感じず… アフリカで1000年前の津波の遺跡を発見」

 スマトラ沖地震(2004年)では津波で23万人以上が津波で死亡した。被害は広くインド洋全体におよび、7000キロ離れたアフリカでも150人以上の死者が出た。しかしこのアフリカでの数字は、津波の第1波がアフリカ大陸に到達したのがたまたま極端な干潮時だったので、それでも被害が限られていたのだ。

 ところで、いまのアフリカ東部・タンザニアで多くの住民が犠牲になった津波の遺跡が見つかった。放射性炭素による年代測定で約1000年前だった。5月に学術誌で明らかにされた。この遺跡は、人骨が見つかった津波の遺跡としては東アフリカで最初で、世界的にも最古のもののひとつだ。

 この津波を起こした地震は、はるかインド洋の東端にあるスマトラ沖で起きた地震だった。

 スマトラ沖地震は、スマトラ海溝を舞台にしてオーストラリアプレートがユーラシアプレートに衝突する最前線で起きる。2004年の地震に限らず、たびたび起きていて、そのひとつがこの1000年前の遺跡を襲った地震なのである。

 ここは、当時スワヒリ族が暮らしていた漁村だった。格子状の木に土を塗って壁を作って家を建て、魚や貝殻でビーズを作り、簡素だが機能的な陶器も使っていたことが遺跡から知られている。

 この村はタンザニアの沿岸から数キロ内陸に入ったパンガニ川の河畔だから、まさか津波に襲われるとは思ってもいなかっただろう。地震はインド洋の反対側だったので、地震の揺れを人々はまったく感じなかった。

 遺跡からは、海の魚、小型海洋軟体動物の殻、海の両生類も見つかった。数キロ下流のインド洋から水が押し寄せたことは明らかだった。

 掘り出された骨には切り傷や病気の痕跡がどこにもなかったから、戦争や病気が原因とは考えられない。突然襲ってきた津波で村が破壊され、多くの人が溺れて死亡し、瓦礫に埋まってしまった。村人は老いも若きも溺れてしまったのだろう。

 インド洋の東端で起きる地震からの津波が、繰り返しアフリカで壊滅的な被害を出していたのだ。これからも、長くても1000年に1回ほどの頻度で発生するに違いない。

 タンザニアの最大の都市ダルエスサラームは海岸沿いにあり、世界で最も急成長している都市だ。現在の法律上の首都はドドマだが、実質的な首都機能は、経済の中心地となっている旧首都・ダルエスサラームにある。ここは2030年までに人口1000万人を超える大都会になって、21世紀末までに7000万人を超えるという。

 日本でも地震を感じないでいきなり津波に襲われることがあり、ひとごとではない。1876年の明治三陸地震では2万人以上、1933年の三陸地震では3000人以上もの津波犠牲者を生んでしまった。ともに太平洋プレートが日本列島を載せているプレートと衝突する最前線の地震だ。

 この二つの地震とも、地震の揺れをまったくか、ほとんど感じなかった。いきなり大津波に襲われた東アフリカと同じなのである。

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