島村英紀『夕刊フジ』 2020年5月15日(金曜)。4面。コラムその348「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

はるばる月から来た隕石
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「数多い隕石の中でごくわずかだが…はるばる月から来た隕石 」

 地球は宇宙に浮いている球だ。多くの人が忘れているが、天井があるわけではない。このため、隕石(いんせき)がたくさん落ちてくる。流星「群」は多くの隕石が地球に落ちてくるから「群」になるわけだし、流星群のないときでも落ちてくる隕石は多く、流れ星は多い。

 数多い隕石の中で、ごくわずかだが、月から来たものがある。

 元々は大きな隕石が月に激突したに違いない。彗星だったかも知れない。そのときのすさまじい衝撃で月の表面の岩が欠け飛んで四方八方に飛び散った。そして、ごくごく一部の石が地球までの大旅行をすることになった。

 月から地球へやって来た「かぐや姫」。それがこの隕石だ。月から地球までの38万キロもの旅をして地球にたどり着いた。月から見た地球の視直径(角直径)は1.2度にすぎない。ピッチャーから見たストライクゾーンよりもずっと小さいから、ねらったとしても難しい。

 めったにない大旅行だが、月からの脱出可能な速度は地球から脱出するのにくらべれば小さい。月の引力は地球より弱いから、毎秒2.4キロメートルを越える速度で飛び出せば、月の引力圏から脱出することができる。これは地球から脱出する場合の6分の1の速度だ。

 この脱出速度は引力の大きさによる。引力の強さはその天体の重さに比例するので、月は地球の4分の1の大きさしかないからだ。

 このほか、月には、飛んで行く石にブレーキをかける大気がないことも幸いした。

 いままでに地球で発見された隕石の多くは南極で見つかった。白い氷の上に黒っぽい隕石があるので、見つけやすい。アフリカ北部にある世界最大の砂漠、サハラ砂漠でも隕石が多数発見されている。これも、南極の氷の上に落ちたのと同じで隕石が目立つところだ。

 2年前にサハラ砂漠で見つかった月から来た隕石は13.5キロもあった。これは、アポロ16号の宇宙飛行士が1972年に地球に持ち帰った最大の月の岩は11.7キロだったから、それより重い。地球で見つかった月の隕石としては5番目に大きいものだ。

 ちなみに、月から来た隕石かどうかは、化学成分や同位体組成をアポロ計画で持ち帰った月の岩と比較することによって確かめられる。それゆえ、月からの隕石と同定されたのはアポロ計画以後である。

 この隕石は、オークション運営会社のクリスティーズから売りに出されることになった。販売価格は3億円近い。富豪の客間に飾られるのだろう。科学者の手には届かないところに違いない。月から来た隕石に限らず、隕石は天体や宇宙の起源を知るための貴重な研究材料だ。一個一個に系統的に番号が付けられて詳しく研究されている。

 いくつもの月の岩が月を旅立った。旅をしていた月の岩のうちのごくわずかは、地球に落ちた。地球に落ちなかったほとんどの「かぐや姫」たちは、もちろん地球での値段も知らず、はるか宇宙の果てまでの旅をしているのだろう。

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