島村英紀『夕刊フジ』 2019年4月5日(金曜)。4面。コラムその292「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

500年前に徳島で起きた悲劇
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「地震もなくいきなり大津波が… 500年前に徳島で起きた悲劇」

 徳島県の最南端に宍喰(ししくい)町がある。農業と漁業を生業とする小さな町だ。面積の9割以上が森林で、温暖な気候に恵まれたところである。現在は海陽町の一部になっている。

 四国南部の太平洋に面したこの町では、過去たびたび、南海トラフ地震の「先祖」が起こした津波に襲われてきた。

 この街にはすぐ後ろに「助命」山と呼ばれてきた山がある。正式な名前は愛宕山だが、津波から多くの命を救ってきた山だ。一生の間に3度も津波に襲われて、この山に逃げて助かった人もいる。大地震が来れば山に逃げる、というのが染みついているのが、ここの人々なのだ。

 ところが、約500年前に、なんの地震もなく、いきなり大津波が襲ってきて大被害を生んだことがある。1512(永正9)年9月のことだ。この津波で、死者は村の7割の約3,700人にも達し、近くの山に登るなどした数十人の村人だけが助かった。

 津波は地震以外の原因で起きたに違いない。

 最近、徳島の沖合約20キロの海底にある海底地滑りの跡について詳しい調査が行われた。それによれば、陸から近い大陸棚斜面で、幅6キロの斜面に4か所、200から300メートルの地滑りの跡が見つかった。

 この地滑りが永正の大津波の原因だった可能性がある。ただし、海底の調査では、いつ起きたものかは分からない。

 海底の地滑りが陸上よりもずっと小さな斜面の角度でも起きてしまう。

 海底の地滑りは世界中で起きている。たとえば米国カリフォルニア州沖では海底の勾配がわずか0.25度だったのに大規模な地滑りが起きた。米国東部のミシシッピ河のデルタではわずか100分の1度の勾配のところでも海底地滑りが起きた。ともに、津波の被害はないのが幸いだった。

 規模が大きいものもある。1929年に米国東岸で起きたものはマグニチュード(M)7.2のグランドバンクス地震が引き金を引いた。この地震がカナダの大西洋岸のすぐ沖で起きたときに、カナダの大陸斜面にあった12本の海底電線が、上から次々に切れていったのである。海底電線だから、切れた時刻が記録されていた。

 13時間かかって28ヶ所も切断された。順番に海底電線が切れていったのだ。地滑りが走り抜けた速度は最大で時速100キロメートルを超えていた。

 いちばん上の海底電線から一番下までは1,100キロも離れていた。東京から稚内の距離よりも長い。このときに海底で起きた地滑りは広さが2万平方キロメートル、体積は200立方キロメートルという途方もない量だった。2万平方キロメートルとは東京都の10倍にもなる面積だ。

 徳島沖以外にも、地滑りの痕跡は南海トラフ沿いに無数にある。

 たとえ身体に感じないほど小さな地震でも、あるいは地震が起きなくても、地滑りが起きて津波に襲われる可能性があるのだ。

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