海がない国、スイスで津波の研究が1年前から始まった。ベルン大学と連邦工科大学チューリッヒ校の協力で4年間の研究計画である。
スイスでは中世以来の石造りの建物が多く残っているのと同じく、ずいぶん昔の地震の歴史も残っている。
たとえば1356年に同国北部で地震が起きた。この地震のマグニチュード(M)は約7で、バーゼル市を壊滅させた。私はスイスのテレビ局の取材を受けたことがある。他国ではほとんど知られていないが、さすがにバーゼルで地震があったことはよく知っていた。
そのスイスで1601年9月18日の夜中、M5.9の地震が起きた。この地震は中央スイスで大きな被害を生んだ。それだけではなく、スイスで4番目に大きくて猪苗代湖よりも大きいルツェルン湖で8メートルの津波が起き、少なくとも8人の死者が出た。この地震では、まず湖底が滑りはじめて、湖の周りの山の一部が湖に沈んだと記録されている。
こういった地震の再来を恐れているのだ。スイスには大きな湖が多くて湖岸に山が迫っているので、湖底に地震が起きたり湖に地滑りが流れ込んだりして津波が起きる可能性は低くはない。
スイスなどアルプス北端は、中程度の地震危険地帯である。これはアフリカプレートがヨーロッパ大陸が載るユーラシアプレートを押していることによるもので、もっと南のイタリアやギリシャではずっと地震が多い。
すぐ南のイタリアで地滑りでダムの水があふれ、2000人以上が犠牲になったことがある。
このダムは「バイオントダム」で、1960年の竣工当時には262メートルというダムの高さは世界一だった。
このダムを1963年、記録的な豪雨が襲った。そして湖岸の山が大規模な地滑りを起こし、膨大な土砂がダム湖になだれ落ちた。土砂の量は2億立方メートル以上で、地滑りの時速は100キロを超えたという。
このために大きな津波が発生し、対岸では谷の斜面を高さ250メートルまで駆け上って部落を呑み込んだ。また、大量の水がダムを100メートルもの高さで乗りこえて下流の村々を襲った。
大災害を起こしたダムはその後裁判沙汰になり、住民を避難させなかったとして8人の関係者が有罪となった。ダムはその後、放棄された。
日本でも大きな湖やダム湖での津波は起きる。たとえば2008年6月の岩手・宮城内陸地震(M7.2)で荒砥沢(あらとざわ)ダム上流で土砂崩落が発生してダム湖へ流れこんだ。このダムは洪水調節と灌漑(かんがい)を主な目的とした多目的ダムだ。
崩落した土砂によって6メートルを超える津波が発生した。だが、梅雨入りを前に貯水量を下げていたことや、土砂はダム貯水容量1350万立方メートルの1割程度だったことで津波がダムを越えなかった。
津波の面では岩手・宮城内陸地震はたまたま運が良かったと言える。
だが、これからも、湖で津波が起きて被害を生むことは、日本をはじめ、世界中で起きるかもしれない事件なのである。
(写真はルツェルン湖、中央は有名なカペル橋(Kapellbrucke)。1983年に島村英紀撮影。撮影機材はオリンパスOM-1、フィルムはコダクロームKR)
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