島村英紀『夕刊フジ』 2018年8月3日(金曜)。4面。コラムその259「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

積丹半島沖地震 被害少なかった78年前 今度起これば大惨事に
「夕刊フジ」公式ホームページの題は「被害少なかった78年前…今度起これば大惨事「積丹半島沖地震」」

 札幌で身体に感じる地震(有感地震)は年に5回もない。首都圏が1〜2週間に一度は有感地震があるのに、その1/10ほどだ。それゆえ、かつて北海道西部からその沖にかけては、日本で一番地震がないところだと考えられていた。

 だが、北海道南西沖地震が1993年に起きてから、けして地震がないところではないことが分かった。これは東北から北海道の日本海の沖に、それまでは知られていなかったプレート境界があって、それが地震を起こしていることが分かったからだ。

 この新しく発見されたプレート境界では、西からユーラシアプレートが迫り、東から北米プレートが衝突してきている。それゆえ、プレート境界に起きる海溝型地震があるところだったのだ。

 ただしこのプレート境界は太平洋岸沖のように活発ではない。地震を起こす頻度も低い。

 だが、いったん地震を起こすと海溝型地震の常で、マグニチュード(M)8クラスか、それに近い大地震になる。M8とM7は地震のエネルギーで32倍も違う。つまり海溝型地震は阪神淡路大震災(M7.3)のような直下型地震よりずっと大きな地震が起きるのだ。

 いまからちょうど78年前の1940年8月2日に起きた積丹(しゃこたん)半島沖地震はMが7.5〜7.7という大地震だった。

 この地震がプレート境界で起きる海溝型地震のひとつとして改めて脚光を浴びている。つまり1983年に秋田沖で起きた日本海中部地震(M7.7)や北海道南西沖地震(M7.8)の仲間だと分かったからである。そして1833年に山形沖で起きた庄内沖地震(M7.5〜8.0と推定)も仲間ではなかったかと思われはじめた。

 しかし、積丹半島沖地震が起きたのは戦時中で、被害を報道することは固く禁じられていた。

 軍需工場が多かった名古屋地方を1944年に襲った「逆神風」、東南海地震もそうだ。1944〜1945年に麦畑がいきなり400メートル以上も盛り上がった北海道・室蘭近くにある昭和新山の噴火も報じられなかった。これらの天災は、戦意喪失を恐れた政府から見れば、国民の目に触れてはならないものだった。

 じつは、積丹半島沖地震が起きたときには北海道全体で地震計は3つしかなかった。それゆえ、震源やその広がりなどは、はっきりしない。

 当時は北海道の人口は少なく、地震が大きい割には被害も大きくはなかった。それでも死者10人。死者は天塩(てしお)川河口で溺死したものだ。津波は利尻(りしり)島で3メートル、天塩、羽幌(はぼろ)で2メートルあり、遠く京都府でも1メートルを記録した。

 このほか住家全壊26、漁船の流失や損壊が942という記録がある。

 だが、もし今度起きれば、話がちがう。北海道西部には人口200万近い札幌のような都会もあり、泊原子力発電所もあるので、積丹半島沖地震当時の被害ではすむまい。これから数万年の管理を要する核のゴミ処理のための北海道西北部の幌延(ほろのべ)の研究施設も心配なのだ。

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