島村英紀『夕刊フジ』 2013年11月1日(金曜)。5面。コラムその25:「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

国内に3ヶ所の地震多発地帯

 転勤族の多い札幌や福岡にいたら、東京から来た人に「最近、いつ地震を感じましたか」と聞いてみるといい。「えっ、そういえば近頃、地震を感じていないなあ」という答えが返ってくるはずだ。

 東京で地震(有感地震=人間が感じる地震)を感じる回数は、年によって違うが年間に30回ほど。これは、普通は2週間もあかないで地震を感じるということだ。それに対して、札幌や福岡では年に5回もない。

 日本全体で見ると、大地震の余震を除けば、少ないところでは年2、3回しかない。北海道の北部や西部、中国地方の日本海側、それに徳島県から瀬戸内海を横切って北九州へかけての地方といったところだ。

 一方、年に50回以上も地震を感じているところが日本に3ヶ所ある。釧路から根室にかけての太平洋岸がそのひとつだ。ここは千島海溝という世界でもっとも地震活動がさかんな海溝に面しているから地震が多い。ここでは太平洋プレートが北米プレートと衝突している。

 もうひとつは和歌山市の周辺の狭い地域だ。ここは大地震は起きないが小さい直下型地震がよく起きる。このため東京帝大(いまの東大)の地震学者だった今村明恒がかつて私財を投じて地震観測所を作った。この観測所は東大地震研究所が引き継いで研究を続けているが、なぜここに地震が集中するのか、いまだに分かっていない。

 そしてもうひとつは、茨城県南西部から千葉県北部にかけての地域だ。

 ここに地震が多いことは江戸時代以前から知られていた。ナマズが地震に関係があることも広く信じられていた。また当時はナマズは地震を予知するばかりではなくて、地震を起こす元凶だとも考えられていた。

 このため、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮と千葉県香取市の香取神宮にそれぞれ「要石(かなめいし)」という石が埋まっていて、これが地下のナマズを押さえているといわれている。

 要石そのものは、地上には十数センチしか出ておらず、見える直径も40センチほどの小さなものだが、地下深くまで達している「霊石」である。古墳の発掘をしたことでも知られる水戸黄門(徳川光圀)は好奇心が強かったのであろう、要石のまわりを掘らせてみたが、夜に作業を中断すると掘ったはずの穴が朝には埋まっていた日が続いた。このため昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、ついに石の底には達しなかったという。17世紀のことだ。

 現代の科学で見ても、首都圏の地下はプレートが4つ(太平洋プレート、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート)も入りこんで衝突しているところだから地震が多い。なかでも茨城や千葉は、地下で歪みが溜まりやすいところなのである。

これほど多くのプレートが衝突しているところは世界でも珍しい。首都圏に住む人々は日本有数、いや世界有数の地震多発地帯の上に住んでいることになる。

(写真は2枚とも「安政地震漫画」から要石のナマズ絵。擬人化がきわまって、ナマズの胸から下は人間のそれであるのが面白い)

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