島村英紀『夕刊フジ』 2018年5月18日(金曜)。4面。コラムその248「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

ハザードマップの教訓と課題
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「ハザードマップの教訓と課題 常に更新の努力必要だが…中小自治体では限界」

 7年前の東日本大震災はまだ終わってはいない。いくつかの裁判がまだ決着が着いていないし、防潮堤や土地のかさ上げ工事が続いている。

 津波被害で悲惨だったのは、いったん避難した人々を襲った「二次」被害だ。各地で裁判になっている。

 
岩手・釜石市鵜住居(うのすまい)では、防災センターに逃げ込んだ少なくとも162人が犠牲になった。

 過去たびたび行われた津波の避難訓練では、ここに逃げ込むことが行われた。高齢者のことを考えて、本来の高台の避難場所でなくて市内にあるここで訓練が実施されたからだ。この配慮が裏目に出た。

 この防災センターは津波発生時に逃げ込む「一次避難場所」ではなく、中長期の避難生活を送る「拠点避難所」だった。鉄筋コンクリート2階建てだが、海抜4メートルしかない。襲ってきた津波よりずっと低い。

 裁判は仙台高裁までもつれ込み、高裁では和解を勧告している。しかし解決までは、まだ遠い。

 宮城・石巻市立大川小学校ではハザードマップで安全だとされた場所で84人の犠牲者を生んだ。

 地震後に学校から校庭に逃げ出した児童や先生たちが、事前にハザードマップで指示されていた近くの川の堤防に向かった。小学校は北上川沿いにある。海から4キロも離れていて海は見えない。学校よりも堤防の方が少し高い。だが、その堤防は津波に呑み込まれてしまった。

 大川小学校はすぐ裏に山が迫っており、そちらに逃げれば悲劇は起きなかった。また4年前に全校児童と先生らが植樹した高台の「バットの森」へ逃げれば助かったかもしれない。

 先月末、大川小の控訴審判決が仙台高裁であり、学校や自治体を訴えた遺族側が勝利した。高裁の判断は、ハザードマップへの依存を否定して、学校現場など防災対策に見直しを迫った。

 このほか、岩手・大槌(おおつち)町の江岸寺でも、逃げ込んだ20人以上が津波の犠牲になった。百人以上という説もある。避難場所ではなかったのに数十年にわたって町が避難訓練を行っていた。

 これらはいずれも、自治体側の落ち度がある。よかれと思ってやった自治体の政策が裏目に出てしまったこともある。

 頼るものは既存のハザードマップしかなかったが、問題はハザードマップを信じてはいけないことが明らかになったことだ。

 かつてはハザードマップは、観光客が減るという理由で、作成や配布に抵抗があった。1991年の九州・雲仙普賢岳で火砕流で43人の死者を生んでから、ようやく全国各地で作られるようになった。

 しかし、ハザードマップは、いったん作ったから安心ということはない。新しい学識は増えていて、常に更新の努力が必要なのだ。しかし、ほとんどのハザードマップは、そうではない。

 そのうえ、数十年、あるいは数百年に一度襲って来る大きな災害に対応するには、中小の自治体は非力である。防災担当者は自治体にも学校にもごく少なくて、しかもふだんからほかの仕事に追われている。

 このことは来るべき南海トラフ地震にも大きな課題になろう。

(写真上は多くの人が犠牲になった鵜住居の防災センター、取り壊しが始まっている。手前は、かさ上げされた土地の上に「新設」された山田線。まだ列車は走っていない(2018年4月に撮影)。下の写真は石巻の大川小学校跡。自慢だった2階どうしをつないでいたガラスの渡り廊下は津波で無惨な姿になった (2018年4月に撮影)。

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