島村英紀『夕刊フジ』 2016年10月14日(金曜)5面。コラムその170「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

地震が引き起こした大洪水
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「地震が引き起こした大洪水 地震の被害は震害だけではない」

 今年は、日本に台風が8つも上陸した。洪水や浸水のニュースが飛び交ったが、じつは、過去1万年で地球上で起きた最も大規模な洪水は地震が起こしたものだ。

 伝説だった黄河の大洪水が実際に起きていて、その原因が地震だったことを示す研究論文がこの夏に発表された。米国の科学誌サイエンスに掲載された。

 この研究によれば、紀元前1900年頃に起きた地震の土砂崩れで、山峡を通る黄河がせき止められた。

 なにせ黄河。中国でも第二の大河。たいへんな水量だ。地震で出来たダムが半年ほどで持ちこたえられなくなり、崩れて水が下流の低地帯を襲った。16立方キロという途方もない量だった。

 研究のきっかけは「喇家(らつか)遺跡」の発掘が行われたことだ。中国のポンペイとも言われ、地下に埋まっていた村が発掘され、大規模な地震後の洪水によってこの村が埋められたことが分かった。

 この大洪水は、その後、中国最古の王朝、夏の成立につながった。王朝の始祖、禹は黄河の治水に成功して、はじめての王国を作ったとされる。川岸の浚渫(しゅんせつ)や水路の変更を行ったのだ。

 地震によって起きた地崩れが川をせき止めて洪水を起こした例は中国だけではない。日本にもある。

 長野県で、地震で出来たダムが決壊して大洪水を起こしたことがある。

 1847年に信州(いまの長野県)で起きた善光寺地震。死者は市中だけで2500人にもなったが、この地震の震災はそれだけではなかった。

 この地震による山崩れは、4万ヶ所以上にも及んだ。なかでも、犀川右岸の岩倉山(虚空蔵山)の崩壊は日本史上、もっとも大規模な山崩れになった。

 斜面の崩落は、犀川(さいがわ)をせき止めて高さ50メートルにもなった。巨大な堰止め湖が作られ、いくつもの村が水没してしまった。

 その後堰止め湖の水は増え続け、地震から20日後には、ついに決壊して洪水を起こした。

 洪水の高さは、犀川が善光寺平に出る長野市付近で20メートルにもなった。このため下流の集落がこの洪水に襲われて、流失家屋810棟、死者100人余りを生んだ。

 決壊は予想されていたので下流域の人は避難していたが、それでも、これだけの被害を生んでしまったのだ。

  マグニチュード(M)6.8を記録した新潟中越地震(2004年10月23日)のときも、この堰き止めが起きた。だが土木工事で必死に水を抜いたので、大規模な二次災害は防がれた。

 しかし、そのほか山崩れや土砂崩れが起きて鉄道や道路がいたるところで分断されてしまった。

 2004年は夏から秋にかけて台風が過去最多の10個も上陸して例年になく雨が多かった。7月に新潟県一帯で大規模な水害が起き、雨のせいで地盤が緩んでいた。

 もともと地滑りが起こりやすい地形だったうえに、地震の前に雨が多かったために、地震で多くの土砂崩れが起きたのだ。

 間の悪いときに地震が起きてしまったのだが、地震の被害は震害だけではないのだ。

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