島村英紀『夕刊フジ』 2016年6月10日(金曜)5面。コラムその154「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

パニックを恐れるあまりに起きた悲劇
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「パニック恐れるあまり起きた悲劇 雲仙普賢岳の噴火から25年」

 長崎県・雲仙普賢岳(1483 メートル)の噴火から25年がたった。地球物理学者は苦い思いを噛みしめている。

 2014年に起きた御嶽山の噴火までは戦後最大の火山災害。43人の犠牲者を生んだ。だが、この噴火も御嶽山の噴火と同じく、火山の専門家の警告の仕方によっては、被害がここまでは大きくはならなかったはずだ。

 雲仙普賢岳は1990年11月に198年ぶりに噴火して、その後も噴火は拡大していた。

 翌1991年5月の下旬から発生した火砕流が小規模ながら衝撃的だったことから「いい画を撮りたい」という取材競争が過熱して、多くのメディアが「定点」と呼ばれた地点に入っていた。ここは山を正面から望める場所で、「避難勧告」が出ていたが、強制力はなかった。

 そこに6月3日の大火砕流が襲いかかったのだ。犠牲になったのはメディア関係者や外国人の火山学者たちだけではなかった。報道関係者が雇いあげたタクシーの運転手、地元の消防団員、警察官など24名もいた。

 避難して無人になった人家に侵入して電気や電話を使った数社のテレビ局クルーがいて住民に不安が高まっていた。このため消防団員や警察官が現地に入っていて巻き添えになった。

 一方、前日には島原市議会選挙があり、火砕流当日は当選議員の祝賀会があって火砕流に見舞われた地区の住民たちは出かけて留守だった。

 しかし、もし火砕流が一日遅れていたら、もっと大きな災害になったのに違いない。火砕流に見舞われた地区で、噴火で遅れていた葉タバコを住民総出で収穫することが翌日に予定されていたからだ。

 この大火砕流の前、5月25日に九州大学・島原地震火山観測所に集まった専門家たちは、夕刻に発表する火山情報で「火砕流」という語を使うかどうか、緊迫した議論をしていた。全国の火山噴火予知連委員との電話会議も行われた。火砕流という言葉を使うことによってパニックが生まれることを恐れたからだった。

 火山の専門家の頭には1902年にカリブ海の火山モンプレーで3万人近くが焼け死んだ火砕流が思い浮かんだに違いない。大騒ぎになることを恐れて、表現を穏やかにしてしまったのだ。

 この結果、発表された火山情報には末尾に次の文が添えられただけだった。「九州大学、地質調査所等の調査によれば5月24日の崩落現象は小規模な火砕流だった」。発表後に気象庁本庁で行われた記者説明会では、この記述について、深刻な事態でないことが言い添えられた。

 だが「小規模ではない」火砕流が起きて、大きな被害を生んでしまった。

 パニックが起きるのではないかと恐れて情報を出さないことを、心理学では「パニック神話」という。だが、情報を出すことによってパニックが生じた例は、実際にはほとんどないのである。

 火山学者として正確な情報や見通しを出さなかったことで、専門家と住民の信頼関係を失った結果がこの災害だったのだ。

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