島村英紀『夕刊フジ』 2016年3月25日(金曜)。5面。コラムその144 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

認定が急がれる「本震」に先立つ「前震」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「解明が急がれる”前震”のメカニズム ”本震”来て初めて分かる”前震”」

 前回は1927年3月7日に起きた北丹後地震について書いたが、2011年の東日本大震災の陰に隠れてしまった3月に発生したもうひとつの大地震がある。

 その地震は「地震の前に潮が引いた」ことと「顕著な前震」があったことで知られている。

 日本海岸で起きた浜田地震。浜田県浜田町(現在の島根県浜田市)を襲った。

 起きたのは1872年(明治5年)3月14日。マグニチュード(M)は7.1。直下型地震で、犠牲者は約550人、家屋全壊は4500棟を超えた。当時の人口密度や家屋の数を考えれば、大変な被害だった。

 本震の数十分前から潮が引き、沖合300メートルのところにある鶴島まで海底が出た。このため、漁師が歩いていってアワビを手づかみにしたという言い伝えが残っている。

 その後本震が起き、大きな押し波が押し寄せた。

 地震後の調査から、この地震の本震は、横ずれ断層が起こした直下型地震だということが分かっている。だが、どう計算してみても、潮がこれほど引いたことが再現できないのだ。

 計算で再現できる「潮が引いている時間」は、どんな地震断層を仮定しても、せいぜい200秒。これでは漁師が歩いて行ってアワビを獲ることは出来まい。

 潮が引いたことは事実なのだろう。だが、なぜこれほど長時間、潮が引いたのかはナゾとして残っている。

 もうひとつ、この浜田地震の特徴は前震があったことだ。本震の半日ほど前から小さな地震があり、1時間前にはかなり大きな前震があった。ふだんから地震が少ない山陰地方なので、前震だと分かったのだ。

 この逆の例が、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震(M9.0)の2日前に起きた地震だ。Mは7.3。相当大きな地震で、青森県から福島県の太平洋沿岸に津波注意報が出た。岩手県大船渡で 55センチの津波を観測し、宮城県栗原市では震度5弱、青森県から福島県の広い範囲で震度4の揺れも記録した。

 結果的には、この地震は東北地方太平洋沖地震の前震だった。

 ある新聞社に「これは前震では。いずれもっと大きな地震が来るのでは」と問われた東北大学の地震の教授は「前震ではない」と明言した。しかし2日後に「本震」が来てしまったのだ。

 地震学は「前震ではない」と明言できるレベルではない。正確な答えは「前震かどうか分からない」と言うべきであったのだ。

 東北地方沖ではよく地震が起きるので、このM7.3の地震を前震として認識することは出来なかったのである。

 昔から地震予知の手段として前震の認定が期待されてきている。だが、前震は「オレが前震だよ」といって起きてくれるわけではない。起きるのはほかの地震と区別がつかない「普通の」地震なのである。

 あとから「本震」が来たときに、前震だったと初めて分かることがほとんどだ。もちろん、単発の地震が起きて、その後になにも起きない、つまり前震ではなかったことも多いのである。

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