島村英紀『夕刊フジ』 2015年7月10日(金曜)。5面。コラムその110 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

戦災に追い打ちをかけた巨大地震
「夕刊フジ」公式ホームページの題は「戦災に追い打ちをかけた巨大地震”福井地震” 誘発地震の学説も」

 福井地震といっても地元以外では知っている人は少ないかもしれない。

 いまからちょうど67年前、1948年に福井市とその近郊を襲った地震。直下型地震としてはすさまじい地震だった。福井平野の北部では98〜100%もの家が倒れてしまった町や村があった。

 阪神淡路大震災(1995年、M7.3)以前には半世紀も戦後最大の犠牲者約3800人という不名誉な記録を保持していた。

 マグニチュード(M)は7.1だった。M8も珍しくない海溝型地震とくらべては地震のエネルギーは小さかったが、人々が暮らしているすぐ下で起きる内陸直下型地震はこのくらいのMでも大被害を生むのである。

 人口全体に対する死者の数がこれほど多かった地震もめったにない。福井市のすぐ北に接する現在の坂井市では、死者が人口の5%にも達した。これは福井市全体の1%や阪神淡路大震災のときの神戸市の0.3%とくらべてもはるかに多かった。

 これは地盤が軟らかかったので地表での揺れが大きくなってしまったことによる。福井市とその周辺の市町村が載っている堆積盆地が地震の揺れを増幅してしまったのである。この堆積盆地は福井盆地を流れ、坂井市で日本海に注ぐ九頭竜川(くずりゅうがわ)が作ったものだ。

 じつはこの地震の被害が大きくなってしまったもうひとつの要因があった。

 福井市は地震の3年前の1945年、敗戦のわずか1月前に米軍機による大規模な無差別爆撃(空爆)を受けていた。このため2万戸以上が焼失、9万人以上が罹災し、死者数も1500人を超える甚大な被害を出していた。

 これは1945年に日本の中小都市を軒並み襲った爆撃のひとつだった。地方都市への爆撃としては、この福井市への爆撃は全国でも有数の大規模なもので、富山市、沼津市に次ぐものだった。

 戦後すぐ襲ってきた福井地震は福井市民にとってはダブルパンチだったのである。

 空襲の大被害のためにその後に建てられた多くの住宅は急造のバラックなどの弱い住宅だった。これが倒壊率が高かった一つの原因になった。

 福井地震の震度はいまならば十分に震度7にあたるが、当時はまだ震度は6までしかなかったので公式記録には震度6としてしか記録されていない。この福井地震の大被害を見て翌年気象庁は震度階に震度7を追加した。実際に震度7がはじめて記録されたのは阪神淡路大震災だった。

 この福井地震は誘発地震ではなかったかという学説がある。その4年前の1944年に起きた海溝型地震、東南海地震(M7.9によって引き起こされたという説だ。大地震は震源域の外側で誘発地震を起こすことがある。

 いまの福井市には地方都市には珍しく広い通りが走っている。これは福井地震で壊滅的な被害を受けたあとに行われた都市計画のおかげなのである。

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