島村英紀『夕刊フジ』 2015年5月8日(金曜)。5面。コラムその101 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

世界の気候にも影響を及ぼす火山灰

 いまからちょうど200年前、現在に至るまで世界最悪の噴火が起きた。

 1815年4月にインドネシアのタンボラ山が大噴火を起こしたのだ。

 噴火で村が丸ごと消滅し、インドネシアでの噴火による直接の死者は1万人にのぼった。そして噴火後の食料枯渇のため餓死や流行した疫病を含めてインドネシアでは9万人もの死者を出してしまった。

 しかしそれだけではすまなかった。影響は世界中に及んだのだ。

 噴火があった1815年の夏は世界的に異常な低温になった。上空高く舞い上がった火山灰は世界中に拡がり、地球に降り注ぐ太陽熱を遮って世界の気候を変えてしまった。

 米国北東部では6月に雪が降るほどの異常低温になった。英国やスカンジナビア半島でも5月から10月まで長雨と低温が続いて農作物が不作になった。

 ヨーロッパでは食料難から各地で暴動が発生した。なかでもスイスは深刻だった。子どもに食べ物を与えられなくなった母親たちが、飢餓で苦しんで死んでいくわが子を見るに堪えず自らの手で殺害した。彼女たちは後に裁判にかけられ、斬首刑となった。

 翌1816年も世界各地で「夏のない年」と言われた。噴火後5年間にもわたって、世界各地で太陽が異常に赤っぽく見えたり、太陽のまわりに大きな輪が出現する「ビショップの環」が見えたりした。噴火で舞い上がった火山灰は、それほど長い間、世界中の空を漂っていたのである。

 もっと大きな影響があった噴火も過去にはあった。

 同じインドネシアのクラカタウ火山は西暦535年に大噴火して地元にあった高度な文明が滅びてしまった。だがそれだけではすまず、この噴火による気候変動を発端として、東ローマ帝国の衰退が起き、イスラム教が誕生し、中央アメリカでマヤ文明が崩壊し、少なくとも四つの新しい地中海国家が誕生し、ネズミが媒介するペストが蔓延したことなど、人類にとっての大事件が次々に引きおこされたのではないかと言われている。

 じつはクラカタウ火山は1883年にも大噴火した。このときも北半球全体の気温が下がるなど世界の気候が変わってしまった。数年にわたって異様な色の夕焼けが観測された。ノルウェーの画家ムンクが1893年に制作した代表作「叫び」は、この夕焼けがヒントになっていると主張している学者もいる。

 今年4月に南米チリでカルブコ火山が43年ぶりの噴火をして、地元で6500人もが避難を強いられた。

 この噴火での火山灰は15000メートルまで上がった。成層圏だ。この高さまで上がってしまった火山灰は世界をめぐる。

 もし火山灰の量が多ければ、1815年のタンボラ山ほどではなくても世界の気候に影響するかもしれない、と地球物理学者は心配しているのである。

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