『日経サイエンス』「科学の窓」、1996年4月号、14−15頁

地球像をめぐる芸術と科学の対話
――ウィーンで実験的なシンポジウム

 冬のヨーロッパは大西洋から離れて東へいくほど寒くなる。雪に包まれたウィーンの夜景は美しい。しかしこの1月のウィーンの町は砂利にまみれていた。クリスマスの後に降った大雪で、雪を融かすために恒例の塩を撒いても追いつかずに、歩道にも車道にも、おびただしい砂利を撒いたからである。

 昨年(1995年)12月からこの1月の終わりまで、ウィーン・キュンストハレ(kunsthalle美術館)がウィーン・アルベルティーナ版画素描館と共催で意欲的な展覧会が開かれた。「信仰・希望・愛・死」と名付けられた美術展である。ウィーン・アルベルティーナ版画素描館の膨大なコレクションから15世紀を中心にしたキリスト受難図などの宗教画を集め、20世紀の現代美術と対比させるという珍しい取り合わせである。

 これは新進の美術史家であるクリストフ・ガイスマー・ブランディ(ドイツ)、エレノラ・ルイス(オーストリア、ウィーン・キュンストハレの学芸員)、ゲルハルト・ヴォルフ(物理学で有名なドイツのマックスプランク研究所がイタリア・ローマに持つヘルツィアナ図書館の学芸員、今年からベルリン大学教授)の3人が企画した展覧会で、中央の第一室には古今の地球像や地球儀。そのまわりにある中央部の何室かにテーマを分けて15世紀の版画や素描が、そしてそれぞれの部屋のさらに外側にある部屋に、そのテーマに対応する20世紀の美術が展示されている。展覧会は多くの人を集めて賑わっていた。

 この展覧会に付属して、1月11日から14日まで、さらに意欲的で実験的なシンポジウムが開かれた。過去に描かれた、あるいはこれから拠るべき地球像を仲立ちにして世界各国から美術史家、芸術家、自然科学者の合計20人ほどを招待して「地球の像−−身体とイメージ」と題して開かれたものだ。私は一人だけの東洋人で、気候の変遷を研究しているドイツの気候学者とともに自然科学者として招待された。

 会場は旧ウィーン大学であるオーストリア科学アカデミー。観光地としても有名なシュテファン教会の裏手の旧市街の広場に面した美しい建物だ。ここのホールではハイドンベートーベンがいくつもの自作を演奏した由緒ある建物でもある。

 美術が顕そうとしているものやその表現の根底には、その時代の地球像、または世界や人間について人々が知りうるすべて、つまり宗教が教えたり科学が獲得した知識があったし、いまもあるはずである。それがシンポジウムの動機だった。

 美術としての人体像が地球像や宇宙像に対比されるときには、安易に調和的な共生を促したり、ガイアとしての地球を賛美するのではない。それぞれの像をあらゆる角度から観察して解析し、人体や地球や宇宙を解釈しようという、じつは自然科学が目指したり到達したりしているのと同じ底意があるはずだとヴォルフは言う。

 シンポジウムは地球像と人体像を対比しながら進められた。「横軸」としては地球と人体の表面や外観が、「縦軸」としては地球や人体の内部がテーマになった。

 「横軸」では内部に原因や起源をはらみながらも、実際には表面にあるものしか見えない地球と人体について、美術と科学のアプローチが紹介され、討議された。美術面からの地球像の変遷を追うために、英国の美術史家クリスティン・リッピンコットは絵画に描かれた地球儀を3000も調べた。もちろん地球が丸いことが分かってから登場した地球儀だが、3〜4世紀のあいだは天球儀とともに知識の象徴の時代が続いたが、やがてその役目は消えた。地球儀には国別の色が塗られ領土を示すようになったからである。

 オランダの美術史学者は近年の美術史から見た地球像の変遷について話した。人類が宇宙から見た漆黒の宇宙に浮かび上がる青い地球は、新しい神にさえなるのではないかと思われたほど地球のイメージを大きく変えた。しかし、やがて国際通信会社など商業広告に多用されるようになり、手垢のついたありふれたものになってしまった。

 現代の地球像として、大陸や島や海といった自然のほか、人間が引いた世界の国境とか、人工衛星からの画像を解析した森林や作物や汚染状況など、エコロジーに関連する美術や科学のさまざまな地球像が語られた。

 私は、私たちが欧州各国と共同してこの十年来続けている海底地震観測で、かっての大陸が割れて大西洋が誕生し、拡がって今にいたる歴史を追っている研究を紹介した。また地球物理学からは、地球の表面というものは内部の反映ではある、しかし永遠なものとして与えられたものではなくて、次々に生まれて更新していく途中のごく不安定なものだという近年の研究の知見を述べた。

 ドイツの気候学者マティアス・クーレは海水準の過去の変化や、二酸化炭素など最近から将来にかけての人間活動の寄与について話し、何でも地球温暖化に結びつける最近の傾向はヒステリックではないかと述べた。

 後者の「縦軸」の討論では、地球と人体の内部、あるいは内部へ至る過程や事象が語られた。

 私は、地球の内部を調べるためにボーリング(穴掘り)など直接的な方法や、地震波を使った内部透視などの手法があり、いま科学としてどう取り組まれ、どのような像が得られているのかを話した。

 人体のほうでは、「縦軸」としてキリストの割礼や磔、また宗教や芸術で人体を傷つけいたぶって人体の内部をさらすことについて、現代の美術史の解釈が語られた。

 パネラーの発表以上の時間を討論に割いたこともあって、芸術、美術史、自然科学それぞれの立場や考え方が活発に議論された。現代の芸術と科学がおたがいに刺激を与え合いながらひとつの総合的な人類の文化を形づくるべきだというシンポジウムの狙いは十分に達せられたというべきであろう。私の発表は興味をひいたようで、多くを学んだ、と芸術家やガイスマーらから言われた。

 もちろん私にとっても勉強になった。

 これは私の持論だが、最前線の科学者は孤独な戦士である。科学者とは、外から見れば研究の成果というエサを追って車輪を廻し続けるハツカネズミにすぎないのかも知れない。ときには国家や会社という見えない巨大な掌の上で踊っている「芸者」なのである。

 私も含めて、科学者とは研究の成果というニンジンを求めて馬車馬のように走り続けることを自らの職業として選び取ったものである。研究の成果を得ることはもちろん無上の喜びであり、生きがいでもある。その研究とは、癌の研究でも、地震予知の研究でも、また新兵器の研究であってさえも、科学者の研究のやりかたも、また科学者としての生きがいも、そう変わるものではない。

 しかし、科学を進めるものが科学者なのだから、科学者自身も、目の前のエサのことばかりではなくて、自分がまわしている車輪や、自分が乗っているかも知れない巨大な掌について思いをいたすべきではないのだろうか。文化はそのためにあるのだと思う。

 いろいろな意味で科学が問われている時代だが、目先の研究目標という短期的にはともかく、科学というものは自らの動機だけでいつまでも走り続けられるものではなかろう。科学も、芸術と同じように、それを理解し支援する広範で総合的な文化の不可分の一部のはずである。

 今年秋から来年にかけて、神奈川県立近代美術館や札幌にある芸術の森美術館など全国5カ所で個展を開く前衛彫刻家アントニー・ゴームレイ(英国)はこの展覧会でも作品3点を展示し討論にも積極的に参加した。「人類は神の子であることをやめた。さて、どういう世界を作っていくのかが問われている」という。

 科学と芸術、科学と他の文化との交流や連携は、神を失い、次の神だった青い地球も手垢にまみれてしまった不透明な現代にこそ必要なものなのであろう。

 ところで、このシンポジウムを主催したのはIFK(ウィーン国際文化研究センター, Internationales Forschungszentrum Kulturwissenschaften)。1992年に設立されたばかりのホヤホヤの組織だ。知識と学問と芸術の国際的な交流を図るコーディネーターを自称している意欲的な国立研究所である。

 産業としてはほとんど観光しかないオーストリアだが、過去の文化の遺産だけで食っているのではない。古い文化の蓄積に新しい血を加えようとする意欲的な試みも行っているのである。

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