『大地の不思議』(静岡新聞・特集面「週刊地震新聞」)、2001年7月24日〔No.25〕

科学者の「5年」 行政の「1年」

 科学者という職業がある。辛辣な評論家である劇作家の別役実さんを例外にして、一般には、その言うところが信用できる人だと思われている。ちなみに、別役さんは科学者を詐欺師かまじない師の仲間だと思っているらしい。

 さて、地球科学者である私もその科学者の一人だが、薄氷を踏む思いのことがある。それは、地球の事件についての見通しを話さなければならないときだ。

 これが、物理学者や天文学者だったら、どんなに気楽だろう。物理法則がすでに分かっていることを予想するのは易しい。イチローが打ったボールの初速と方向だけが分かれば、あとは目隠しをされても、それがどこに落ちるか、ホームランになるかどうかを予測するのは私にだってできる。方程式に数字を入れれば結果が出るからだ。日食や月食も簡単に計算できる。たとえば二〇一二年五月二〇日には静岡県で金環食が見えることは、すでに計算されている。

 一方、地震や噴火の予測は、はるかに難しい。そもそも事件が起きる法則が分かっていないし、地下での「準備」を正確に把握することができないからだ。

 法則を適当に仮定し、現在の状態も適当に仮定することではじめて、ある結果が出る。だが二つの「適当な仮定」が妥当だったかどうかは確かめようがない。仮定を変えれば結果も違ってくる。

 昨年(2000年)秋からの全島避難がいまだに続く三宅島は、どの科学者にとっても見通しが難しい。担当である噴火予知連絡会は、ある科学者に依頼して、毒ガスの放出が止まるまでの期間を計算してもらった。

 もちろん、十分なデータがあるわけではなく、法則も分かっていない。「適当な仮定」を重ねた結論は、毒ガスが静まるまでに短くて5.5年、長くて26年というものだった。

 しかし、公式の発表文は「一年以上」になった。ウソではない。だが、行政的な判断が加えられたのである。避難中の島民や地元自治体をがっかりさせまいという配慮が働いたのだろう。

 ところで、こういった行政判断の陰で、科学はどこへいってしまったのだろう。

 あいまいさや、分かっていないことをどう正確に伝えるのか、ここには大きな問題がある。役所が発表文の数字を書き換えればすむ問題ではあるまい。地震についても、他人事ではない。


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