日経サイエンス1997年4月号書評
『地震列島との共生』 島村英紀著
四六判119頁 岩波科学ライプラリー1030円

 地震予知ほど関係者それぞれの思感に違いがあるものはないかもしれない。マスコミを含めた国民は「予知ができる」ことに期待し,政府はそれを“事業”として推進している。また,多くの研究者は地震予知の難しさを最もよく知っているが,むしろ「予知」をてこに地震研究の拡大を図っている。著者が指摘しているように,三者は同床異夢の状態にあるわけだが,誰も今の研究や予知体制の見直しを言い出さない。やはり,今のままでいるのが居心地がよいのだろうか。

 アイスランドに日本海にと,海底地震の研究に飛び回っている著者は,本書の中で,地震予知の難しさあるいは現在の予知法の無力さを述ぺ,むしろ今必要なことは地震発生のメカニズムを知る基礎研究だと説く。

 
ぺ一ジ数が少ないながらも,日本の地震に関するおおよそのことがすっきりまとめて書かれている。しかし,著者が言いたかったことは,タイトルにもあるように,地震や火山噴火といった自然災害と人がうまくつき合う術(すべ)と知恵をもつ,ということであろう。また,科学者はもっと社会との接点をもつぺきだ,とも言っている。同感である。

北海道新聞書評 1997年3月16日書評
『地震列島との共生』島村英紀

 ここ何年間かの間に立て続けに日本を襲った阪神淡路大震災など数々の大地震。惨状や衝撃はまだ記憶に新しいが、日本や周辺にはなぜこれほど地震が多いのか。本書はその理由やメカニズムを地球物理学者で北大理学部教授である著者が、最新の学説や研究成果を積極的に取り入れながら、一般の読者にも理解できるよう分かりやすくまとめたものだ。

釧路沖地震、北海道南西沖地嚢、北海道東方沖地震など、近年、北日本を襲った大地震のいくつかは、地震学者の予想を超えた地震であったことなどを解説。一方で、まだ完全に認められてはいないものの、最近、最前線の科学者らに、地震などをもたらす地球の構造を解くカギとして注目され始めている新たな仮説などにも言及し、その内容を紹介している。本書には、読者にとっては初めて耳にする、輿味深い知識や情報も多いはずである。

 ただ、書名からもうかがえるように、この本は読者の知的好奇心を満たすために書かれたものでは決してない。現代の科学が解明できること、できないことを直視した上で、地震にどう備えるべきか、科学者の立場から材料を提供し問いかけるところに最大の主眼がある。数々の被害から学んだ教訓を未来に生かすためにも、本書が投げかけている問いには、重いものがある。

「赤旗」1996年12月30日書評
『地震列島との共生』島村英紀

地震とどうやって共生するのだろうか、と思いながら読みました。全体を通して、私たちが住んでいる地球、日本列島とはどういうところなのかをよく知ってほしいという著者の気持ちが貫かれています。

「地球は死んだ星ではない」「地震や火山の噴火は、地球という星が進化の途上で起こしているもっともダイナミックな事件である」「なぜ日本に地震が多い」---著者自身の体験もまじえながら解きあかしています。地震予知について著者は、「どんな前兆をどう捕まえたら確実な地震予知ができるのかは、まだわかつているわけではない」といいます。それでは、地震災害を防止するにはどうすればよいのか---。

「日本の地震の歴史とは、あいにくと地震に対する備えが、いつも地震より遅れて地震を追いかけてきた歴史でもあった」と指摘。阪神・淡路大震災をまねいた要因の一つとして、「行政や経済政策の問題」をあげたうえで、次のように書いています。

「いまでも、心身の障害に苦しむ人や、生活を再建する見通しが立っていない人が多い。仮設住宅での孤独死は地震後1年半で100人を超え、なかには死後10ヶ月も放置された例もあった。しかし行政はこれらの弱者を置き去りにしたまま、性急に見かけの繁栄をとりもどそうとしているかのように見える」

近年、地震学者も予期しない地震が相次いでいることや、著者らの海底地震計による調査から、北海道南西沖地震の震源が五つあって、その一つは奥尻島の真下にあったことなど、地震学の最近の情報も盛り込まれています。(前田利夫)

『日本経済新聞』1999年5月8日夕刊一面コラム「鐘」

「日本の地震の歴史とは、あいにくと地震に対する備えが、いつも地震より遅れて地震を追いかけてきた歴史でもあった」(島村英紀著『地震列島との共生』)

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 兵庫県南部地震(阪神大震災)の震源地、淡路島・北淡町にある「野島断層保存館」の入館者が、昨年4月の開業から1年余で300万人を超えた。惨禍を風化させまいと、激震を引き起こした活断層をそのまま残した施設である。

 当初は年に30万人も来てくれればとの見込みだったというから、思いがけない人出だ。この連休中もマイカーや観光バスが列をなした。実際、長さ140メートルに及ぶ断層の迫力には言葉をのむ。

 6430人の命を奪い、、約25万棟の家屋を全半壊させた自然の脅威。それに対してあまりにも無防備な社会。黒々と横たわる断層は、そんな現実の危うさを改めて浮き彫りにする。

  もっとも、予想外の”人気”は多分に、怖いもの見たさも手伝ってのこと。見学もそこそこに土産物を物色し、記念写真を取り合う光景は、あまたの観光名所と変わらない。震災から学ぶことの難しさもまた、この施設は示している。 (緒)

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『東洋経済』5412号(1997年)書評・名和小太郎
『地震列島との共生』岩波書店(1996年)島村英紀 &『活動期に入った地震列島』岩波書店(1995年)尾池和夫

地震というおなじテーマについて、おなじ書店のおなじシリーズから2冊の本が刊行された。

 このシリーズは、文字も大きく、厚さも薄い。一般社会人向けの本であるために、詳細な記述は省かれている。それだけに、ここに詰めこまれている情報はミニマム・エッセッシャルズであるといってよい。だから、著者の意見はくっきりと示されてしまう仕掛けになっている。

 どちらも兵庫県南部地震に触発されて書かれた本である。だが2人の著者の意見はまったく対象的である。

 『活動期に入った地震列島』(以下『活動期』)の著者は切歯扼腕している。現在の研究者はこんなにも知っていることが多い。今回の地震についても予知はしていた。それを社会にアピールできなかったことに問題がある!

 『地震列島との共生』(以下『共生』)の著者の意見は違う。現在、地震について未知のことがこんなにも残っている。私たちにできることは、この事実を冷静に認識し、地震のリスクと共存する覚悟をもつことだ!

 『活動期』の著者は2枚の橋の写真を示す。1枚は地震2週間前のもの、もう1枚は地震2週間後のもの。あとの写真は完全な破壊の跡を示している。現在の知識でも、この程度には破壊の場所を事前に特定できるわけだ。なぜこれができたのか。そこに活断層があったためだ。

 『共存』の著者はいう。現在、建物の耐震計算の入力として使っている地震波データは、たった2例あるにすぎない。それも半世紀前に米国で観測された強震の実体波(縦波と横波)記録である。だが、それより大きい被害をもたらすと推定される表面波のデータについては入力すべき記録がない。

 活断層についても、場所が分かったからといって発生時期を特定できるデータはない。しかも、場所の分かっているものは地上に露出したものだけである。

 2人の著者は、当然ながら地震予知についても真っ向から対立している。

 『活動期』の著者は主張する。ここまで分かっているのだから、この研究方向にもっと予算をつぎこみ、これを統一的に管理できる地震庁を設置せよ。活断層上の土地利用を制限する法律を制定せよ。

 『共存』の著者は批判する。地震予知は期待した効果をあげなかった。むしろ行政の地震対策を硬直化させ、研究機関を保守化させ、研究を事業にしてしまった。現体制は見直すべきである。

 ただし双方の著者が一致している意見がある。日本列島が地震の活動期に入ったらしい、という結論だ。

読書70年 書評30年 名和小太郎のブログ』(2013-03-06)から


【島村英紀追記・長周新聞から

そもそも活断層がクローズアップされたのは、阪神淡路大震災(1995年)以後のことだ。それまで日本の地震予知計画は政府の「地震予知研究本部」がやっていたのだが、地震予知ができなくて阪神淡路大震災という大災害が起きたのを見て、政府では本部の看板をあっと言う間に「地震調査研究本部」に掛け替えてしまい、研究の柱も「地震予知」から、「活断層」と「将来起きる地震の確率調査」の二つに切り替えた。活断層がにわかに脚光を浴びることになったのはこういった事情による。

 しかし、その後に起きた日本の大地震は、すべて活断層として政府がマークしていなかったところで起きた。これらは2000年の鳥取県西部地震、2004年の新潟県中越地震、2005年の福岡県西方沖地震、同じく2005年の首都圏を直下型地震として襲った千葉県北西部の地震、2007年の能登半島地震、2008年の岩手・宮城内陸地震、2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)などである。



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