島村英紀が撮ったシリーズ
「不器量な乗り物たち」その5:鉄道・路面電車編
「 不器量な乗り物たち」その1:生活圏編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その2:極地編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その3:深海編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その4:日本編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その6:戦前・戦中編はこちらへ
1-1:イモムシの頭をしたドイツの新幹線
ドイツの「新幹線」ICE特急。国境を越えて走る特急である。空気抵抗を最小にする形なのであろうが、なにやら、イモムシの頭を思わせる。しかし、まるで遊園地の乗り物のようだったが、近年はずっと醜悪になった日本の新幹線の顔つきが嫌いな私からすれば、まだ、ずっとましである。
このドイツの新幹線は高速新線 (NBS: Neubaustrecke) では250km/hから300km/hで運転する高速電車だ。それ以外の一般の線路でも、区間によっては200km/hで運転することもある。
1998年、走行中にタイヤが破裂して百人以上の犠牲者を出すという大事故を起こしたが、さすが技術の国のドイツ、驚くほど早く対策を施して、従来通りの高速で走っている。太くて頑丈そうなワイパーアームは、いかにもドイツ人の設計と言うべきであろう。
なおDBはドイツ鉄道 (Deutche Bahn) のことである。 ドイツは日本の約9割の広さだが、約36,000kmにもおよぶ路線網を持ち、鉄道の密度が世界一高い国である。
かつての西ドイツのDB、つまりドイツ国鉄(Deutche Bundesbahn)と旧東ドイツ国鉄(DR,、Deutsche Reichsbahn ドイツ国有鉄道)が1994年に合わさって民営化された鉄道だ。しかし、政治家が利権のために国民の財産である国鉄を売り払ってしまった日本とちがって、ドイツでは、民営化後も、ドイツ国家の所有になっている「国鉄」である。
一等席は2+1列、二等席は2+2列か、または8人ごとのコンパートメントになる。椅子は革張りで、日本の新幹線よりよほど上等で、疲れない。真ん中に食堂車をはさんで5-6両の連結で走っている。日本の新幹線よりもはるかに短い編成だ。
前面に着いたおびただしい汚れは、この特急が、いかに多くの昆虫や、ときには鳥を殺しながら走っているかを示している。もっとも、これはドイツに限ったことではない。
よく見ると、いちばん前は不思議な仕掛けになっている。たぶん、二つに割れて、連結器が出てくるのであろう。
また、突き出している細い棒はなんだろう。
ピトー管(先端と側面との空気の圧力差から速度を測る、飛行機の先端に突き出している速度計)のように見えるが、鉄道では、タイヤの回転から正確な対地速度が出せるはずなので、ピトー管を必要としないはずだ。
日本のある鉄道関係者の説では、この連結器カバーを開けるためのレバーではないかという。
これは、私も、一番先に考えた可能性だ。だが、観光バスのドアを開けるレバーでさえ、バンパーの裏に隠れているというのに、これでは、あまりに芸がなさすぎる。
あるいは、サソリが多い地域で、見えないところへ手を突っ込むことが怖かった植民地の鉄道を持っていた欧州の宗主国各国の名残なのだろうか。
いずれにせよ、今度欧州へ行ったら、駅員の目を盗んで、ちょっと引っ張ってみようかと、考えている。
(2004年7月、ドイツ・フランクフルト中央駅で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは35mmフィルムカメラで43mm相当、F2.8、1/80s)
1-2:フランスの新幹線は、もっとまともな顔をしています
1-1のドイツの「新幹線」ICE特急とくらべて、フランスの新幹線TGV(「高速列車」を意味する Train a Grande Vitesse
)は、昆虫じみてはいない。もちろん、日本の近年の新幹線ほど醜悪な顔つきをしているわけではない。少し目が寄っているものの、さすがにフランスの良識というべきであろう。
じつは、フランスは高速鉄道のパイオニアである。このTGVも、はじめはガスタービン電気式機関車として計画された。ガスタービンは機関車として普通に使われているディーゼルエンジンよりも小型軽量であり、長時間に連続で高い出力を発揮するために選ばれたものだった。
これは、ジェット旅客機に使われているのと同じターボプロップエンジンで発電機をまわして電力に変換し、車軸に接続したモーターを駆動するもので、1967年に試作され、量産化もされてイランやエジプトにも輸出された。
じつは、私は1977年に海底地震観測のために、ホメイニ革命の直前だったイランに行ったことがある。そのとき、首都テヘランから、私の共同研究者だったイラン人科学者がいる、イラン第二の都会、マシャドまで行く、高速鉄道にだけは乗るな、と言われたのを覚えている。汽車は高速で走るのだが、線路の保安がついていっていないので、事故が多くて、とても危険だと忠告されたのである。そこを走っていたのは、このフランス製の高速機関車であった。
なお、当時のイランは石油の利権を王族が独占しており、鉄道や軍備には巨費を使っていた。軍艦も、英国ロールスロイス社製のガスタービンエンジンを備えており、恐ろしく速くて、甲板上では呼吸が困難なほどだった。
フランスでは、1972年に、新刊専用として最初のTGV車両である「TGV001」というガスタービン機関車が試作された。これは時速318kmにまで達することが出来たので、当時世界で最速の列車であった日本の新幹線の速度を大きく上回った。しかし、その後のオイルショックで、フランスのTGVはガスタービンをやめ、電気機関車方式に変更したのであった。
ところで、最初に在来線のレールを使った高速鉄道を始めて、時速200キロを優に超える速度を出したのは、世界でもこのフランスのTGVが最初であった。
フランスのTGVが日本の新幹線より有利だったのは、 在来線の軌間(レールの間隔)が1,067mm(狭軌)となっている日本とちがって、フランスを含むヨーロッパの多くの国では在来線も軌間は1,435mm(標準軌)となっていることだった。
このためTGVはスピードを落とせば在来線をそのまま走ることができるので、新幹線用の土地を新たに買収して線路を引く必要が少なかったことであった。とくに用地買収が難しい都会での新線建設の必要がないのが最大の利点であった。(なお、日本でも、京浜急行、京王線、都営地下鉄新宿線などは、標準軌を使っている)。
TGVは、1981年9月27日に首都パリからフランス南部のリヨン間が開業し、時速260kmでの営業運転が始まった。
開業当時はこの2つの大都市を、飛行機よりも高速に結ぶ最速の交通手段であることが「売り」だった。
その後、このTGVは広く欧州各国を走るようになり、1994年:
ユーロトンネル(英仏トンネル)開通に伴い、ユーロスターがロンドンまで乗り入れた。
私が乗ったのは、1984年の夏で、フランスでの開業後、それほど時間がたっていないころだった。座席にまわってきた愛嬌がよくて愛くるしい 車掌(右写真の右)に頼んだら、あっさり、運転席に連れて行ってくれた。
運転手もこの新幹線が自慢らしく、時速260キロを超える速度で走りながら、運転のやり方など、いろいろ教えてくれた。在来線のレールの上を走るところもあり、それなりに気を遣うのだよ、と言っていたのが記憶に残っている。
新幹線に限らず、私はよく、飛行機の操縦席も見せて貰った。今は昔のことになるが、1990年代までは、欧州を飛ぶ旅客機は、操縦席のドアを開けたまま飛んでいるのが普通で、気安く操縦席に案内してくれた。
なかでも、私が地球物理学者だとわかると、気象レーダーなどを操作して、実際に前方の雲を見せてくれたり、操縦席から見えるオーロラの話をしてくれたりしたものだ。
左写真は運転席の操作盤。丸いハンドル様のものが二重になっていて、この二つを常に握っていないと、列車は自動的に停止するようになっている。
元フィルムだと、ハンドル前方の長細い窓に速度計があり、このときには時速264キロを示しているのが見える。
ハンドルの上に乗っているのは、走行ダイヤである。
運転席からの前方の眺めは、さすがに圧巻であった。速度自体は、飛行機の離陸速後とそれほどちがうわけではないが、飛行機のように側方ではなく、前方の線路やそのまわりが見え、飛ぶように後ろへ去っていくのであった。
フランスでは、1990年には、大西洋線での走行試験で、鉄路を走る列車としては世界最速の515.3km/hを出している。また、2007年4月には、開業前のTGV
東線 (LGV Est) での公式走行試験で、特別編成の列車が時速574.8km/hを出して、浮上しない列車としては世界記録を更新した。高速列車は、いわば、フランスの意地なのである。
(1984年7月、フランス南部・リヨン駅(ずっと上)とパリまでの途中(右上とすぐ上)で。撮影機材は Olympus
OM-2 。レンズは Tamron 35-80mm zoom。フィルムはコダクロームKR)
2-1:二度の世界大戦を生き抜いたドイツの路面電車(ブレーメン中央駅前で)
ドイツは第一次と第二次の二つの世界大戦で、ほとんどの都市は壊滅的な破壊を受けた。ハンブルグでは、米英軍の空襲(いまで言えば空爆)を受けて、市街地が炎上し、その火が「火災旋風」を起こして、被害を劇的に拡大してしまった。
この「火災旋風」は、将来、日本の都会が大地震に襲われたときに、もっとも恐れられている災害のひとつだ。火が火を呼んで拡大するのである。
ここ北ドイツのブレーメンでも、第二次大戦では、市街地の69%が灰になった。写真に見られるように、ブレーメン中央駅前には、古くて由緒ある建物がない。すべて、戦後の建物である。
ブレーメンには新旧、いろいろな路面電車が走っている。新しいものは、「ブレーメン型」として知られている1990年に登場した超低床タイプで、熊本市電では日本版のブレーメン型が走り始めたほど有名なものだ。
写真の「134号車」は、1904年に作られたものだ(伊藤風天博士の調査による)。二度の世界大戦を生き延びて、すでに100年以上も走っていることになる。日本とちがって、古いものを大事にするヨーロッパならでは、の旧車である。
車輪を付けた「台車」が車体に対して(鉛直軸のまわりを)回転する電車とちがって、わずか4つの車輪が、車体の底に固定されている「単車」という仕組みだ。乗客の約半分も、運転手や車掌も、車輪よりは外側の「空中」に乗っていることになる。
それにしても、巨大なパンタグラフをつけている。高さはほとんど車体の高さほどもあり、しかもパンタグラフのさらに上に、ビューゲルと言われる、別の方式の集電装置までつけて二段重ねにしている。
なぜ、このように二段重ねにしたのかはわからない。あるいは、昔の電車にとっては、いまの架線は高すぎたのであろうか。
(2004年10月、ドイツ・ブレーメン中央駅前で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは170mm相当、F2.8、1/640s)
2-2:これも古さではひけをとらないリスボン(ポルトガル)の市電(リスボン市内で)
ポルトガルの市電も古いものが多い。なかでも、坂を上るための市電は、それぞれの坂の傾斜に合わせて専用の車体が作られているために、おいそれと更新できないという事情があるのだろう。
平地を走る「普通の」市電でも、これは古い。上のドイツの市電と同じように、二回の大戦を生き抜いたか、少なくともあとの大戦よりは前のものに違いない。
上のドイツのものと同じように、「単車」という素朴な仕組みだ。車体の全長に比べた軸距は、もっと小さく、転ぶのではないか、と心配させるほどだ。ブレーキ性能も低いに違いない。
集電装置も、もっとも安価で素朴な、ポール式だ。終点では、運転手が先端から垂れている紐を引っ張って、掛け替える。
この車体をデザインしたときに、行く先表示板と路線番号表示板を忘れたので、あとから無骨なものを載せたのだろうか。いや、もしかしたら、路線がたった一本しかない時代から、生き延びている車体で、路線表示が必要でなかったのかもしれない。
ついでながら、ポルトガルのタクシーは、すべて右の車のような配色をしている。なかなかの配色だ。なお、アルゼンチンでは下は黒だが上は黄色で、これも洒落ている。ドイツのタクシーの肌色一色や、京都のタクシーの薄緑一色よりは、ずっとセンスがある。
(1991年3月、ポルトガル・リスボン市内で。撮影機材は Olympus OM4Ti。レンズは Tamron 28-70mm F4.5-5.6。フィルムはコダクロームKR
)
2-3:路面電車の「裏方」
そのブレーメンの路面電車を支えているのは、こういった「裏方」の作業車たちだ。欧州では普通にある石畳の道路の補修は、最後は手作業に頼るしかないが、それ以外は、それなりに機械化が進んでいる。
これは、土や砂や砂利を運ぶ油圧ショベル(パワーショベル、Hydraulic Excavator)。ほかでもよくある機械だが、先端にクラムシェル(Clamshell、ブームを下げて上から落とすと、二枚貝状のバケットが開いてその中に土砂を抱え込み、上に上げるときに、重みでバケットが自動的に閉じて土砂をすくい込む)をつけている。
日本では油圧ショベルはクローラ(キャタピラ)式が多い。これは、接地面積が大きいので安定していて、工事現場の軟弱な地盤上でも移動できる利点がある一方で、トレーラートラックに積んで現場へ運ぶ手間がかかる。
一方、写真の重機は車輪に建設機械用のゴムタイヤをつけている。道路を走って現場へ行くためだが、このタイヤ方式は、作業するときには安定性が悪く、掘削力などの作業性も劣る。
日本ではトレーラートラックでいったん現場へ運んだあとは、工事が終わるまでそこで放置するのが普通だ。
しかし、多くの国では、夜間は無人になる工事現場に車両を置きっぱなしにするなど、考えられない、まず間違いなく、盗まれてしまうという。このため、毎日、持ち帰る必要があり、自前の高速移動手段であるタイヤが必要なのである。国境がない島国で、かなり悪くなったとはいえ、いまのところはまだ他国よりは治安がいい日本ならでは、であろう。
写真の重機がほかのパワーショベルとちがうのは、路面電車の軌道を走れるように、油圧で上下する車輪が着いているところだ。
しかし、これだけ立派なゴムのタイヤがついているのに、車輪をわざわざ下ろしてレールの上を走る必要があるのだろうか。
あるいは、鉄橋の上で作業するときとか、あるいは現場まで自走せずに、レールの上を牽引してもらうときに、この車輪を使うのだろうか。
なお、建設用の重機は、日本でも欧州でも黄色が普通だが、インドネシアに輸出するときだけは、黄色が葬式の色として忌み嫌われるので、別の色に塗るのだ、と日本の重機メーカーの人に聞いたことがある。
(2004年7月、ブレーメン市内で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。45mm相当、F2.8、1/250s。なお、この項目は滝澤睦夫さん にいろいろ教えていただきました。)
3-1:形もドアもバスそのものの鉄道(ドイツのローカル線を支えたレールバス)
乗客がごく少なく、電化もしていないローカル線では、このようなレールバスが使われていた。
フロントガラス、出入口のドア、全体の形、どれをとっても、鉄道というよりは1950年代のバスそのものである。
唯一ちがうところは、ドイツ国鉄の伝統に倣って、額の上に3つ目のヘッドライトがついていることと、どちら向きにでも走れるよう、前後対称形になっていることだ。
現在は、このレールバスは引退してしまった。右の車輌は、ずいぶん色褪せてしまっている。
それにしても、架線がない鉄道線路というものは、なんと空が広いのだろう。
ところで、運転席の上の屋根に立っている四角くて短い柱はなんだろう。音声通信用の列車無線のアンテナだろうか。あるいは踏切の信号を自動操作する無線発信用なのだろうか。
(2004年10月、ブレーメン郊外の田舎で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。200mm相当、F2.8、1/400s)
4-1:よほど衝突が怖いのでしょう(フランクフルト中央駅の「暴走防止」柵)
鉄道の運転手がいちばん緊張するのは。たぶん間違いなく、終着駅へ着いたときだ。
そこには行き止まりの線路があり、絶対に越えてはいけない一線がある。また、もちろん手前に止まりすぎてもいけない。ときには国境を越えてきた長距離運転の最後に、緊張する一瞬である。
たとえば、東京の西武池袋線では、終着駅池袋から2kmも手前にある最後の駅のホームを出たところに「(ブレーキの)圧力計確認」という運転手向けの注意書きがある。最後に止まれないことを、そこまで恐れているのである。
しかし、そこは人間のすること。あるいは、どんな機械でも故障することがある。そのため、欧州の終着駅には、写真のような、いざというときのために、列車をくい止める柵がついている。
見られるように、柵はいかにも頑丈そうなストッパーのほか、衝撃を吸収できる構造もついている。
どのくらいの衝撃まで耐えるのかはわからないが、この柵は、過去に一度は、衝撃を吸収した履歴が残っている。手前から4番目の関節にゆがみが残っているのである。あるいは、右側のプラットホームの上に積んであるのは、その「事故」の残骸だろうか。
(2004年8月、ドイツ・フランクフルト中央駅で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは38mm相当、F2.8、1/80s)
5-1:二本の角を生やしたイモムシ(ドイツのローカル線を支える主力ディーゼル機関車)
ドイツの鉄道が日本の東京や大阪とちがうところは、大都会にもディーゼル機関車やディーゼル列車が乗り入れていることだ。
たとえば北ドイツの中心都市であるハンブルグでも、IC特急のような高速電車は乗り入れているものの、写真のような、近郊の町や村に行くディーゼル機関車が牽引している列車も、乗り入れている。日本のように、ローカル線から幹線に乗り換えなくては都会に行けないという不便さがないのが利点である。
このディーゼル機関車は、ドイツ国鉄の屋台骨を支えてきた(218型)機関車だ。近代的なディーゼル電気機関車(ディーゼルエンジンで発電機を回す)ではなく、ディーゼルエンジンで直接、駆動する旧世代の機関車だ。数十年使われてきて、いまでは引退が進んできている。
後に牽引している客車と、いかにもドイツらしい几帳面さで、外寸をぴったり揃えている。このため、機関車の上部がずいぶん絞り込まれた形になっている。
几帳面さといえば、DBの機関車には、厳密な一連番号が振ってある。左の機関車の場合は「218 486-9」とあるが、これは「218型」のディーゼル機関車の、製造番号が486番目ということだ。最後の「9」はcheck
digitで、まるでコンピューターでのデータやりとりの仕組みそのままである。
右下の写真にあるように、 空気抵抗を減らすためだろう、斜めや横から見ると、機関車の前後も上部がかなり絞り込まれている。なお、この機関車はDB(ドイツ鉄道)とは書いていないで、EVBとある。ハンブルグ〜ブレーマーハーフェン近郊を走っているDBの傘下の会社 だ。一連番号もDBとはちがう。
この上すぼまりに絞り込まれた形のため、いかにも赤いイモムシに見えてしまう。しかも、DBの機関車には。ディーゼルエンジンからの太い2本の排気管が、まるでアゲハチョウの幼虫(イモムシ)の角(つの)のように生えているのもご愛敬だ。
この排気管の突出ぶりからすると、機関車や客車の外寸は、(電化されていない)トンネルの大きさの制約、というものではないらしい。それとも、トンネルを通る路線には、別の機関車を使うのだろうか。
ハンブルグ中央駅は全体が巨大なガラスの屋根の覆われていて、写真上部に見られるように、駅を横断している2本の橋の上には、花屋やパン屋、衣料品など、賑やかな商店街がある。
駅の出口には、よく、町音楽師が立っていて、結構なテクニックで演奏をしている。これも文化であろう。ときには手回しオルゴールが町を和ませる。
(左は2004年10月、ドイツ・ハンブルグ中央駅で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは200mm相当、F2.8、1/80s。右は2004年10月、ドイツ・ハンブルグ、ブレーメンの中間の田舎で。撮影機材はPanasonic
Digital DMC-FZ10。レンズは400mm相当、F2.8、1/125s)
5-2:フランスはドイツのすぐ隣の隣国なのに、なぜ、このようにちがうのでしょう(フランス国鉄の主力機関車)
フランスでは、ドイツの鉄道のように大都会にもディーゼル機関車やディーゼル列車が乗り入れることは少ない。電化されている区間が長いせいだろう。
これは、フランス南部の港町、ツーロンを走る、客車を牽引している幹線用の電気機関車。いわば、上の写真の「218型」のディーゼル機関車にあたる、フランス国鉄(
SNCF )で標準型の機関車だ。
それにしても、ドイツと接する隣の国だというのに、汽車のデザインは、まったくちがうのは面白い。これは汽車に限らず、自動車、カメラ、いろいろなものに共通している。あえて似ないようにデザインしたとしか思えないような、いろいろなもののデザインがある。
この列車は上の「218型」とはちがって、力感に溢れる形をしている。空気抵抗などものともせず、100キロを優に超える速度で空気を蹴散らしていく形だ。四角張って、いかにもごつい。そのうえ、赤いサイドラインが、逆傾斜になっているフロントウィンドウを、さらに強調している。
車体にB22とあるのは形式名で、1970年代から製造された幹線用の電気機関車で、角張った車体に、引っ込んだ前面窓という、それまでのフランスの機関車の形とはちがった独特のデザインで"Nez
casses"(鼻ぺちゃ)とのニックネームをつけられた。
(1984年7月、フランス南部・ツーロン駅で。撮影機材は Olympus OM-2 。レンズは
Tamron 35-80mm zoom。フィルムはコダクロームKR)
6-1:最新型の「目がない」イモムシ(ドイツの最新型ローカル線のディーゼル列車)
これは、最新型のドイツのローカル線用のディーゼル列車。2両の固定連結車だ。なお、この写真の駅には架線があるが、ドイツ全土の鉄道の電化率は約50%である。
北ドイツのブレーマーハーフェン市から、さらに北へ、北海岸の町までを往復したり、ハンブルグ郊外の地下鉄の終点まで往復するなど、ブレーマーハーフェンを中心にした、電化されていないローカル線Nordseebahn(「北海」線)に使われている。これもEVBだ。
EVBは19の駅とそれをつなぐ路線しか持っていない小さな会社だ。そのEVBが2003年の12月に新たに投入した最新型の列車が、この「Coradia LINT
41」である。
最高時速120km/hだが、哀しいことに、EVB自前の線路は貧弱なので80km/hしか出せない。他線に乗り入れたときだけ、この時速が出せる。
しかし、内部の椅子の配置は、とても洒落ている。日本の鉄道のように、同じ形の椅子が無味乾燥に並んでいるのではなく、形も配置も、そして椅子の高ささえもバラエティを持たせた造りである。
椅子は二両合計で129席。低床式の車体だし、身障者用のスロープや、とても広いトイレも装備しているのが自慢だ。
ドアは2両編成全体に片側2つしかない。日本のような通勤ラッシュとは無縁の土地柄なのである。
しかし、この最新型も、やはりイモムシに見える。形のほか、色のデザインのせいもあるだろう。
ヘッドライトがきわだって小さいのが特徴だ。近頃の車と同じく、プロジェクターランプなのであろうが、このため、よけいイモムシめいて見えるのであろう。4つに見えるが、下二つは、赤灯で、列車後部に点灯させるものだ。
また、写真ではちょっと見えにくいが、ワイパーの軸の上に見える丸いものも、じつはヘッドライトである。ドイツの鉄道は、律儀に、前には3つの前照灯、と決めているのであろう。
(2004年10月、北ドイツ・ブレーマーハーフェン駅で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは90mm相当、F2.8、1/500s)
6-2:プラットホームが不要なオーストリアの山岳ローカル線(狭軌のディーゼル列車)
これは、1986年から使われている、オーストリア国鉄のローカル線専用のディーゼル客車だ。上の最新型のドイツのローカル線用のディーゼル列車とくらべ、親しみやすくて、まっとうで穏やかな顔つきをしている。 近年の車のデザインもそうだが、気味の悪い動物や深海魚や昆虫を連想させるものが多いのは私には苦手だ。
ドイツとオーストリアの鉄道は、よく似ている。 上の5-1のドイツのディーゼル機関車と同じように、オーストリアでも、車体前部に、形式名と、車体製造時の通し番号と、チェックディジットが書かれている。ここには5090
001-8 とある。
つまりこれはオーストリア国鉄(OBB)の5090型のディーゼルカー(客車)の1号車である。5090型は、ナローゲージ(日本では標準だが、線路間の幅が小さいので欧州ではローカル線だけに使われている線路)用の車両で、1986年から作られていたものだ。この5090は、なかでも線路の幅が狭く、76cmしかない。トロッコなみの狭さである。
車両の両側に運転席があり、一両だけで、どちら向きにも走れるようなローカル線仕様になっている。このため、見られるように、前方に走るための3つの前照灯と、後部になったときのために4つの赤い尾灯がついている。
車両の製作所はKnotz、定格出力は 235KWH、引っ張り力は 82KN、線路幅が狭いために最高速度は 70Km/h しか出ない。つまり山間地のローカル線専用車だ。
プラットホームもない平地から乗り降りできるよう、ステップがついている。いわば、バスのように、どこでも停まって、客の乗り降りができるのである。そもそも、欧州のプラットホームは、上の写真いくつかに見られるように、日本のそれよりもずっと低い。日本のプラットホームの高さはどこに学んだものか、無駄に高いのではないだろうか。
スイスと同じように、山岳路線が多いオーストリアだが、ばかにしてはいけない。OBBは、200km/hに対応する高速の電気機関車も所有している。これは国境を越えて走るIC特急用である。
この汽車は、背景にあるような美しい景色を縫って走る。観光客には「美しい」景色ではあるが、斜面の中腹や上に住む人にとっては、駅から家までの坂の上り下りは容易ではなかろう。何世紀にもわたる生活で、慣れてしまった人たちが住んでいるにちがいないとはいえ、年をとったり、病気になったら、どうするのだろう。
(1991年8月、スイス国境に近いオーストリアの山中で。撮影機材はOlympus OM-4Ti。レンズはCosina
AF Zoom 28-70mm 。フィルムはコダクロームKR)
7-1:北緯79度、世界最北の地にあったSL。
これは、まちがいなく、世界最北の地のSLだ。アラスカの北端よりもずっと北の地、スピッツベルゲン、そのなかでも北のほうにあるニーオルソン で石炭搬出のために使われていた蒸気機関車(SL)である。
ニーオルソンは北緯79度、北極海にある。いまは科学者だけの町になっているが、かつては炭坑があり、この軽便鉄道も走っていた。動輪が1つだけの、可愛らしいSLである。
いまは炭車を連結したまま、屋外に保存されている。
真夏に撮った写真だが、後ろに見えるのは厚い氷河。ときに、雪が舞う。さすがに極北の地だ。しかし、このSLの運転席は、扉も窓もない。窓のように見えるものは、丸い穴があいているだけだ。ボイラーの熱のために不要だったのだろうか。
この炭坑は大規模な事故が起きて閉鎖され、その後、ここは科学者だけが住んでいる町になっている。
(1998年8月、北極海・スピッツベルゲン島のニーオルソンで。撮影機材はOlympus OM4Ti。レンズは Tamron 28-70mm zoom F3.5-4.5。フィルムはコダクロームKL)
8-1:北海道でしか通用しない路面電車用の「除雪」車
新潟をはじめ、本州の日本海岸の人々にとっては、雪は湿って重いもの、そして、水をかければ溶けるもの、なのである。たとえば上越新幹線は、地下水を汲み上げて、レールの両側から吹き付けることによって雪を溶かし、「除雪」が出来てしまう。
しかし、北海道では違う。雪は、乾いて軽いもの、吹けば飛ぶもの、なのである。水をかけるなどは、もってのほか、かけた水は、たちまち凍り付いて、除雪どころか、始末の悪い氷の道を造るだけのことだ。
このため、北海道人の発想は、除雪にはラッセル車のようなプラウを使うのではなく、「箒」を使おうというものなのである。この路面電車用の専用除雪車は、見られるように、瓶や試験管を洗うブラシのようになった竹製の箒を回転させて、雪を掃こう、という仕掛けなのである。
この、まるで阪神タイガーズのトレードマークのような除雪車は、1961年に3台作られて活躍したものだ。当時、札幌市営の路面電車はまだ拡張期で、電化はしていなくてディーゼルエンジンの「路面電車」の路線があった。このため、この除雪車は、電化をしていないところでも走れるよう、ディーゼルエンジンによる駆動をしている。つまり、パンタグラフのある路面「電車」ではない。
肝心のブラシ部分は前後にひとつずつあり、直径60センチ、幅3メートルのもので、毎分、350回転する。この駆動に43馬力を使う。気動車自身は115馬力のディーゼルエンジンを持ち、車体の長さは7.5メートル、高さ3.5メートル、重さ11トンのものだった。
札幌市電は1967年にすべて電化された。そして、地下鉄の工事が始まっていた1971年に、このディーゼル除雪車は引退した。なお、後ろに写っている除雪車は、さらに古いものだ。こちらは黄と黒の縞模様ではない。
なお、いまでも、この写真のものを新型にして、もちろんパンタグラフをつけて「電車」にした「ささら電車」という除雪車が札幌市電のレールの除雪をしている。雪が降りしきる夜は、電車が止まった深夜にも、この除雪車だけが線路を往復して除雪を繰り返している。
古き良き時代には、飲み過ぎて電車が終わってしまった北大生が、この除雪車に乗せてもらったことがある、という伝説がある。まだ北海道大学と北大生が北海道の人たちから尊敬されていたころのことである。
(2007年9月、札幌市交通資料館で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ20。レンズは43mm相当、F2.8、1/125s)
【番外編:「鉄道・路面電車」ではありませんが、動ける場所が決まっている、という意味では親戚筋の不器量な乗り物たち】
9-1:高所恐怖症の人は絶対に乗れない「地元の人にとってはかけがえのない足」。オーストリアの深い谷を渡る人力ケーブルカー。
インスブルックの西、スイスとの国境に近いところにある「私設の」ケーブルカー。
はるか先方に白っぽく見える、斜面の上にある家に行くための、かけがえのない交通手段だ。もし、このケーブルカーがなければ、文字通りの千尋の谷を下って、また登らなければならない。
それにしても、高所恐怖症の人は絶対に乗ることができないだろうし、人力で駆動するために、これだけの距離を移動するには、かなりの体力も必要だ。もちろん、時間もかかる。
遊園地の乗り物は別にして、乗り物とは、便利さと引き替えに大なり小なり命を託すものなのだが、それにしても、この乗り物ほど、命を託していることが実感できる乗り物も少ないだろう。
あいにくと所有者も利用者も近くにいなかったので聞くことはできなかったのが残念だが、そもそも、対岸の山の上に住んでいた人が、後年、不便に耐えかねてこのケーブルカーを作ったのだろうか。それとも、ケーブルカーを作ることを前提にして、対岸に住むことにしたのだろうか。
いずれにせよ、気安く「下界に」下りてくるわけにはいくまい。仙人のような生活にちがいない。
「私用」にしては、やや大きめの「車体」だが、これは、もしかしたら自給自足のために必要な乳牛を運ぶための大きさかもしれない。対岸の家のまわりには牧草地が広がっている。
(1991年8月、スイス国境に近いオーストリアの山中で。撮影機材はOlympus OM-4Ti。レンズはCosina
AF Zoom 28-70mm 。フィルムはコダクロームKR)
この他の写真:北海道にいたSL、C111 の写真はこちらへ
「 不器量な乗り物たち」その1:生活圏編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その2:極地編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その3:深海編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その4:日本編はこちらへ
「不器量な乗り物たち」その6:戦前・戦中編はこちらへ
島村英紀が撮った海底地震計の現場
島村英紀が撮った写真の目次へ
島村英紀のホームページ・本文目次へ