『日経サイエンス』 1995年4月号
「ブックレビュー・フレッシュマンのための読書ガイド」

『フィールドワークの楽しさ』

 この項の執筆の注文は、フィールドワークの科学の楽しさ、といったものはどうでしょうか、というものであった。編集部から電話をもらったときには、いくつかの本をリストアップして推薦するのはそれほどむつかしいものとは思わなかった。

 しかし、すぐに気がついた。厄介なものを引き受けてしまったのである。昔、引き込まれるように読んで面白かったものでも、絶版になっていたり、当世にはいかにも古ぼけてしまっていたり、というのが多いのである。

 では新しいものを、と本屋の店頭や図書館で探しても、ない。ないのだ。

 知り合いの先生、何人かにも訊いてみたが同じだった。ある地理学の先生は「最近いい本が出ていないから、今西錦司『大興安嶺探検』やスウェン・ヘディン『さまよえる湖』が復刻版になって出ているのですよ」という。

 だが、調べたら『大興安嶺探検』は復刻版(講談社、1975年)もすでに絶版になっていた
(注2)。もとの本は1952年に発行されたものだ。いまは図書館か古本屋を探すしかない。

 たしかに『大興安嶺探検』は、いま読んでもおもしろい。後書きに梅棹忠夫が書いているように「日本人がそれまでに行ったもっともオーソドックスな学術探検」の本だ。今西が編者になっていて、若き日の梅棹、川喜多二郎、吉良龍夫といったグループが、当時ほとんど知られていなかった中国東北部の大興安嶺(大シンアンリン山脈)で地形、地質、気候、生物などのフィールドワークを行って分担執筆した記録である。

 日本の探検史からいえば、白瀬中尉の南極探検のように国を背負った探検から、のちの科学的な研究のための探検へと変わりはじめた境の時代の書だ。

 『さまよえる湖』は、1943年に邦訳が出版されているが、じつはいま売っているものは復刻版ではなかった。白水社から出ているもの(関楠生訳、1980年)と岩波文庫(福田宏年訳、上下2冊、1990年)の二つがある。

 これは、中央アジアのタリム盆地で、さしわたし100キロメートルもある湖が、1600年の周期で400キロメートルも南北に動くことを「発見」したスウェーデンの地理学者ヘディンの探検の記録である。

 最初の探検で予言していた湖の移動が約30年の後に実際に起こった。その実証のために、内戦に巻き込まれて投獄されるなど多くの苦労を重ねながらも、再度現地を訪れた探検記である。

 自分の学説が自分が生きているうちに実証された、というめくるめく興奮がこの本にはあふれている。

 もともとは「毎秒数百立方メートルに達する川の水量が全部、砂漠に呑まれて失われてしまう。これを集めて人間の福祉のために利用できるかどうかを確かめる」のもヘディンの目的であった。つまり研究としての喜びだけではなくて、学問が役にも立てるという二重の喜びに浸っていたヘディンの心情が読者に伝わってくる。

 しかし、じつはヘディンの「発見」は間違っていた。地元の豪族が遠くにダムを造ったために、その影響が及んできて、ヘディンが予言した低地に一時的に湖を造っていただけだったのである。そのため、いまはこの湖は干上がって消えてしまっている。

 ヘディンは、このどんでんがえしを知らないで死んだ。しかし、もし生前に知って興奮の極から失意のどん底に落とされていたとしても、残酷だが、それも科学の内と言わざるを得ない。

 科学には捨て石も必要である。研究はいつも一直線に進歩するものではない。けれど、たとえヘディンの結論が間違っていても、ヘディンが現場で観察した事実やデータは、その後の科学に生かされる。砂を噛んでも何かが残るのがフィールドの科学なのである。

 もちろん、フィールドワークの学問には自然科学ではないものもある。たとえば文化人類学や言語学などである。なかでも文化人類学にはすぐれた本が多い。たとえば原ひろ子『ヘヤー・インディアンとその世界』(平凡社、1989年)は私たち自然科学者が読んでも、おもしろさは随一だし、科学の方法としても参考になる。

 そもそも科学とは、分かった結果だけではなくて、分かるまでの過程をも意味する言葉である。それゆえ、科学の本も、分かった結果だけではなくて、分かるまでの実験の準備、研究の苦闘、そして結果を得た喜び、といった研究のドラマを描くことができれば、読者の興味はそれだけ増すはずである。フィールドの科学は、その意味ではロマンがあり、ドラマになりやすいはずだ。

 しかし考えてみれば、これは難しい注文である。現場に居合わせなかったジャーナリストが描くとウソっぽくなりやすいし、同行取材するのはたいへんである。

 一方、当の科学者は研究そのものに忙しすぎることが多い。また、研究がどんなにおもしろくても、他人にそれを分かりやすく説明することが苦手な科学者は多い。また本を書くことによって研究を他人に分かってもらったり、学生や後輩を鼓舞することは研究の邪道だと思っている科学者も多い。いずれにせよ、フィールドワークのいい本がなかなか出ない理由なのである。

 もちろん、例外もないわけではない。樋口敬二
(注3)『氷河への旅』(新潮選書、1982年)(注1)『雪と氷の世界から』(岩波新書、1985年)(注1)は分かりやすく、またおもしろい。

 神沼克伊著『南極の現場から』(新潮選書、1985年)もある
(注)。こちらは昭和基地での日本の南極観測隊を越冬副隊長として取りしきった苦労など、やはり現場の科学者の苦悩や、観測に成功した喜びが伝わってくる。残念ながら、樋口の本も神沼の本も現在入手が難しいようで、図書館などで見るしかない。

 拙著『日本海の黙示録――地球の新説に挑む南極科学者の哀愁』(三五館、1994年)は南極でポーランドやアルゼンチンと共同で海底地震観測を行ったフィールドワークのドキュメントだ。研究費を集めるところから、現場での苦悩、科学者の葛藤、そして実験の内容と結果といったフィールドワークを描いている。科学の現場はノンフィクションの宝庫のはずだ、という出版社の編集者の勧めで書いたものだ。

 フィールドとは、科学者が人間としてハダカになるところでもある。科学者も人間、という実像を知り、その科学者が担う科学をよりよく知ってもらうためにも、科学者自らの手になる本が、もっといろいろ出ていいはずだ。


(注1)2002年5月に調べたら、残念ながら絶版になっていました。図書館や古書店でお探し下さい。
(注2)『大興安嶺探検』はその後、 朝日文庫・今西 錦司 (編集) ・(1991/09/01 朝日新聞社)で出ましたが、これも絶版になっています。
(注3)
2005年春まで、名古屋市科学館の館長としてご活躍をしておられました。

この10年後に、同じ『日経サイエンス』に書いた「読書ガイド」、南極に学ぶ 挫折と栄光の歴史
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