今月の写真
国家の犠牲になった犬死。
フォークランド戦争の死者の記念碑は誰も振り返らない
アルゼンチン・ブエノスアイレス市内サン・マルティン広場で


フォークランド戦争(アルゼンチンではマルビナス戦争という)で犠牲になった500人の兵士の記念碑の前には四六時中、衛兵が立っている。しかし、人々は無関心に通り過ぎ、若者にとっては、ここは単なる石造りのベンチ(椅子)にしかすぎない。国家のための戦争の犠牲者は犬死だったのである。なお、後方の赤い石に取り付けてある金属のプレートはマルビナス諸島(フォークランド諸島)の地図だ。その上に、いつも火が燃やされている。(戦争から22年経過した2004年9月に撮影)

【以下は島村英紀『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』から。その1】

 私がブエノスアイレスに滞在したわずか2週間の滞在中に、1ドルは5800オーストラルから6300オーストラルになった。そして、約2カ月後に南極から帰ってみたら9300オーストラルにもなっていた。市内を走るバスの市内運賃も、1500オーストラルから2200オーストラルへ上がっていた。

 この国のインフレと経済の悪さには、アルゼンチンが仕掛けながらあっという間に英国に負けた1982年のフォークランド戦争が影を落としている。

 もっともアルゼンチンではフォークランドという「英国名」は決して使わず、アルゼンチン名をとってマルビナス戦争という。戦争の舞台として両国で争って取られてしまったのはフォークランド諸島ではなくて、アルゼンチンで言われている名前ではマルビナス諸島だからである。アルゼンチンで売っている地図では、マルビナス諸島は、しかし、堂々と領土になっている。

 英国に負けたこの戦争から急速に景気が悪化した。もっとも国の景気が悪くなったから、国民の眼をそらすために戦争を仕掛けたという説も根強い。

 ブエノスアイレス郊外のラプラタ河畔のティグレという町にある海事博物館では独立戦争などに加えて、この戦争で英国軍の大砲に撃ち抜かれて大破した軍艦の船橋などが展示されている。首都ブエノスアイレスの中心にも戦死者約500名の名を一人一人刻んだ記念碑(上の写真)がある。

 しかし国民の士気を鼓舞しようという政府の魂胆とは裏腹に、人々はこの戦争には負けたイマイマしさしか感じない。街中の記念碑を訪れる人も少なく、人々は関心を押し殺して通りすぎる。

 ブエノスアイレスの街の中に、いちばん生々しく残っている戦争の傷跡は戦争で傷ついた人々が物を乞う姿である。眼が見えなくなったり、中には下半身を失った多くの軍人が、繁華街の道端で小銭を待っている。早朝から深夜まで人の目にさらされて、いくらの稼ぎになるのだろう。人通りも疎らになった深夜の街に流れていく彼らのバンドネオンの弾き語り。私はこれほど物悲しくせつないアルゼンチンタンゴを聞いたことはなかった。

 一方、戦争の勝者、英国もその後の道は平坦ではなかった。この「戦勝」後ずっと景気の後退と失業の増大に苦しみ、応戦の決断をした鉄の首相サッチャーもやがて退陣した。

 現代の戦争には「勝者」はないのではなかろうか。フォークランド戦争に限らない。湾岸戦争もそうだ(註)。


【註:2009年に追記】そして、その後の、米国によるアフガニスタン侵略、イラク侵略も、同じ道を辿っている。(なお、この『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』は1994年に発行された)。


【以下は島村英紀『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』から。その2】

 じつは英国とアルゼンチンが衝突したフォークランド戦争も、南極をめぐる葛藤のひとつであった。南極条約が定める南極とは南緯60度より南と定められているのだが、その範囲のすぐ外にあって、公然と「領土」に出来る島の価値は、領土権が凍結されている南極そのものに優るとも劣らないからである。

 つまりフォークランド戦争とは、南極に重複する領土宣言をした二つの国同士が、南極への足掛りを求めて争った激しい綱引きだったのである。南極条約が適用されない「南極」の島という地の利を争ったのが戦争の理由で、人口わずか1800、寒いうえに資源もない小さな島そのものの価値を争ったわけではない。戦争が起きた1982年という時期も、南極条約の期限切れを睨んでの先手争いだったのである。

 一方、将来の南極問題に発言権を持つために南極観測の実績を作りたい各国や、その先の資源を狙ったり、何かの利用を目論む各国は、当面は合法的な南極科学観測という「足場」を築こうとしているのである。

 美しい自然が残っている南極でも、いつまでも科学者だけの聖域でいられるのか、石油や鉱物資源が実際に発見されたら将来どうなるのか、各国の水面下の思惑は複雑に交差しているのだ。

 資源。新規参入国。環境。観光。

 科学者だけの国、南極は新しい波に洗われている。南極条約が「解禁」になってしまったいまこそ、南極という地球の共有の財産を将来どうするのか、人類の知恵が試されているのである。


このほか、世界の墓の写真はこちらに。
このほか、アルゼンチンの別の顔はこちらに。
 

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