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大学の生き残りについて・その5:大学の理念はどこに行ってしまったのでしょう

 久しぶりに東大に行ったら、正門に近くて、店や食堂が地下に入っている法文系の建物の入り口が鉄の扉で閉まっていた。以前は、24時間入れた入り口だが、最近はこのようになっている。

 井上ひさしの『ボローニャ紀行』によれば、イタリアのボローニャの街やボローニャ大学の成り立ちは、11世紀に市民が大学を作ったことがもとで、青年が学者を選び、学者の家に授業を受けに行き、学生が教授を解任できるシステムだった。つまり、街に開かれた大学だった。

 
ボローニャ大学はヨーロッパ最古の総合大学である。この伝統は20世紀にも続いていて、ナチスドイツへのレジスタンス運動では約2万人の市民が参加し、2千人以上の死者を出しても街を守ったという。

 日本の大学も、設立当時は、このような大学を目指したはずである。その伝統は戦後にも続いた。かつて1961-1977年には文学部には尾崎盛光さんという有能な名物事務長がおられて、社会学者で評論家でもあり 、みんなから親しまれていた。

 だが、近年は大学は街から切り離され、しかも、「(近視眼的な)国家に役に立つ大学」に切り替わってしまった。その象徴が、関係者以外は入れないという、この閉まってしまった大学の入り口だ。

「大学の生き残りについて:その1」
「大学の生き残りについて:その2」
「大学の生き残りについて:その3」

「大学の生き残りについて:その4」

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