今月の写真
「野生生物との共生」は言われているほど簡単なことではありません

 この看板の写真は、2015年9月、札幌市の南郊にある「市民の森」の入り口で撮った。 夏が終わり、秋になると野生の熊(北海道ではヒグマ)が、冬眠に備えて大量の食物を漁る。このため行動も活発になって、札幌の市街地でも熊の出没が、よくニュースで報じられることになる。この写真でも、見つけた日付、場所、状況などが詳しく書かれていて、なまなましい。

 そして、町のホームセンターには秋冬の準備用品のひとつとして、除雪機などとともに、目立つところに「クマ鈴」が並ぶ(右の写真)。山野を歩くときにつけて鳴らす鈴である。北海道の秋の風物詩でもある。

 しかし、クマから見れば、人間の住処が勝手に、クマの生活圏に入ってきたのである。航空写真で見ると、クマが出たといって騒ぎになった住宅地は、じつは西方の山地から森がずっと続いてきたところに、新たに住宅が建ち並んだ新開地なのである。つまり、クマから見れば、昔と同じように歩きまわり、昔と同じようにエサを漁っているところに住宅が建ち並び、生ゴミなど、いままでにないエサが豊富にある場所が出来たのである。

 好奇心がある動物ならば、なおさら、いままで見たこともないところを探検しようとするだろう。新しいエサ場を見つけることは種族を維持する本能のひとつでもある。

 だが、人間は残酷なものだ。たとえ子グマであろうとも、テレビカメラが回っていようとも、射殺してしまう。宮沢賢治「なめとこ山の熊」の小十郎という熊撃ちの名人のように、生きるための手段としてやむをえずクマを撃つのではない。「猛獣だから」「人間にとって危険だから」撃つのである。

 いや、クマには限らない。シカやイノシシやニホンザルなどが増えて農作物を荒らすことが大きな問題になっている。北海道の東のある町は、町全体を金網で囲った。

 北海道ではシカを撃つ方法を変えて、「シャープシューティング」や「モバイルカリング」という、シカをエサでおびき寄せて道路上の車から撃つという、より多くのシカを殺せる手法が始まっている。

 ちなみに、先住民族アイヌでは、クマと人間の距離はずっと近かった。ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイ(神)を1〜2年間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界に帰ってもらうものと考えられていた。

 捕えた子グマは集落に連れ帰って、最初は人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻(右下の写真の檻。写真は札幌市郊外のアイヌ文化交流センター=サッポロピリカコタン=で。なお、右にあるのは高床式の穀物倉)で育てるが、やはり上等の食事を与えていた。

 1〜2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでクマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまっていた。

 「野生動物との共生」が謳われている。しかし、どのくらいの野生動物が「適正」であるのか、はとてもむつかしい問題である。農家にとってみれば、野生生物はゼロのほうがいいかもしれないし、そもそも地球上に人類がのさばって資源を食い荒らして地球を汚していていいのか、という問題もある。

 そうそう、地震観測にとっても、人間の住処が増えるのはじつは問題なのである。


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