留萌市民文化誌『波灯』第6号。1993年5月10日発行。100-112頁、連載その3。原文に一部加筆)

世界でいちばん楽天的な国

一:終夜運転

 その国の首都はその国がある大陸のパリと言われている。ヨーロッパ風の美しい町並みと広い緑の公園が特徴で、かっての栄華の名残か、ヨーロッパにもないほどの立派な石造りの建物が美しい。

 首都の緯度は東京なみだが、不思議なことに夏でも東京よりもずっと過ごしやすい。夏の朝でも気温が15度にも下がることもあり、涼しい日には昼間でも24度ということもある。つまり気温は札幌なみだ。

 それにしても、ヨーロッパのたいていの都市と違って、どうして日本人は東京や京都のような、夏に暑いばかりではなくて、蒸し暑くて耐え難いところに住み着いてしまったのだろう。エアコンがなければ暮らせない街、などというものは文明ではなくて、資源の浪費だけである。

 その国の人口は3000万あまりだが、首都周辺に約1000万が集まっている。地方の過疎と首都圏への過度の集中。その意味では日本と同じだ。

 その国は夜が遅い。

 町のレストランは午後8時からしか開かない。私は慣れるまでは空腹で困った。

 繁華街のショーが一日に2回とすると、その時間は午前0時半と午前2時半だったりする。

 朝四時に、女性が一人でバスを待っている町である。町中のバスはもちろん終夜運転だ。札幌のススキノもかなわない。

 それゆえ朝も遅い。郵便局も銀行も朝10時からしか開かない。

 時間のズレは慣れれば困らない。

 しかし困るのは電話事情が悪いことだ。回線に比べて多くの電話を売りすぎたせいと、施設も老朽化しているせいだ。

 日本のように、ダイヤルを回せば、いつも電話が通じるものだと思ったら大間違いで、この国の電話はしばしば通じない。始末が悪いことに呼び出し音だけは正常なのに、実際には電話が通じていなくて、むこうのベルが鳴っていないことも珍しくはない。雨が降ったら、もっと悪くなる。日本大使館の職員の家の電話さえも、大雨が降ると通じなくなる、という。

 公衆電話ボックスも、中に入ると受話器がむしり取られていたり、ダイアルがなかったりするのがざらだ。4台の公衆電話ボックスがあるのに、一台に長蛇の列のことも多い。あとのは故障だからである。

 私がその国に来る前の打ち合せでも、日本からのファクシミリも日本へのファクシミリも、かなり通じなくて困ったが、この国へ来て、ようやく電話事情が分かった。国内でもこんなありさまだったら、国際電話がちゃんと通じるわけがない。

二:有効期限

 この国も、世界の多くの国と同じくインフレに苦しんでいる。

 私が滞在した月のインフレ率は、政府発表では5%とかで、十年来もっとも低かった。彼らの言うインフレ率とは「月間」のインフレ率のことだ。私たちが普通に言う年間ではない。

 しかし誰も、この政府発表の数字を信じていない。庶民の生活の実感では月に80から100%と、ずっと高いという。

 驚いたのはホテルの部屋の壁に張ってある有効期限付きの料金表である。例えば12月10日から月末までの、わずか20日間だけしか有効ではないのである。

 インフレは郵便も直撃した。この国から切手が消えてしまったのである。切手収集家にはつらいだろう。郵便局では封筒に数字の入った料金の判を押すだけである。これなら、切手をしょっちゅう作り直さなくても済む。

 このインフレゆえ、庶民的なホテルでも一泊が40万という、恐ろしい数字である。南米のある国のように、一週間分のホテル代を払うのに、風呂敷包みで一杯の紙幣を持ち込むほどではないが、ここでも厚い財布がいる。宿代やちょっとした買い物には、価格の数字は目を廻すほどである。

 一通貨単位は、わずか五年前には一ドルより高かったが、今はなんと、5500分の1になってしまった。

 私がその国の首都に滞在したわずか二週間の滞在中に、一ドルは5800から6300になった。そして、約2カ月後に観測から帰ってみたら9300にもなっていた。市内を走るバスの市内運賃も、1500から2200へ上がっていた

三:強盗

 経済の低迷とインフレは治安の悪化を生む。歩いているときには車道側に荷物を持つな、車やオートバイにひったくられるからと注意を受けた。

 汽車では扉の近くに座ってはいけない。発車間際にひったくられるからだという。椅子の通路側には荷物を置いてはいけない。

 汽車ではガランとした車両に乗ってはいけない。かといって混みすぎているのもスリなどで危険だ。

 外出のときに、ポケットからちょっと紙幣の端が出ていたらホテルのメイドが注意してくれるほどだ。

 自宅のドアを開けるとき、閉めるときにも、まわりを見回さなければならない。その瞬間に家に入り込まれる恐れがあるからである。研究所の中でも、必ず部屋に鍵をかけてから外出する。

 ある科学者は、警察からわずか百メートルのところでピストル強盗に遭い、一家で乗っていた自家用車を奪われた。その後もまた盗まれ、いまの車は3台目である。

 じつは車がいちばん危ないのは、じつはその国の首都の国際空港の駐車場である。このため予防策として、昼間にたった一時間駐車する間にも、車のボンネットを開けて、ディストリビューターのローターという、指先で取り外せる小さな部品を外してポケットへ入れていく。この部品がないとエンジンがかからないのだ。

 そのほか車の車室内に防犯用隠しスイッチを付けている車が多い。これもエンジンがかからなくする秘密のスイッチである。日本のように立派なカーステレオやテレビをつけたまま駐車しておくことなど、この国では思いもよらない。

四:受信専用

 国の経済は科学者も直撃する。公務員たる国立研究所の研究者や大学の先生の給料は、インフレには、とてもついて行けない。私が訪れた研究所の科学者の給料は、民間のなんと15から20パーセント、つまり5分の1から6分の1しかない。

 例えば私の親友であるS氏は国立研究所に勤めているが、彼の月給は日本円にしてわずか約5万円。共稼ぎの妻の収入を足しても大赤字だ。毎月、貯金を取り崩して行く「タケノコ」生活である。

 彼の家では、電話のダイアルに小さな鍵をかけて、ダイアルが回らなくしてある。電話代が払えないから、受信専用の電話にしてしまったのである。

 彼はユーゴスラビア生まれ。正確に言えばスロベニア人。いま彼の故郷はズタズタだ。貧しい国ゆえ、将来食べられる見込みのなかった1956年、まだ少年時代に大志を抱いてその国へ移民してきた。その後苦学して優秀な成績でその国の大学を出て、私が訪れた研究所の科学者の職をようやく得たのである。

 S氏が研究にかける情熱は熱い。また科学も彼を必要としている。しかし、この給料と経済情勢では、車を賣り、家を売って研究を続けるか、いずれ辞めて別の仕事を見つけざるを得なくなるかもしれないことが、いま、彼の最大の悩みなのである。

 給料が低いのはS氏には限らない。彼の研究所では、世界的に名が知られた学者である所長でさえも月収は13万円。公務員は給料の上がり方がインフレにも、また悪いことに税金の上昇にさえもついて行けない。大学も事情は同じだ。学問の危機と言えるかも知れない。

 しかしそればかりではない。その国では学校の先生、医者、警官がとくに給料が低い。学校の先生は待遇改善でスト中。そのため私がその国の首都に滞在中、新学期になって3ヶ月にもなろうというのに、まだ学期が始まっていなかった。教育の危機でもある。

五:配置転換

 しかしS氏よりももっとかわいそうな科学者もいる。たとえば私が訪れた研究所のホヤホヤの地球物理学者P氏だ。

 ホヤホヤ、というのは彼はある国立研究所が国の財政難のために縮小されて、私が訪れた研究所に移って来たからだ。

 国の方針としての人員削減のため、宇宙科学者だった彼は、否応なしに研究テーマも変えられてしまったのである。経過措置として給料はまだ前の官署から貰っているから、月に一度、半日がかりで、隣の市にあるもとの研究所に受け取りに行かなければならない。

 P氏は、じつは三カ月前に移ってきたばかりだった。所長の抜擢で、にわか地球物理学者になった。私たちとの共同観測が初めての大仕事だったのである。所長から抜擢されただけあって、恐ろしく親切で、よく気を遣ってくれる。

 氏の家族は夫人と子供が4人。17歳の長女は大変な美人で、愛敬もある。日本人から見たら、とても子供には見えない。しかしはにかみやだ。

 長男は16歳の息子。世界のコイン集めが趣味だが、父親が外国に行ってコインを集めてくれる機会がないのが不満だ。次男は10歳。わんぱく坊主だ。

 次女は8歳。これも美人だ。当然の礼儀として、こちらがドギマギするのもかまわず、ふだん教わっているとおり来客の頬にキスしてくれる。いずれも成績の良い子供たちなのがP氏夫妻の自慢である。

 しかし生活は楽でない。一家でレストランで食べるなど、思いもよらない。P氏の昼は、家からシュウマイくらいの大きさのミートボール三、四個と林檎ひとつを持ってきて、研究所の下にあるコンビニエンスストアでビスケット一包みを買って食べるくらいの質素なものだ。

 研究所にも質素な食堂があって、200円から400円くらいで食べられるが、P氏には手が届かない。しかし、ステレオやカラーテレビを買うよりも子供が多い方がいいと、P氏は楽天的である。

 首都のレストランや近郊の観光地は閑古鳥が鳴いている。市内の目抜き通りにある100人も入るレストランに客がわずか一、二人というのも珍しくはない。

 ウェィターたちは、手持ち無沙汰なのでレストランの入り口に集まって通行人をジロジロ眺めている。レストランもあまりにガランとしると、気味が悪くて入れないものである。

 私が訪れた研究所では、多くの科学者が内職をしている。しかしそれでも足りずに、安い月給に耐えかねて民間に流出してしまった科学者もいる。地球物理学者や地質学者が多いから、石油会社、物理探査会社などに流出してしまうのだ。

 K氏もそのひとり。よく出来る陽気な地球物理学者である。十四年も私が訪れた研究所に勤めたが、生活の苦しさに耐えかねて、ある日、転出を決断して民間の物理探査会社に移ってしまった。

 自分は収入のために割り切ったからいいが、研究所にとって自分を失ったことは損失のはずだと平然と言う。日本人にはなかなか言えない台詞だが、これが普通の外人なのだ。世界的に名を知られたと自称するとおり、世界の学会でも活躍していた。たしかに地球物理学にとっては損失である。

 いま彼はその国の首都から1700キロメートルも離れた高山の麓にある地震探査の現地事務所に勤めている。家族はその国の首都に残している。遠路を週末に帰ってきて一人息子と過ごすのが、彼の最大の楽しみである。遠くて、なかなか大変な単身赴任なのである。

六:取調室

 私たちの研究の許可を得るために、P氏とその国の外務省を訪ねたことがある。日本大使館と私が訪れた研究所が準備してくれた書類を持って行ったのである。

 日本の官庁は、おおむね庶民に評判が悪い。官尊民卑の風が強いし、訪れた庶民を客と思っているように見えない。

 しかしその国の外務省には恐れ入った。賓客用ならともかく、私たちが入るための入り口は、正門から続く高い石塀の角を廻ったところにある、石塀に不愛想に付けられた窓もない粗末な木の扉なのである。

 扉を開けると、そこはいきなり八畳ほどの狭くて暗い部屋になっていて、もろもろの申請を受け付ける官吏が、鉄の格子の向こうに座っていた。

 つまり、外務省に入ったとたんに、取調室に入らされた被疑者になってしまうのだ。もちろん、格子のこちら側にはソファなどはない。先客がいれば、立ったまま、順番が来るのを待つのである。

 官吏の態度もまわりの情景にふさわしいものであった。P氏が汗を流しながら、この書類は急ぐのだ、観測船が出港するのに間に合わなくなってしまうのだ、と力説しても、今日は書類を受け取るだけだ。明日にまた来て、そのときに必要があれば説明しなさい、とその官吏は言うだけで、それ以上の会話は遮られてしまったのである。

 たしかに窓口の官吏氏にとっては、船が出てしまおうが間にあわなかろうが、遠い世界の出来事に違いない。乏しい給料でどうやって家族を支えるのか、帰りのバスの中で強盗に遭わないかどうか、そんなことで頭がいっぱいになっているのに違いない。

 あとで分かったことなのだが、外務省に負けず劣らす、税関も大変なところであった。その国の役所は、どこも似たりよったりに違いない。

七:潤滑油

 しかし、願いが天に通じたか、日本大使館や私が訪れた研究所の支援が功を奏したのか、翌日に外務省を再び訪れ、また次の日、とは言われたものの、書類を税関のために用意してくれることのめどがようやく立ったのである。

 さて、その次の日。外務省でようやく書類を受け取って、私たちの観測機材が置かれてある空港へP氏と急ぐ。その国の首都から空港までは60キロメートル。汽車はなく、結構遠い。

 私たちが苦労して勝ち得た外務省の書類のおかげで、通関は無事にすんだ。しかしすべてが無事にすんだわけではない。

 大晦日に到着してからの倉庫料の約2万円。これはやむを得まい。そのほかに税関の官吏に2500円の「お礼」が必要であった。これは税関としての収入ではなくて、官吏個人のポケットに入るものだが、その国では払わなければならないものなのである。下級官吏の役得なのであろう。

 額から言っても、これは賄賂とは別で、いわば日常的な潤滑油らしい。しかしこの国では、政府高官に知合いがあると、駅構内に売店を出す権利が得られて、それゆえ高収入が期待できる、それゆえ高官は「お礼」が期待できる、といったことは日常茶飯事なのである。その国は軍政、民政、双方の政権を経験してきた。しかしどんな政権の時代にも変わらないのが、この習慣であった。

 実際に機材を倉庫からトラックまで運んでくれた税関のフォークリフトの運転手にも「お礼」が必要だった。もちろん料金表があるわけではない。

 ようやく通関して受け取った2トンもの観測機材を空港から市内まで運ぶのは、思ったよりも大変なことであった。

 驚いたことに私が訪れた研究所はトラックなどは持っていなかったし、運送業者に頼むのも高くつくせいか、頼む習慣もないらしい。

八:大金

 結局、機材の運搬はタクシーフレートという、いわば個人タクシーならぬ個人トラック・タクシーで運ぶことになった。

 一匹狼のトラックで、町を流しながら、注文を受けて輸送を引き受ける商売である。電話での注文も受けるのかも知れないが、電話事情も悪く、事務所もないような零細業だから、町中を流しながら客を待つのが普通のスタイルである。

 このためその国の首都では、大型、小型、さまざまなトラックが市の隅々まで走り回っている。トラックに限らないが、バスもトラックも、古い上に調整が悪いのか、真っ黒なディーゼルエンジンの排気ガスをまき散らしながらその国の首都中を走り回っている。このトラック・タクシーは大変な大気汚染源なのである。

 このトラック・タクシーにはタクシーメーターはない。時間制で、4トン車が時間当り2500円である。不思議なことに距離は問わない。運転手一人だけの商売だから、積み込み積み下ろしは客がやらなければならない。

 その国の例に洩れず、恐ろしくオンボロのトラックであった。銘柄だけはメルセデス・ベンツ。しかし三、四〇年も前のトラックである。しかもボンネット・トラックという、車体の前にエンジンを入れた鼻が突き出た昔懐かしい形のトラックである。

 何十万キロ、いや百万キロメートル以上走ったのか、ボディーもエンジンもガタガタである。速度計はピクリとも動かない。ブレーキは金切り声を上げるが、車はなかなか止まらない。

 私たちは六時間借りて、料金は15000円だった。これはその国では、かなりの大金なのである。

 これは私の支払になった。というのは、私が訪れた研究所には、これだけの現金さえ持っていなかったし、研究所が持っていないような「大金」は、P氏ら科学者も立て替るだけの持ち合わせがなかったからである。

九:老朽ビル

 さて、私が訪れた研究所にどうして、たった15000円の現金がなかったのか、それには私が訪れた研究所がどんな研究所なのか、お話ししなければなるまい。

 その国の首都の街の中心には、幅が140メートルもある世界一の幅の大通りがある。札幌や名古屋の大通りは足元にも及ばない。

 車だけでも両外側に三車線ずつ往復六車線、芝生で仕切られた内側に往復2車線ずつ、そのほかに芝生と並木の公園があるのだ。どのくらい広いかというと、札幌の大通りの下にある地下商店街のような商店街が、縦ではなくて「横に」入っているほどなのだ。

 この大通りに面して、町のオフィス街が広がっている。近代的な高層ビルが多いが、その中にひとつだけ、一段とみすぼらしい4階建ての老朽ビルがある。これが私が訪れた研究所である。小さなビルだ。

 中へ入ると、なんとも手狭である。屋上にも駐車場にも建増しがひしめいている。その建て増し部分はバラックのようないかにも安普請だ。真っ暗で、しかも曲がりくねった迷路のような廊下が建物の中を縫っている。先日壊されてしまった香港の九龍城もかくや、と思われるくらいの怪奇な建物なのである。

 しかも各部屋のエアコンの後部が建物内部の廊下や階段に、直接、突き出して熱風と騒音を吹き出している。建て増し建て増しで、外に面していない部屋ばかりになってしまったからである。

 P氏が属する地球物理学研究室には4人の科学者がいる。しかし、4人でたった一つの部屋しか割り当てられなかった。

 部屋の大きさは10畳ほど。2つしかない机を地球物理学者4人で使う。どうするって? ある科学者は午後からしか来れないし、もし誰かが来ていたら、図書室か他の部屋へ行って仕事を続けるしかないのである。

 室内には洗面台はない。だから、お茶を呑む水は、近くのトイレへ水を汲みに行くわけである。そのトイレも、一人用のトイレの内部にある手を洗うための蛇口ひとつしか水が出るところはない。

 部屋にあるコップは、すべて取っ手が欠けている。床のリノリウムは面積にして4分の1ほどがすでに剥げてしまって、コンクリートが顔を出している。天井には永年の雨漏れのシミが地図を描く。

 老朽化した配線のためで、昨日はヒューズが飛んで全館停電した。今日はエレベーターが止まったままで、S博士が工具を持って奮闘しているが、まだ直っていない。

 研究所全体でコピー機は一台しかない。はるか昔の日本製で、スイッチを入れると、すさまじい音を出す。コピー機にはコピー用紙が入っていない。つまり、コピーを取りたければ、コピー用紙は自分の分を必要なだけ自分で持って行かなければならないのだ。

 タイプライターも所長秘書だけは電動式。しかし、ほかのすべては旧式の機械式で、日本ではどこを探してもないような時代物である。ワープロはまだない。

一〇:虎の子

 研究所の総勢は1960年代には90名だったが、いまは200名となかなかの大研究所である。200名のうち120名が科学者と技官である。

 しかしその国の経済的な困窮から、研究所はピンチにある。

 たとえば職員の数が最近は急速に減らされている。私が滞在しているときにも、間もなく、職員の数が半減になる、という話であった。

 職員の数だけではない。研究所全体が不景気のアッパーカットをまともに食らってしまった。車のガソリン代もままならないほどだ。

 私たちの空港への出迎えも、ようやく所長の特別許可を得てガソリン代を貰えた。このガソリンで所員の自家用車で迎えに来てくれたのである。しかも空港の税関との往復のときは、実際はバスにして、ガソリン代を浮かせて研究費の足しにしたほどであった。

 研究所では毎日P氏が管理部門に掛け合いに行ってくれて、今日はガソリン代やら書類の証書代など、これだけは貰えた、と言って毎日二、三千円のわずかな現金を貰ってきてくれたのである。こんな事情だから、15000円のトラック代は、とても出なかったのである。

 研究所ではパーソナルコンピューターも満足には買えない。何年も前の旧型のパーソナルコンピューターが研究室には一台だけある。コンピューターは日進月歩だから、旧式では計算能力も低く、現代の第一線の研究にはほとんど使えない代物なのである。

そのコンピューターのプリンターは八百屋から貰ってきた木箱の上に置かれている。それでも虎の子のコンピューターだ。毎日、ビニールの袋を後生大事に掛けて帰るほどである。

 この虎の子のパーソナルコンピューターさえも研究費で買ったものではない。重力計という、たった一台しかない観測用の機械を民間の会社に貸して、研究費を稼いだのである。いわば、観測器のアルバイトだ。かといっても、直接、お金は受け取れないので、パーソナルコンピューターを買って貰った。これが虎の子のコンピューターなのである。

 買ってからも、科学者だけが占有できるわけでもなかった。いまでも外部の人がこのコンピューターを借りに来ているのだ。まだ研究費を稼いで貰わなければならない「働き手」なのである。

一一:移民

 じつは、その国には日系人も多い。大使館によると4万人弱。しかし日系人の中には、25000家族、8万人という説もある。その国の日系人の80%がその国の首都とその周辺に住む。

 日系人の日本での出身地は貧しい県に遍在している。沖縄が70%でトップ、ついで鹿児島、北海道、熊本、広島の順だ。高知も多い。一方、和歌山出身はブラジルには多いが、その国には多くはない。慣れない異国で、出身県ごとに肩を寄せあって生きてきたのだろう。

 日本からの移民は第二次世界大戦後も長く続き、最後の移民船は昭和30年代だった。つまり最後の移民は、いま働き盛りなのである。

 日系人の職業には大きな特徴がある。その国の首都では圧倒的にクリーニング業が多く、この業界のほとんどを日系人で占めることである。

 言葉がほとんど要らない職業を選んだわけである。移民一世の苦労が偲ばれる選択というべきであろう。一方、郊外では花などの園芸業が多い。これも言葉が要らない職業である。この二つで日系人の職業のうち75%も占める。日系人のための邦字の新聞が二紙あるが、日刊ではない。

 十年近く前から、その国に限らず、外国にいる日系人は、自動車製造会社など、人手不足が続く日本で引っ張りだこになった。外国人労働者の受け入れには塀が高かったが、日系人だけは歓迎されたからである。それゆえ、この国から日本へ行く飛行機の安い座席は、もう何年も、これらの客で満席が続いている。

 一年とか二年とか単身で出かけて、二、三百万円稼いで帰って来る出稼ぎが日系人社会をすっかり変えてしまった。これだけの現金収入は、こちらでは到底稼げない金額だからだ。その国では、働き手がいない留守家族だけが目立つ。また、その国で汗水流してようやく成功する気風さえも変えてしまった。

 しかし、条件は年とともに悪くなっていた。ここ数年はその国のインフレのおかげで、前より長く働かなければならなくなった。

 そして、ごく最近はバブル崩壊後の日本の突然の不景気が、彼ら国際出稼ぎの人々を直撃した。かなりの額の前借りをしたり、ほとんど全財産をはたいて高い切符を買って日本へ来た彼らは、不景気になったからといって、十分稼ぐまでは帰れない。立場の弱い彼らは、求人難から求職難への急変に戸惑うばかりである。

 米国の自動車会社などと違って、日本では正社員の首は切らず、臨時工が安全弁になる。いつもながらの弱者への皺寄せだ。このように日本の経済の都合で振り回されているのが日系人なのである

一二:敗戦

 この国のインフレと経済の悪さには、その国が仕掛けながら、あっという間に負けてしまった十年ほど前の戦争が影を落としている。

 負けたこの戦争から急速に景気が悪化した。もっとも国の景気が悪くなったから、国民の眼をそらすために戦争を仕掛けたという説も根強い。

 その国の首都郊外にある海事博物館では、この戦争で大砲に撃ち抜かれて大破した軍艦の船橋などが展示されている。

 その国の首都の中心にも戦死者約500名の名を一人一人刻んだ記念碑もある。しかし国民の士気を鼓舞しようという政府の魂胆とはウラハラに、人々はこの戦争にはイマイマしさと不況の元凶とだけしか感じないのである。街中の記念碑を訪れる人も少なく、人々は関心を押し殺して通りすぎる。

 その国の首都の街の中に、いちばんナマナマしく残っている戦争の傷跡は戦争で傷ついた人々が物を乞う姿である。

 眼が見えなくなったり、中には下半身を失った多くの軍人が、繁華街の道端で小銭を待っている。早朝から深夜まで人の目にさらされても、いくらの稼ぎになるのだろう。人通りも疎らになった深夜の街に流れていく彼らのギターの弾き語り。私はこれほど物悲しく、せつない音楽を聞いたことはなかった。

 一方、戦争の勝者の国もその後の道は平坦ではなかった。この「戦勝」後ずっと景気の後退と失業の増大に苦しみ、やがて応戦の決断をした首相も退陣した。

 現代の戦争には「勝者」はないのではなかろうか。この戦争に限らない。湾岸戦争もそうだ。

一三:ネズミの骨

 しかし、日本人なら気が滅入るようなこういった状況のなかでも、国民はたくましい。町の中華料理店で鶏の料理を食べた人の喉に骨が刺さった。医者に行って取ってもらったら、ネズミの骨が出て来たことがある。

 なに、喉に刺さりさえしなければ、蛋白質を食べたが安くてすんだ、というのがこの国民の楽天性なのである。

 年末には信じ難い風景が首都に出現する。

 町中のオフィスや商店の窓から、おびただしい紙を放り出すのである。抜けるように青い空はるか高く、渡り鳥の大群のように白い紙が舞い上がって行く。紙テープも撒く。ネオンや看板にも紙テープが巻き付いて町中がゴミで溢れる。コンピューターの磁気テープさえ空を舞っている。拾ってみると、領収書やら納品書も混じっている。もう不要なのかしら。機密保持はどうなのかしら。

 そんな私の心配をよそに、陽気な大晦日である。楽しんでいるのか、ウサを晴らしているのか、こんな大晦日があるとは知らなかった。

 また、その国では、とても難しくて出来ないことを「イッツ・ジャパニーズ」という。マイペースで楽しくのんびり、しかしたくましく生きる、その知恵を備えているように見えた。日本で一日で出来ることが、ここでは一週間かかる、というのが、ある在留邦人の話だ。しかし日本で一年かかることを一日でやってしまう醜い宇宙人がいたとしたら、日本人はその醜い宇宙人になることを目指すだろうか。

 その国の人は謙虚だから、自分達を先進国だとは思っていないが、識字率は93%と十分に高い。義務教育は7年間と日本よりもやや短いが、逆に大学終了までの教育期間は17から19年かかるから、場合によっては日本よりもずっと長い。

 その国は個人は優秀だが集団ではダメになる。日本人とは反対だ、というのがある日本人大使館員の評である。

 これは少し点が辛すぎる。人々は人なつっこくて、私が好きな国の人々である。

 その国の名はアルゼンチン。

(筆者註:私がアルゼンチンを訪れたのは1990年暮から1991年始めにかけてだった。その後、1990年代の終わりには、アルゼンチンは国の経済が崩壊してしまったのは周知の通りである)。

【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
■:世界でいちばん人口が減った島 『波灯』第20号(2007年6月発行)、連載その10{400字で約50枚}
■:ウサギの言い分 『波灯』第19号(2006年5月発行)、連載その9{400字で約35枚}
■:世界でいちばんたくましい国 『波灯』第17号(2004年5月発行)、連載その8{400字で約35枚}
■:世界でいちばん雨が多い国 『波灯』第16号(2003年5月発行)、連載その7{400字で約33枚}
■:世界でいちばん危ない国 『波灯』第14号(2001年5月30日発行)、92-114頁、連載その6{400百字で約62枚}
■:世界でいちばんケチな国 『波灯』第8号(1995年6月10日発行)、16-24頁、連載その5{400字で約23枚}
■:流浪の科学者 『波灯』第7号(1994年5月20日発行)、13-19頁、連載その4{400字で約19枚}
■:世界でいちばん楽天的な国 『波灯』第6号(1993年5月10日発行)、100-112頁、連載その3{400字で約35枚}
■:世界でいちばん過疎の国 『波灯』第5号(1992年4月発行)、24-32頁、連載その2{400字で25枚}
■:オトギの国で過ごした夏 『波灯』第4号(1991年4月発行)、172-181頁、連載その1{400字で25枚}

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