留萌市民文化誌『波灯』(第19号、2006年5月31日発行。連載その9)
ウサギの言い分
1:■東京ドーム700個分
広い土地、というのはどのくらいの面積のことを言うのだろう。
私が2004年の末に北海道から東京へ転居して、一番びっくりしたのは、東京の郊外にサラリーマンが手に入れて住み着いている住宅が密集しているありさまだった。
都心から1時間以上もかかる郊外の私鉄の駅から、さらに歩いたら30分以上もかかりそうな住宅地のことだ。つまり一昔前は、一面の茶畑や麦畑やサツマイモ畑が拡がっていて、遠方には富士山や秩父(ちちぶ)の山並みが見えていたに違いないところが、いまは全部、住宅に埋め尽くされている。
それも、自宅の窓を開けて手を出すと、本当に隣の家に触れることが出来る間隔で、家が建て込んでいるのである。
庭と言えるようなものはほとんどない。雪国ではないからいいようなものの、ここで雪が降ったら除雪した雪を積み上げるところもないから、大騒ぎになるだろう。
このあたりの住民にとって、広い土地とは、たとえば50坪、つまり160平米くらいに違いない。つまり縦10メートル、横15メートルほどの土地である。
この大きさの土地を手にすることが出来れば、首都圏のサラリーマンとしては十分な成功者なのだ。これらの家の狭い庭のほとんどを占めるコンクリートのたたきには、メルセデスだプジョーだボルボだという外車が、あたりを払う威厳を示していることになる。
もちろん、世界的には、これは極端な例だ。
たとえばオーストラリアの大都市の郊外に住む人たちにしてみれば、彼らが住める広い土地とは、せめて4分の1エーカー、つまり1000平米くらいのことに違いない。
裏庭でキャッチボールが出来るくらいの家が普通に並んでいるのは、オーストラリアには限らない。米国の大都会のベッドタウンでも、あるいは英国ロンドンでさえ、環状線の地下鉄から一歩出た住宅地では、珍しくはないことなのだ。
2:■フランスのパリにある大草原
はじめからみみっちい話になった。今回は、東京ドーム700個分ある広大な草原に住み着いた私たち一族の物語である。
東京ドーム700個分、と聞いて感じがつかめる人は少なかろう。これは縦6キロ、横5キロほどの拡がりである。
さしわたしを歩くだけで1時間半、周囲をぐるっと歩くことになれば5時間では足りないほどの大きさの土地である。
この広大な草原はどこにあるのだろう。
じつは、花の都パリの中心部から、電車でたった40分のところに拡がっているのである。
パリはフランスの首都だから、このような広い草原がいくつもあるわけではない。パリだけで人口は900万人を超える。
この草原も、まわりは住宅や工場や高速道路に囲まれている。草原全体はぐるっと金網の塀に囲まれているが、塀の中は、まわりとはまったく違う景色が拡がっているのだ。
私たち「一族」とは、ウサギである。灰色がかった茶色の、何の変哲もない私たち野ウサギが、この草原に住み着いて、増え続けてきたのであった。
3:■2分に1回の騒音と巨大な影
この草原には、私たちが住み着くに当たって、良いことと悪いことの両方があった。
いいことはいっぱいあった。
まず、広くて、食べ物になる草がいくらでもある。草は牧草が多いが、その他の雑草も多い。土地のほとんどは草原だから、ちょっとした穴を掘って住処を作り、子供を産んで育てるのには、願ってもない環境であった。
そのうえ、ここにはウサギを襲おうという天敵が少ない。
まったくいないわけではない。空から襲ってくる猛禽類はいないわけではない。しかし、ここでは、さすがパリだけに、数はごく知れている。
もっとも恐ろしい天敵であるキツネやオオカミのような肉食の陸上動物がまったくいない、というのも理想的な条件であった。
しかし、悪いこともあった。
その最大のものは、耳をつんざくような、途方もない騒音がしばしば襲ってくることだった。ちょっと古い統計だが、1997年には、この騒音は、1年で39万5500回に達した。
大変な数ではある。この音とともに、上空を大きな影が通り過ぎる。しかし、幸いなことに、この影は私たちを襲ってくる危険なものではない。
しかし、約40万回とはいっても、1日当たりにすれば1000回あまり。平均すれば45秒に1回になる。しかも、このうち3分の2ほどは、あるいは風向きによってはもっとたくさんが、何キロも離れた広い草原の反対側で大きな音がするだけなのだ。
1回あたりの時間はそう長くはない、長くても1分間ほどだ。音と巨大な影が去ってしまえば、すぐに草原は平和な静寂を取り戻す。
私たちのようにここで生まれて育ったものからすれば、慣れてしまったこともあり、のべつ幕なし、というほどでもないのは、せめてもの幸いであった。
4:■31万平方キロのほとんどは草原
この巨大な影は飛行機というものだ。
たいていの動物よりも遅くしか走ることが出来ない不器用な動物である人間は、その劣等感からだろう、滑稽な、あるいはときには凶暴な機械をたくさん作り上げた。飛行機は、滑稽でもあり、凶暴でもある機械の最たるものだ。
飛行機は、動物のように、その場で飛び上がることが出来ない。途方も長くて平坦な滑走路というものを人工的に作り上げ、そこからしか飛び立つことも降り立つことも出来ない不自由な仕組みである。
じつは、この草原は、その飛行機のために作られたものだ。草原の広さは3104ヘクタール(31平方キロ)もある。
しかし、これだけの広大な草原に、滑走路はたった3本しかない。一番長いものが4215メートル、あとは3600メートルと2700メートルの長さである。滑走路それぞれの幅は60メートルほどのものだから、草原の中に滑走路が占める面積は、全部の滑走路を合わせても、わずか50分の1しかない。
この空港はフランスで一番大きな空港だ。フランスの玄関口でもある。シャルルドゴール空港。古き良き時代のフランスの栄光を担った将軍の名前を冠しているが、軍事空港ではなく、民間空港である。地元の人はロアッシィ空港と呼んでいる。
空港だから、滑走路のほかにも、空港ビルや、駐車場や、格納庫や、倉庫や、空港に乗り入れている新幹線や鉄道の駅もある。しかし、全体の中では、これら人工物の面積も知れたものだ。つまり、31平方キロのほとんどは、広大な草原として残っているのである。
ちなみに、日本の成田空港は710ヘクタール、つまりパリのこの空港の4分の1もない。
成田空港は言うまでもなく、汗を流して開拓して、ようやく農業が成り立つようになった農民から無理に土地を取り上げた国策空港である。
英国の玄関口、ロンドンの国際空港であるヒースロー空港も1141ヘクタールだから、ここの3分の1強しかない。
私たちウサギは意識してここに住み始めたわけではないが、他の空港だったら、もっと肩身が狭い思いをしたかも知れない。
もっとも同じ英国ロンドンにあるロンドン・シティ空港は、わずか37ヘクタールしかない。もし、この空港に住むことになっていたら、私たちの天国はなかっただろう。
5:■私たちは高級食材
ここは世界有数の巨大空港だから、出入りする人間の数も膨大なものだ。同じく1997年の1年間に3510万人が出入りしたという。
しかし、幸いなことに、乗客である人間どもは、私たちの聖域になっている広大な草原に入ることは許されていない。
だから、1年のほとんどは、人の姿をほとんど見ることがない広大な草原で暮らすことが出来る。それが私たちの幸せなのである。
私たちの草原に入ってくるのは、ごくたまに牧草を刈りに来たり、刈った牧草を集めに来たりする農機具を運転する人間だけである。もっとたまには、滑走路に埋め込んである誘導灯を点検したり修理したりする人間が来ることもある。
相手が日本人のときと違って、気をつけなければならないのは、フランスやドイツの人間どもにとって、私たちウサギは、とても上質の食品であることだ。
ドイツ女性と結婚した日本人が、森の中の道で車を運転していてウサギを轢いてしまった。夫は可哀想に、と車から降り立ったところ、まるで舌なめずりするような妻の顔に気がついて、ぎょっとしたことがあるという。
パリの市内の市場でも、皮を剥かれたまま、跳ぶような姿に手足をいっぱいに伸ばしたハダカのウサギをよく売っている。フランス人にとっては、ウサギは低脂肪で高品質の蛋白源なのである。
だから、私たち空港のウサギも、人間には気をつけなければならない。たまに草原に入ってくる人間どもにとっては、私たちはタダでとれる高級食材なのである。
もちろん、銃や網や罠や猟犬を使うことはもちろん許されていないから、のろまな人間どもに私たちウサギが捕まることはまずない。
しかし、農機具に轢かれたりしたら、日本人のように同情してくれるどころか、私たちウサギにとっての悪魔に変身するのが欧州人なのである。
6:■「可愛い野生動物」に甘んじる
このように、ちょっとした騒音だけが邪魔なものの、これだけ広い草原で、食べ物は食べ放題、地面は適当に柔らかいから巣穴は掘り放題、こんな恵まれた天国に生きられる私たちは無類の幸せだった。
もともと、草食動物は繁殖力が強い。肉食動物のエサにされる宿命から、数を増やすことが本能になっているのである。
こうして、私たちの仲間は増え、草原のどこでも見られるようになった。数は、優に千羽を超えていたに違いない。
自然に生きる肉食動物が毎日満腹ということはないから、むやみに大きくなることはないが、草食動物なら、食べ物が豊富なら、身体も大きくなる。
たとえば「全国ジャンボうさぎフェスティバル」という、ウサギの体重や容姿を競う恒例の大会が、毎年、秋田県中仙町で開かれている。
全国からウサギが集まり、なかには10キログラムを超えるウサギが優勝することもあるという。
滑走路に向かう飛行機の窓からも私たちはよく目撃されるようになった。飛行機から降りてこられるわけではない乗客にとっては、私たちは「食材」ではなくて、たんに可愛い野生動物なのである。
私たちも身の危険を感じなくてすむことが分かったから、身を隠すこともなく、それなりに、並んで飛行機を見送ったり、ときには後ろ足で立ち上がって見せたり、追いかけっこを演じてあげたりもした。
いわばサファリパークの動物なみの、人々を和ませるサービスも厭わなかったのである。
私たちは知るべくもなかったが、世界の他の空港では、私たちのようなウサギが暮らせる空港は、じつはひとつもなかった。
つまりフランス人だけが許してくれた、世界でも珍しいウサギの楽園だったのであった。フランスは変わった国で、ほかの国にはなくてフランスにだけあるものも、その反対のものも多い。
数年前にやめてしまったが、自動車のヘッドライトがほかの国のように白色ではなくて黄色だったのも、フランスだけのことだった。ほかの国から来た車は、黄色いプラスチックで出来たサングラスのようなカバーをヘッドライトに掛けることを強制されていた。
空港にウサギを住まわせる、というのも、フランスがほかの国とは変わっていたことのひとつだったのであった。
食材として使っている「贖罪」意識からだったかも知れない。あるいは、仕掛けたり仕掛けられたりの度重なる悲惨な戦争を体験して、人々のなかに戦争の苦渋がしみ込んでいるフランス人ゆえ、非常時の食糧として飼っている、という意識もなかったとは言えないだろう。
7:■フランス人の豹変
しかし、私たちウサギもゆめゆめ、油断することは出来ないことを思い知らされた。突然豹変するのも、フランス人がよくやることなのである。
これも何年か前のことになる。フランスでは、自動車のナンバープレートを、ある日から突然、黒地に黄色の字に変えてしまった。それまでは、ほかの国と同じく、白地に黒字だった。
こちらのほうが、なにかの特定の条件の時に見えやすい、といった学者の思いつきでもあったのかも知れない。
ものごとを劇的に変えることに何の抵抗もないことが多いフランス人は、このナンバープレートも、あっさり変えてしまった。もちろん、いま走っている車全部を変えるのは大変だから、新規登録や変更登録の分から変え始めたのであった。
だが、大騒ぎが起きた。フランス警察の自動取締装置では、この新しいナンバープレートが読めないことが分かり、警察が大慌てで中止を申し入れてきたのであった。
なんと間抜けなことであろう。事前に調べもしなかったのだろうか。
しかし、フランスでは、この種のことはよく起きる。人々も慣れっこになっているのである。
【2015年4月に追記】フランスは2014年にまた、やってしまった。フランス国鉄自慢の新型車両を開発したのだが、その「車幅」が大きすぎて、かなりの駅でプラットホームにぶつかってしまうことが分かったのであった。
8:■害獣・害虫とはなんだろう
そして、このフランス人の豹変ぶりが、今度は私たちウサギを襲ったのだ。まったく突然に、空港からウサギを絶滅させることになったのである。
フランス人に限らず、人間とは身勝手なものだ。そもそも、地球を、自分たちだけのためのものと思っている。これは思い上がりだ。
自分たちに都合のいいように使い、自分たちに都合の悪いものは冷たく切り捨てる。こうして地球や、彼らの言う「環境」を痛めつけてきた。
彼ら人間が「自然」を大事にするときには、あくまでも人間にとっての利益をもたらす自然、でしかない。
たとえば森でも草原でも、人間は自然の一部として大事にする姿勢を、一応は、取る。
しかし、たとえばそこに生まれて増える「害虫」がいるとしよう。「害虫」とは、人間や人間が必要とする作物にとっての「害」を及ぼす虫ゆえに害虫とされる。
もちろん害虫とはいえ、その虫にとって見ればかけがえのない生命だし、その虫以外の生物や植物にとってもなんの「害」をもたらすものでもないことが多い。
しかし、人間どもは自分たちにとっての「害虫」ならば全部退治して、絶滅させてもいいと思っている。
しかし、人間が害虫と決めつけ、殺してしまうとしたら、自然の生態系の連鎖を、人間が勝手に断ち切ってしまうことになる。
あくまで人間の利害だけを考えて、人間以外のことまでは考えないのが、人間の浅はかなところなのである。
その結果、何が起きるだろう。悪くすれば、人間が守ろうとした自然さえが、人間によって結果的に破壊されてしまうことになる。
害虫「退治」には限らない。当面の人間社会に必要がないものは、見境なく、人間どもは捨てていく。さまざまな工業や原子力産業の廃棄物が、いままでも、そしてこれからはもっと、人間が守ろうとしている環境さえも変えていくことは明らかなことなのである。
9:■人間どもの勝手な議論
たしかに私たちウサギは、よく穴を掘る。子供を産んだり育てたりするためには、風や雨に当たらない穴の中の方がいい。
そもそも、もっとも栄養分の高い餌である、生まれたての子どもを狙う天敵から避けるために、穴の中で子どもを育てるのは本能になってしまっている。
人間どもは、この穴が、飛行場にとって邪魔だという議論をしたらしい。
私たちウサギを餌として狙う猛禽類が飛行場にやってきて、離発着する飛行機に衝突して危害を与えるかも知れない、という意見もあった。
しかし、どれも、私たちウサギから見れば、人間どもの勝手な理屈でしかない。
空港の滑走路自体は何十センチという厚さのコンクリートだから、下に私たちウサギの穴が掘られたところで大した影響はないはずだ。
一方、縦横無尽に空港の中、地面のすぐ下を這っている電線や信号線や、それらを収容するピットは影響を受けるかも知れないという議論もあったそうだ。
ウサギの掘った穴にネズミが入り、そのネズミが信号線を食いちぎることもあるかも知れないという意見もあったという。
しかし、ピットもコンクリートの側溝に守られているはずだし、ネズミにやられるような電線なら、とっくに錆や腐蝕でやられているに違いない。都会の地下を走る電力や電話線はネズミにやられない策をすでに講じている。
猛禽類が飛行機に危害?いや、飛行機にぶつけられた猛禽類こそが被害者なのだ。人間どもだけが世界の中心にいるのではない。
しかも、どんな飛行機のジェットエンジンも、開発の途中で、丸ごとのブロイラーを投げ込むテストを行うことになっており、鳥が飛び込んでエンジンが破壊されることは、まず、ありえないように設計されている。
つまり、どんな理由を付けたにせよ、私たちウサギを排除しようとしたのは、人間の身勝手な思いつきなのであった。
10:■残忍な殺戮が
しかし、いかに勝手な思いつきとはいえ、人間は同じようなことを、歴史上数え切れないくらい繰り返してきた。
愛知県や静岡県の砂浜の海岸に人間が勝手に置いたコンクリートの波消しブロックの長大な列のおかげで、長旅を終えて産卵に来たウミガメが産卵場所を見つけられない、といった悲劇も、人間の身勝手さのせいなのである。ウミガメに限らず、このように人間の勝手さから甚大な被害を受けた動物も植物も数知れない。
動物を絶滅を救うために、などともっともらしいことを言って、動物園や飼育センターに収容してそこで繁殖を試みたとしても、狭い檻の中で飼われることが、その動物にとってのまっとうな「生存」になっているとは到底思えない。
生態も、食習慣も、そして姿や形でさえ、変わってしまった動物園の生物たちは、所詮、人間のための見せ物にしかすぎないのである。絶滅から種を救ったというのは人間の自己満足にすぎないのである。
こうして、パリの空港に住み着いていた私たちウサギは殲滅させられてしまった。そのときに、人間がどんな汚い手段を執ったか、思い出したくもない。
身の毛のよだつような大虐殺だった。毒殺だけでは足りず、穴に潜っていって獲物を捕る習性がある肉食獣、フェレットまで動員された。
このフェレットはイタチ科の動物だ。耳が大きい。米国では、マンションの配管に生息するネズミ駆除にまで使われている。
フェレットにとっても、大自然の中で狩りをすることによって十分な食欲を満たして、一族で暮らしたいに違いない。
わざと飢えさせられ、配管に潜っていくことでようやく餌にありつける、という人間の都合だけで使われているフェレットも可哀想なものだ。
人間に都合がいい動物は益獣と言われている。しかし、なにが益獣だろう。害獣だろうと益獣だろうと、どの動物も、生態系の中に生まれてきて以来、壮大な生態系を形作る、等しく大事な生物なのである。
11:■人間フェレット
じつは人間どもは、フェレットのような動物だけではなく、同類である人間さえ、フェレットのように使うことがある。
グルカ兵を知っているだろうか。グルカ兵は、英国のために尽くすことだけが存在理由になってしまった貧しい国の兵隊である。
グルカ兵とは、ネパールのグルカ族出身の兵隊だ。山岳戦に非常に強いと言われている戦闘集団である。
ネパールは19世紀に英国に3度も戦争を挑まれた。そのたびに、国を守るために勇猛果敢に戦った。この戦争はグルカ戦争と言われる。
当時世界最大級の大国である英国の軍隊も、このグルカ族の反撃には大いに手こずった。そして、英国は勝ったものの、ネパールの国境を押し戻しただけに終わり、ネパールを植民地にすることは出来なかった。
しかし、この戦争のあと、いっそう貧しくなったネパールの人々が稼げる数少ない道のひとつは、じつは英国に雇われる傭兵だった。国内で働く口も少なく、ネパールにしては高給に釣られて雇われた外人部隊であった。
勇敢な戦いぶりが英国に買われたのだが、かつての敵国のために戦うという、なんという哀しい道を選ばされたのであろう。
12:■40万人もが国外で傭兵に
グルカ兵は英国だけではなく、インドのためにも傭兵として従軍した。英国からは非常に勇猛だと評価され、イギリスが仕掛けたいくつもの戦争で危険な先遣隊として最前線に派遣されることが多かった。被害を出したくない英国軍の盾や弾避けとして使われたのである。
第一次世界大戦では、グルカ兵は24万人も雇われて、アジア戦線での中心の戦力として使われた。この人数はは当時のネパールの男の労働力の2割にも達していた。
第二次世界大戦では、さらに多く、40万人ものグルカ兵が雇われた。グルカ兵たちはアジア各地の最前線で日本軍と戦わされ、2万人以上の戦死者を出した。
また、アルゼンチンの沖にあるマルピナス諸島を、国内政治に行き詰まったアルゼンチンが国民の目を逸らすために一九xx年にアルゼンチンが仕掛けた戦争でも、グルカ兵たちは一番危険な任務を担った。
なお、この戦争はアルゼンチン以外ではフォークランド紛争と言われている。英国にとってアルゼンチンは赤子の手をひねるような相手だった。
ただちに受けて立ち、容赦のない攻撃を命じた鉄の宰相サッチャーは、あまりに大人げがなかったというべきだろう。この戦争以来、アルゼンチンの経済は坂を転がり落ちるように崩壊し、ついに国家財政が破綻することになってしまった。
もっと最近でもグルカ兵は英国に使われている。旧ユーゴスラビアのコソボで最初に犠牲になった英軍兵士はグルカ兵だった。
また1991年の湾岸戦争のときもグルカ兵は、真っ先に戦場に送り込まれた。
13:■英国人と命の値段も違う
グルカ兵は、ククリ(グルカナイフ)と呼ばれる内側に湾曲する独特の形をしたナイフを使う肉弾戦が得意だ、と英国では言われている。
しかし、もちろん「金で雇われて使われている」立場のグルカ兵にとって、肉弾戦は進んでやりたい戦いではない。故郷に残した年老いた親や、貧しい家族を養うための、文字通り命を懸けた出稼ぎだったのである。
しかも、第一次大戦のときには、グルカ兵の給料のほとんどは、じつはネパール政府が取り上げてしまった。兵士には給料の1割しか渡さなかったという。しかし、さすがに、その後は、それほどの搾取はない。
もちろん命を失うことも、手足や眼を失った障害者になることも多い。しかし、そうなってから英国から貰える弔慰金もまた、ネパールの家族の生活にとっては、なくてはならないものだったのである。
ところで、近年、コソボでグルカ兵が死んだときは、死亡したときの見舞金が英国人とネパール人で違うことが露見した。英国は命の値段にまで差をつけていたのであった。
2004年、英国のブレア首相によって、グルカ兵たちは、初めて完全な英国市民権を与えられた。しかし、長年にわたる大きな犠牲と引き換えに、ようやく勝ち得た、なんとも哀しい権利であった。
2005年現在、英国の軍隊には、まだ3600人ものグルカ兵が従軍している。
正規のグルカ兵には限らない。治安の悪化が続くイラクの首都バグダッドでは、ネパールから出稼ぎに来た数百人の元グルカ兵が、米兵とともに市内各所の政府関連施設などを警備している。
バグダッドで働く元グルカ兵たちは、米軍が委託した英国の警備会社と契約している。彼らが死んでも、米国政府も英国政府も、自国兵が死んだことにはしなくてすんでしまう。これは米軍や英軍の死者が増えて国民の反発を買うことを最も怖れているブッシュ大統領にとってもブレア首相にとっても、じつに好都合なことなのである。
ネパールは、いまでもとても貧しい国だ。その貧しさを、先進国が、いわば、利用しているのである。
そうそう、フェレットの話だった。
しかし私たちウサギは、フェレットに恨みがあるわけではない。
悪いのはフェレットを飢えさせて利用した人間どもなのである。
いま、空港に降り立つ乗客たちは、昔、この空港がウサギの楽園だったことも、そのウサギが大量に殺戮されてしまったことも知らない。いや、定期航空のスチュアデスさえ、知らなかった。
人類とは、自分たちの身勝手から誰かに迷惑をかけたことを、かくも忘れやすい動物なのである。
【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
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