『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、1999年12月16日夕刊〔No.265〕

しなびたジャガイモ

 11月半ばに南極観測船が東京を出港した。いま、ひたすら南に向かっている。

 この船の到着を心待ちにしている40人がいる。昭和基地に暮らしている越冬隊員だ。到着は年の瀬になる。

 観測船が日本に帰ってから10ヶ月。去っていく船を眺めるのはつらい体験だった。ノルウェーの南極基地では船が帰ったその日に発狂した隊員が出たことさえある。それ以来、病気になっても怪我をしても帰れない。同じ顔ばかりを見続ける単調な生活が始まった。

 孤立した生活が長く続くと、精神的にも、そして肉体的にも問題が出ることが多い。基地の医者にかかった患者は、このひと月で、のべ23名にもなった。捻挫や切り傷、腸炎、胃炎が目立つ。日本を出る前は徹底した健康診断でも問題がなかった隊員ばかりだったが、10月の血液検査では、肝機能障害、高脂血症、高尿酸血症といった異常者が半数近くに達した。

 もちろん、隊長をはじめ、コックもそれなりに気を遣って、生活の単調さを救うべく、行事や食事に工夫をこらしている。誕生会や仮装大会、「氷山流しそうめん」は好評だった。

 しかし、一年も保存してきた食材は傷みが目立つ。ジャガイモはしなびてきたし、一見なんでもないものでも、中身が傷んでいる。リンゴもしなびて甘さも落ちた。タマネギは10月で使いきってしまったから、もうない。オーストラリアで買い付けてきたタマネギが日本産より保ちが悪いとは、コックも知らなかった。

 農協係が小さな温室で作っている野菜は貴重な生鮮食料だ。10月にはアルファルファが2キロ、サニーレタスが400グラムとれた。

 こうして南極基地では、カレンダーにつけている×点が、少しずつ到着日に迫っていっているのである。

[本文は12字×58行]

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