『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2002年10月21日夕刊〔No.296〕

地球物理学者の悔恨

 1960年5月のことだ。三陸地方の海岸で、一斉に潮が引きはじめた。いつもは見えない港の底が海面上に現れるほどになった。

 津波が来るに違いない、と地元の漁民たちは直感した。しかし、問い合わせを受けた気象台は、津波が起きるような大地震は三陸一帯では起きていない、と返答した。

 じつは前日、世界でも最大級の地震が南米チリのすぐ沖で起きていたのだ。その地震で生まれた大津波が、約23時間かかって、太平洋を横断して来て、日本を襲い始めていたのであった。

 不意を襲われただけに、被害は大きかった。津波の高さは三陸沿岸で5、6メートル。被害は三陸だけではなく、北海道から沖縄まで日本の太平洋岸の全域に及んだ。死者行方不明者は沖縄での三名を含めて142名、負傷者は約3000、家屋の全半壊は3500戸余りにもなった。日本近海の地震が起こした津波では、北海道から沖縄まで被害が及んだことはない。


 当時、気象庁をはじめ学者の間でも、太平洋の反対側で起きる大地震の津波が、日本でも大被害を出すことは知られていなかった。

 もちろん、いまではこんなことはない。さかのぼって調べてみると、古くは1586年から20回もの南米沖の地震からの大小の津波が日本に達したことも分かった。

 地球物理学に限らず、災害に関係する科学は、知らなかったことが重大な結果をもたらすことがある。

 科学者が知らなかったことに何の負い目も感じることなく、間違って溶液を混ぜたことでノーベル賞がもらえるような科学(註)が羨ましい。そんな科学を専攻しなかったことを、地球物理学者は悔やんでいるのである。

【註:2008年秋に追記】上の文章を書いてから時間が経ってしまったので、追加します。これは田中耕一さんのノーベル賞のことで、当時は「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」のどれも持っていないノーベル賞受賞者ということや謙虚な人柄で話題をさらいました。
 それだけではありません。2000年の白川英樹さんのノーベル化学賞では、触媒の濃度を1000倍間違えたときに受賞理由になった導電性のプラスチックが出来ました。またフレミングも、植えつけたばかりのブドウ球菌の培地を実験室に放置したまま休暇をとっているうちに、入り込んだ青カビがブドウ球菌を殺していたことに気がついたことによってペニシリンを発見して、1945年のノーベル医学・生理学賞をもらいました。

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