島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫)の書評や読者の反応

 「北海道新聞」2008年11月18日(火曜)科学頁(4面)
地震予知の暗部指摘
利権、緊急地震速報・・・・島村英紀さん刊行

 地震学者島村英紀さん(元北大教授)が「『地震予知』はウソだらけ」(講談社文庫、750円)を刊行した=写真=。巨額な血税を浪費しながら、何の成果も挙げていない「地震予知」の実態を、専門家の視点で厳しく告発している。

 <地震予知がはじまって四十年余。いまだかつて一度も予知に成功していない。しかも、予知開始時に『およそ現実的ではない』とされた巨大地震が、『起きる可能性は低い』とされた場所に起き、原発集中地域を襲っている>

 カバーに書かれた言葉どおりの危険な現状を、本書は丹念に解明する。かつて地震の「前兆」とされた現象が次々と否定されていく歴史。地震を予知したいという願望が「予知できる」にすり替わった経緯。政府、官庁、大学、政治家に利権が絡んだ「予知事業」。最近登場した「緊急地震速報」の限界・・・。

 次々と「ウソ」が暴かれてゆく様子はスリリング。巻末解説にある「日本の科学の最も暗い部分を告発した本」という評価は妥当だろう。万一、地震にあったときに生き残るためにも、ぜひ読んでほしい一冊だ。 (橘井 潤

「北海道新聞」2008年11月18日(火曜)科学頁(4面)に出た書評の紙面。

長周新聞」2011年4月29日(金曜)4面に出た書評。「地震学者・島村英紀氏の発言に見る 科学者の責任負わぬ地震学会 国策に利用された”地震予知”研究」(その記事は)

「朝日新聞」2011年7月3日(日曜)読書面『ニュースの本棚』 泊次郎。「地震予知は可能か ”前兆”の空しさ 歴史に目を なかった再現性」で島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫)を紹介。(その記事は)(その記事のウェブサイトは)

「読売新聞」2012年11月30日(金曜)「come on ギモン」欄で紹介されました。

『土木施工』(インデックス出版)2009年8月号に出た書評

約110KBのpdfファイルはこちらです。読めない場合は、お手数をかけて恐縮ですが、pdfファイルが読めるミラーサーバーから入り直してくださいますか。内容は上のjpegファイルと同じものです)

 「西日本新聞」2017年4月30日(日曜)「論説委員の目」
「オレが前震」とは言わぬ

 地震学者、島村英紀さん(元北海道大地震火山研究観測センター長)の文章は平易で、難しい理屈もすっと頭に入ってくる。

 そのためか一般向けの著書も多数ある。社説を書くに当たり、何度か助けられた。

 特になるほどと思った一文に「前震は、オレが前震だよ、と言って起きてくれるわけではない」がある。

 ご存じのように昨年4月の熊本地震では、本震と思われた最初の大きな揺れが前震だったことが後で分かった。

 といってもこの文章は熊本地震のことを言っているわけではない。それより前の2008年に出版された「『地震予知』はウソだらけ」(講談社文庫)に書かれている。

 小さな地震が連続しても大きな地震の予知にはつながらないという趣旨だが、熊本地震を経験した今なら、別の意味で多くの人が納得する記述だろう。

 もう一つ。政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が本州のある活断層帯の地震発生確率について30年以内に0・09〜9%とした「幅」を例に挙げ、こう書いている。「100倍も違うとは大変なことだ。雨が降る確率が1〜100%というのでは天気予報をやる意味はない」

 要するに、地震はいつどこで起きるか分からないから、そのつもりで備えて減災に努めよ−との主張だ。

 
もっとも地震本部を責めたところで意味はない。確率予測は阪神大震災を教訓に始まった各活断層帯の分析に基づくものだし、そもそも日本で地震の科学的な研究が始まったのは1875(明治8)年と、それぞれ歴史は浅い。

 数百〜数千年の単位で起きる地震について蓄積されたデータは乏しい。それが地震学の現状である。震度7の揺れが2回起きた熊本地震を経て、「余震」という表現の見直しが始まったほどだ。

 地震本部の地震調査委員会が先日、2017年版「全国地震動予測地図」を公表した。発生確率の予測である。精度が高まっていくことに期待したい。

=2017/04/30付 西日本新聞朝刊

島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫) への読者の反響

2009.1.1 「体制に迎合しない姿勢に共感を感じます

”地震予知はウソだらけ”早々に手に入れて読ませていただきました。

同じく昨年秋に出た岡田弘さんの”有珠山火の山とともに”と同様、体制に迎合しない姿勢に共感を感じます。
(ある地球物理学者)


2009.1.1 「胸のすくような書きぶりで、スーッとしました」

『「地震予知」はウソだらけ』を拝読しました。胸のすくような書きぶりで、スーッとしました。
(ある気象庁職員)


2009.1.2 「島村さんの廻りには、講談社の編集者のような志のある人々が集まってくるのでしょうね」

「地震予知はウソだらけ」の出版、おめでとうございます。

 北海道新聞の書評に『「日本の科学の最も暗い部分を告発した本」という評価は妥当だろう』とありました。何をいまさら、と思いましたが、道新さんの姿勢も変わったのでしょうか。

 一貫してブレない・・・・揺るがない・・・・島村さんの廻りには、講談社の編集者のような志のある人々が集まってくるのでしょうね。

 今後のご活躍、祈念申し上げます。


2009.3.3 「地震予知計画の問題や偽りを鋭く突いておられ、大変いい本ですね。気象庁の問題もその通りです」

『「地震予知」はウソだらけ』を何度も興味深く読みました。

これまでの地震予知計画の問題や偽りを鋭く突いておられ、大変いい本ですね。気象庁の問題もその通りです。

2009年3月に東京大学地震研究所で開かれた「地震・火山噴火予知研究成果シンポジウム」のプログラムを見ると、研究業務観測や基礎研究と見られるものが中心であり、地震の予知をまじめに取り組んでいるものはほとんどないですね。


2009.9.9 「本当に先生が書かれていた通りの展開で、…これでは」

2009年8月11日に駿河湾の底で起きたM6.5の地震についての『週刊文春』のコメントを拝見しました。本当に先生が『「地震予知」はウソだらけ』に書かれていた通りの展開で、…これでは、公式に前兆と見なされる変動があっても、先生の予想通りになってしまうに違いありません…。

あるブログ(書評)から。「地震予知という名前で、研究用機材に予算を使えなくなる”学者”、権力をふるえなくなる役人が、雲霞のようによってたかって、著者の信頼性を損なった、というのが、(例の事件の)本質ではあるまいか」「気象庁に勤める人や学者同僚すらも共感しているのはさすが」だそうです。

気象庁の緊急地震速報についての批判を書いた277頁「毎日新聞に、こんな川柳が出ていた。念仏の時間だけある地震予知 京都 河原落書(2007年12月14日万能川柳)」の川柳の作者のブログがありました。 作者のプロフィールによれば、京都在住のマスコミ関係者。川柳瓦版同人、京都番傘川柳会幹事、京都川柳作家協会理事、京都民報柳壇選者、冠句文芸塔同人 冠句松風会同人、
毎日新聞万能川柳年間大賞特別賞受賞、受賞句「今ワシは何党かねと秘書に聞き」とあります。

あるブログ(書評)から。「選挙に行く前に読んでおきたい書籍。結局、予算を多くして税金を多く使うことだけが目的の腐った公務員たちのために、税金が無駄になるだけではなく、有効的な地震対策が、原発にさえ施されていない、一般市民が、有効な地震対策ができないままにされてしまうことが、最大の悲劇だ」だそうです。

あるブログ(書評)から。「これはよい意味で(読んではいけない本)です。読まなければ安心しておられたのに・・。こんなにひどい現実か、と驚きます。
佐野眞一が指摘している内容が、一つの学問分野から見る世界とぴったり重なるのです。劣化というよりシロアリでボロボロというほうがイメージとしては正確な「学問の世界」ですね」だそうです。

あるブログ(書評)から。緊急地震速報について、「
遠くの震源なら、猶予は多いけれど揺れも小さいから知っても意味が無い。知りたい直下型は、地震が来てから、速報が来るよ。そういう場合には、地震速報じゃなくて、念仏や題目を流してくれるらしいよ。本当に怖いのは、直下型だから、速報は意味無いんだよ。税金の無駄遣いなんだよ。兵庫、淡路の大震災も直下型だったんだよ」と、見事に著書より”敷衍”してくださいました。


あるブログ(書評)から。「島村英紀氏は「私の逮捕は、地震予知計画という国の政策を著書で批判したための「国策逮捕」だという評価が定着しつつある。」と自ら書いておられるが、本書は、多くの人に読んでもらいたい本である……と私は考える」だそうです


2011年、東日本大震災後の、あるブログから。「島村英紀氏の『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)は、2004年に刊行された本(のち、改訂して『「地震予知」はウソだらけ』)だが、既に「想定外」という言葉が使われている。要するに、原子力村の人々が「想定外」などといいだすことは、原発震災を予想していた人にとっては「想定内」だったということである。原子力村を支配しているラクダの平和に愕然とさせられる。以下、本からの抜粋。
 
 しかし、原子力安全委員会のいう「仮想事故」とは、原子炉格納容器が破壊されるような破局的な事故を「想定外」としてあらかじめ除外してしまって、それよりも放射能の放出量が桁違いに少ない「小さな」事故のことを「技術的に起こり得ないような(大)事故」と想定しているものだ。つまり、原子力安全委員会は、この委員会自身の想定に合理的な根拠があるのかどうか、きちんと説明しているわけではない。

 そして、「平常時」ではなくて、東海地震が起きたとしても「想定外」のことが起きるのかどうかは考える必要がない、というのが政府の原子力安全委員会の想定なのであろう(『公認 地震予知を疑う』では180頁、『「地震予知」はウソだらけ』では247頁)
」だそうです


2011年、東日本大震災後の、あるブログから。「島村英紀氏の『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)は、2004年に刊行された本(のち、改訂して『「地震予知」はウソだらけ』)には、つぎのような危惧・警告もある。これらも、残念ながら、その通りになったといわざるをえない。
 
 世界のどの国の為政者も、自分の安泰のために、国民を縛りたい誘惑から逃れられない。もし、日本の為政者が思慮深くて、戦後一貫して日本をある向きに向けようと図ってきたとすれば、四半世紀前の大震法は、その貴重な一歩だったに違いない。ここ数年の、戦争という「国難」や「災害」のためには国民に我慢してもらおうという説得の仕方は、大震法が成立したときと瓜二つなのである。(『公認 地震予知を疑う』では102頁、『「地震予知」はウソだらけ』では130頁)
 
 もし、そんな大事故になったら、震災地の救援さえ、放射能のために不可能になってしまう。地震による怪我人を救おうにも、外からこの地域に入ることが危険になってしまうからだ。地震の被災者だけではなく、放射能による被爆の被災者も救えない。多数の被災者を見捨てて、被災地を放棄しなければならなくなる事態になる、という警告さえある。(『公認 地震予知を疑う』では177頁、
『「地震予知」はウソだらけ』では244頁)
 
 この構図が繰り返されない、という保証はあるまい。東海地震でも「優先されない」被災者たちの生活はどうなるのだろう。政府が好きな言葉である「自助努力」ができない人たちは、阪神淡路大震災のときのように、政府からは見捨てられることになるのではないかと恐れる。(『公認 地震予知を疑う』では198頁、『「地震予知」はウソだらけ』では273頁)
」だそうです

あるブログから。「国際的に有名な地震学者である著者が、「業務上横領」で告訴され、2006年に「詐欺」容疑で逮捕されている。この件についてはネット上にも沢山の記事がアップされていますが、いわゆる国策逮捕であることは間違いないと思います。
  原子力発電が以前は国策として進められていた為に、反原発を声高に叫び、国策逮捕されていた可能性が極めて高い人物は過去に沢山います。
  勿論原子力に限らず、国策に反し、同じようなことになっている人達は今も沢山います」だそうです。


あるブログから。「地震予知をめぐる科学と政治それぞれ,そして両者のかかわりについて,もっともするどく書かれた本だと思う。かつて地震予知は期待される「科学」だったが,しぼんでしまった. この本はそれがなぜ科学として成功しなかったかをおしえてくれるとともに,政治的にはいまだに予知が可能とかんがえられていたときの体制がいまだにくずされていない理由やしくみをあばいている」だそうです。


あるメールマガジンから。「項目毎の簡潔明快な記述で、驚きの内容が理解出来た。2008年11月14日第1刷発行の本書の内容は、東日本大震災で著者の告発の正しさが証明された。」だそうです。


あるブログから。「ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』と同様に、国策として科学を置いてけぼりにして進められた「地震予知」の経緯を明快に示してくれる書である。なお蛇足ながら、著者の島村氏は昔からの第一人者であり、例えば環境分野で喧しい「○○のウソ」本と同列に並べてはならない」だそうです。


あるブログから。「「地震予知」なるものが、ニセ学問であることが、今回の大地震でもよく分かる。浜岡原発の近くでおきる東海地震は「予知できる」ことになっているが、真っ赤な嘘だろう。東海地震は浜岡原発倒壊地震。島村英紀著 『地震予知はウソだらけ』講談社文庫を、お読みいただきたい。良心的な学者が、良心に基づいて行動すると、冤罪の罠にはめられ、投獄される。『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか』はその記録だ」だそうです。


私の3冊の本を同時に読んでくださったブログから  『地震と火山の島国』は、産経児童出版文化賞受賞とあるが、大人の読書人である私をも魅了する見識の高さにあふれた内容である。そして『地震予知は嘘だらけ』(2004)をよんでみて、ああ、これで彼は冤罪に巻き込まれたのか、と納得した次第である。
 {地震予知が始まって40年余。莫大な予算を使いながら今だかって一度も予知に成功していない。しかも、予知開始時に「およそ現実的ではない」とされた巨大地震が「起きる可能性は低い」とされた場所に起き、原発集中域を襲っている。予知における役人と学者の予算獲得競争から国際的な評価までを解説。(裏表紙の本書概要より)}
 今の日本には、本物の知識人、言論人は邪魔な存在なのである。
 悪事をなそうとするものに対して、邪心のない学者が「王様は裸だ」と本当のことを言われては困るのだ。
 今は本物の政治家、言論人は消されることが常態になってしまっている。正義を司るべき司法が、犯罪を犯すまでに堕落した国家になりはて−司法マフィアに乗っ取られた国の現状が、多くの国民の目につくようになっている。
島村氏の冤罪事件が起きたときは、北海道警察の裏金問題が発覚、不起訴になった時期だ。
 巨悪がのうのうとのさばり、善人が悪の徒党の被害者になる。
 おそろしい逆さの国だ。犯罪者が権力を握る。国民の運命を狂わせる。狂気が恐ろしい凶器を振り回し、この国を不幸に落としつつある。
<追記>それにしてもなぜ北海道大学がこのような卑劣なことをしたのか?これが疑問だ。

これは2012年、東日本大震災後の、あるブログから。「自分が○○年前、大学の卒業論文と修士論文に選んだテーマがサイクリック・クリープと脆性破壊。思索を呼び起こしてくれたこの本の言葉、それは、地震は破壊現象だということだ。

これも2012年、東北地方太平洋沖地震の大きな余震があった日のあるブログから。 「地下水がうんぬんとか、地震前に動物が異常行動を起こしたとかという話は「宏観異常現象」と呼ばれるものであるが、実はこのような話はとっくの昔に否定されている。このての話は事後報告ばかりなのである。
《事後の前兆報告は、心理学で言う「錯誤相関」の影響を受けている可能性が高い…錯誤相関とは、地震に限らず、心に深く残った事件のあとで、「そういえば…」と思いつく現象の報告が、心理的な偏向を受けてしまうことである》(島村英紀『「地震予知」を疑う』(柏書房)、p. 46=『「地震予知」はウソだらけ』にも再録しています)
さらに
《報告されてきた前兆現象に「再現性」も「普遍性」もほとんどないことが次第に明らかになってきた…それまでに報告された前兆の例のいずれも、震源に近づくほど前兆が大きくなることもないし、地震の大きさが大きいほど前兆が大きいこともなかった。つまり、その出方が系統的ではなくまちまちであるばかりでなく、どれも「定量的」でないことが分かってきた》(同、p. 58=『「地震予知」はウソだらけ』にも再録しています)

2011年、あるブログから。
ロバート・ゲラー『日本人は知らない「地震予知」の正体』と同様に、国策として科学を置いてけぼりにして進められた「地震予知」の経緯を明快に示してくれる書である。なお蛇足ながら、著者の島村氏は昔からの第一人者であり、例えば環境分野で喧しい「○○のウソ」本と同列に並べてはならない」

2014年、あるブログから。「「フィクション−201X年夏」はフィクションではなく,「2011年春の東日本大震災」の発生となっていた」。私のことをいろいろ調べてくれた「社会科学者の随想」という長文のブログです。

2015年、あるブログから。「出版後に起きた東日本大震災のことを考えながら読むと、本書の指摘が現実となったことがよく分かる」「本書中にある「地震予知はできなくても、津波被害だけは防ぎたい」というタイトルが、今はひたすら悲しい」

2016年、あるtwitterから「テレビで大地震の解説をする地震学者を見て、どこかで聞いたことのある名前だと思っていたら、2006年北大勤務時代に詐欺罪で逮捕勾留された人物だった。書下ろしの文庫、島村英紀『私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。』(講談社文庫、2007年)を読み、マイナスイメージがプラスに転換した」だそうです。

2017年11月、あるブログから。
著者の論理は明解だと思う。
その後、地震調査研究推進本部が中心の仕事として行っている地震発生確率に関するコメントが重要だと思う。
(1)活断層がトレンチ調査で1000年に一回程度発生している仮定すると、今後の予測はプラスマイナス100年、10万年に一回程度と仮定すると、プラスマイナス1000年となってしまい、実は長期的予知の観点からはあまりに曖昧であること(p160)
(2)そもそもの活断層調査がわかっている2000のうちの都市部に近く地震が起きたときに影響が大きいと見られる100について確率を調べている。しかし、この2000の全部を調べたとしても、それ以外に見つかっていない活断層は多数あるはず。日本のほとんどの都市部では柔らかい泥や火山灰がかぶっており、活断層を発見することができない。そういうところを活断層はないと考えざるを得ないため。(p163)
(3)実際にも最近の大地震はマークされている活断層でないところに起きている。例えば、2000年の鳥取県西部地震、2004年の新潟県中越地震、2005年の福岡県西方沖地震、首都圏直下地震、2007年の能登半島地震、新潟県中越沖地震、2008年の岩手・宮城内陸地震、どれもそうなのだ。(p164)
(4)阪神・淡路大震災が起きる前の野島断層の30年内発生確率は0.4〜8%に過ぎなかった。(p168)
(5)海溝型地震の発生確率も、もともと曖昧なデータから、経験的、物理学に裏打ちされていない数式を使って計算するので、ちょっとした仮定の違いによって、結果は大幅に違ってしまう。逆にいえば、いかようにも結果の数字は出せるようになる。(p171)
 以上のようなことは、よく大学の先生から口頭で聞くのだが、文章でちゃんと指摘している本に始めて出会った。
 地震の発生確率は極めて不確実で幅のある数字であることを前提にして、施策なり具体の施設計画や土地利用計画を立てる必要がある。
 そういう前提としての事実を地震学者はもっと正直に広く、国民や関係者に発信すべきと考える。


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