魂の詩・アフリカの仮面

私が持っているアフリカなどの面(マスク、 仮面、African Mask、African Art)をご紹介します。なお、これらを作った「部族 tribes」と今の「国」とは1対1に対応しているわけではなく、また今の国境を越えて同じ部族が住んでいることも珍しくありません。アフリカの国々の国境線は、かつての植民地争奪戦や国際政治の力学によって押しつけられたことも多かったわけですから。
19世紀末以前のアフリカでは、欧州列強の植民地は大陸全体の約10%にしかすぎませんでした。
しかし、アフリカの分割は、1884年のベルリン列国会議から1914年に勃発した第一次世界大戦にかけて、アフリカは欧州列強に分割されていき、ほぼ全域が植民地となってしまったのです。
そして、その影響は、多くの国が独立を果たした現在でも、色濃く残っています。
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1-1:マルカ部族(いまのマリ)の真鍮でカバーした木製の「憂いの面」

華やかな耳飾りの陰で、この憂いの深い顔には、どのような感情が込められているのだろう。戦の憂いだろうか。

木製の面の上に、薄い真鍮板を張り付けて、おびただしい数の丸い頭の釘で留めている。これは マルカ(MARKA)部族 (WARKAとも書く)の面の特徴である。

このマルカ部族は、マンデ(Mande)部族の一部だと思われており、マリから象牙海岸にかけて暮らしている。下の西アフリカ内陸の部族分布図にはWarkaと書かれている。人口は知られていない。

バンバラ(Bambara)部族(下の部族の地図の中央部にある)とは別の部族だが、Bambara部族の強い影響を受けているという。また、5-2のセヌーフォ(Senufo)部族とも近くで暮らしている。

(高さ24cm。2001年、フランス・パリ、 レピュブリーク大通りのアフリカ民芸店の地下で買う)


1-2:マルカ部族(いまのマリ)の、真鍮でカバーした木製の「戦士の面」

上の1-1と同じように、木製の面の上に、薄い真鍮板を全面に張り付けて、丸い頭の釘で留めている。

角も木製の芯が金属板で丁寧に覆われている。製作の手法は上のものと同じだが、釘の数は、こちらのほうがずっと少ない 。

西洋美術でいえばジャコメッティだろうか。デフォルメと簡略化と、そして必要なところの強調のバランスが絶妙である。

見えにくいが、両方の額と、そこから下がった髪の先に赤いリボンが、合計4ヶ所に着いている。 これは、戦士の面ではないだろうか。

この金属板は、じつに精緻に出来ている。右下の拡大写真(左眼の眉の上から眼を拡大)を見ると、金属板を裏から叩いてシボを打ち出した細工がよく見える。そして、その金属板を、頭の平たい丸釘で、木製のマスクにとめているのである。

そして、眉の凹みは、金属板を奥側に折り込むように作られている。上の1-1の同様のマスクもそうだが、マスクの表情を左右する眼や眉の造形は、じつに見事なものだ。

(高さ39cm。1991年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)


1-3:マルカ部族(いまのマリ)の真鍮でカバーした木製の「鳥の全身像」

では、このマルカ部族が、仮面以外のものを作ったら、どのような才能を発揮するのだろう。

抽象化された、しかし気品のある頭部や嘴、厚い胸、ピンと張った翼。背の高さ。これも、ジャコメッティなのである。あるいは、それを超えているかもしれない。

これはブルキナファソで昔から多く食用にされてきているホロホロ鳥にちがいない。ハゲタカやワシのような猛禽類ではあるまい。

左下の写真は、ホロホロ鳥の骨格標本である。マルカ族の鳥の立像が、身体の特徴をきちんと捉えながら、「芸術表現」としての抽象化が見事になされているのが見て取れよう。

また、抽象化された頭部の中でも、嘴の根元にある鼻の穴も表現されているなど、この鳥を良く知る者だけが表現できるディテールも盛り込まれている。

木製の像の上に、薄い真鍮板を全面に張り付けて、丸い頭の釘で留めている。両足で丸い石をしっかり抱えて立っている全身像である。


なお、ホロホロ鳥は、15世紀くらいから欧州でも食用にされ、フランス料理では美味な鳥として知られている。しかし、この鳥が部族の人たちにとって貴重な蛋白源であるのとちがって、フランス人にとっては、飽食の果ての贅沢な材料なのである。

この鳥にかぶせている金属板は、同じマルカ族の作品だが、上の1-1や1-2と違う。右下の拡大写真に見られるように、裏面から作ったシボはなく、そのかわりに、だろうか、表面から作った二重線の溝がある。また、金属板をとめている丸釘の数は、こちらのほうが多い。

なお、この鳥のモチーフは、マルカ部族にかぎらず、周辺の多くの部族の仮面にも使われている。しかし、このように金属をかぶせているのではなくて、木彫である。

(高さ40cm。2000年、フランス・パリ北東部の路上の、その日かぎりの蚤の市で買う)


2-1:バウレ部族(象牙海岸)の木製の「ミロの面」

同じ象牙海岸でも、部族が違うのだろう。これは、まるでジョアン・ミロの世界である。眼とその表情も、口も、そして顔の輪郭も、どれもすさまじい表現力である。

木製の面に、要所だけ彩色されている。

これは象牙海岸の中央部に暮らしているバウレ BAULE部族(BAOULE, BAWULEとも書く)の仮面だ(下の部族の分布図参照)。

バウレ部族はBaule (Akan cluster of Twi)語を話す部族で、人口は40万人といわれている。約300年前にAsante部族(6-1)に西に追われて、いまの地に落ち着いた歴史を持つ。

バウレ部族の木彫りの仮面は、近くに住むセヌーフォSenufo部族(5-2)やグーロ Guro部族(2-3)の仮面に影響されているものもある、といわれている。しかし、この「ミロの面」は独特のものだ。

この仮面の上部には左下の写真のように、大きな輪がついている。これが、よけいにミロを感じさせている。いや、ミロが影響を受けたのかもしれない。

この輪には、部分的に、意味ありげな彩色がされている。下の二つは角であろうか。

(高さ46cm。2001年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市で買う)

じつは、この仮面にそっくりなものが、フランス・パリの国立アフリカ・オセアニア美術館にあった(右下の写真。1995年3月に撮影)。

もちろん、角や目や口や、そして顔の輪郭などは微妙に違う。しかし、ゼロからこれほど似た形を作るのはまず不可能だろうから、これらは同じ部族の作品だと思ってもいいのだろう。



2-2:同じバウレ部族(象牙海岸)の「貴婦人の面」

上の2-1と同じバウレ族が、まったく違う仮面も作る。これも木製の面だが木質が違い、表現はもっと違う。鼻筋が通り、目が大きい。

彩色はないが、とても硬くて目が詰んだ木で、細部まで精密に彫られている。とくに頭髪の彫刻は細かい。

この面は、見る角度によって、微妙に表情を変える。この写真の角度より、少し下から眺めると、ずっとふくよかで、もっと穏やかな顔になる。

この、角度によって表情を変えることや、彫りの品の良さは、日本の能面を凌ぐほどの出来栄えである。

(高さ38cm。2001年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)


2-3:隣のグーロ部族(象牙海岸)の「道化の面」

この木製の仮面は、徹底して道化ぶりを発揮している。部族を纏めるためには、このような役割が必要であったに違いない。

あでやかな彩色がされている。口のまわりが、なんとも言えない表情を醸し出している。

頭の上に、頭を前に傾げて面を突つこうとでもしている鳥の全身像を背負い、またアゴの下には、面を支える取っ手だろうか、出っ張りが着いている。

日本の能面にも、頭の上に鹿の角をつけているものがある。一角仙人である。しかし、角は本来、鹿の頭に着いているものだから、このアフリカの面の鳥のように「異物」が着いている異様さはない。

この仮面はグーロ(GURO)部族(GOURO, GWIO, KWENI, LO, LORUBEとも書く)のものだ。グーロ部族は象牙海岸の南部に住み、上のバウレ部族の西、セヌーフォ部族の南に、ほとんど隣接している(上の2-1の部族分布図を参照)。人口は約20万人を擁している。

グーロ部族は、もともとはクウェニ部族と自称していた。しかし、196年から1912年にかけて、侵略してきたフランスに強制的に植民地化されてバウレ部族が呼びならわしていたグーロ族という名前に変えられてしまった歴史を持っている。フランスに限らず、欧州各国は、アフリカで暴虐のかぎりをつくした。彼らの心の底には、いまでも原罪意識が流れているのは、その歴史と無縁ではない。

(高さ32cm。2000年、フランス・パリ北東部の路上の臨時の蚤の市で買う)


2-4:これはヨフレ部族(象牙海岸)の「怒りの面」

これも上の赤い面と似た木製の面だが、上のと同じ赤い色ながら、一転、口をへの字に結んだ険しい表情をしている。目も、頬のバツ印も、四角い鼻も、上の道化とは対照的である。

しかし、対照的に、四角く抽象化された耳と、左右がつながった眉だけは、まるで、しきたりでもあるかのように、微妙に違いながらも、よく似ている。しかし、そのつながった眉は、鼻と離れている点で、バウレ族の仮面(2-2)とは違っている。

これも、頭の上に鳥の全身像を背負っているが、その鳥は顔を真正面に向けて凛としている。またアゴの下には、面を支える取っ手の出っ張りが着いている。

上の面と同じように、木製の面に彩色をしてあるが、上の3-2の、のっぺりした絵の具の塗装とはテクスチュアも色合いも違った、別の表現手法である。

この仮面は、上と同じグーロ部族のものかもしれないが、表現が少し違うところから、多分、ヨフレ(YOHURE)部族 (SNAN, YAOURE, YAUREとも書く)の仮面ではないかと思われる。

ヨフレ部族は象牙海岸の中央部に住む、人口2万人という小さな部族だ(上の2-1の部族分布図を参照)。地理的にも、東にバウレ部族、北と西にグーロ部族が住んでいて、文化的にも言語的にも、この二つの影響が強いという。それゆえ、仮面も似ているのであろう。

長細い顔の上に動物を組み合わせる仮面、そして突き出した口は、このヨフレ部族の仮面の特徴である。

(高さ49cm。2001年、フランス・パリ中央部の路上の臨時の蚤の市で買う)


2-5:ダン部族(象牙海岸)の穏やかな「少女の面」

これも象牙海岸の木製の面だが、上のと違って、自然の硬い木の肌のままで、彩色はしていない。

眉の形に、バウレ部族やグーロ部族が作った上の象牙海岸の3つの面(2-2, 2-3, 2-4)との共通点がある。 しかし、鼻との連続に、微妙な違いもある。

これはダン(DAN)部族 (DAN-GIOH, GIO, GIOH, GYO, YACOUBA, YACUBA, YAKUBAとも書く)が作ったものだ。ダン部族は、象牙海岸の比較的南部、グーロ部族の西に住む(上の2-1の部族分布図を参照)。一部は隣国リベリアにも住む。

人口は35万人ほどで、Dan (Mande)語を話す。19世紀までは、中央政府を持っていない部族だった。政府らしきものが出来たのは、比較的最近である。

しかし、この仮面は、なんという穏やかな顔だろう。 あるいは永遠の眠りについた死に顔なのだろうか。

画家のアメデオ・クレメンテ・モジリアーニ(モジリアニ。Amedeo Clemente Modigliani, 1884-1920)は、アフリカの仮面に大きな影響を受けた。影響されたのは、たぶん象牙海岸あたりの仮面だと思われているから、このような仮面だったのかもしれない。

しかし、ある意味では、魂の叫びという面では、モジリアニといえども、アフリカの原始美術を超えられなかったのではないだろうか。

(高さ22cm。1991年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)


3-1:ガボンのプーヌー部族の木製の「東洋人の面」

ガボンの木製の彩色面。鮮やかな彩りだ。

黄色い肌、細い眼。低くて丸い団子鼻。アフリカの人の面ではないだろう。 私には東洋人を模したものに見える。

頭の上に、嘴をこの顔に向けた鳥の全身像を背負い、またアゴの下には、面を支える取っ手だろうか、出っ張りが着いている。

この仮面はプーヌー(PUNU) 部族(APONO, BAPUNU, MPONGWE, PUONOU, PUNOとも書く)のものだ。額(おでこ)についている菱形の特有の模様が、このPUNU族特有のものなのである。

PUNU族はガボンの南部とコンゴに住む(下のガボンからザンビアまでのアフリカ中西部の部族の分布図参照)。Punu (Bantu)語を話し、部族は約40000人しかいない小さな部族だ。

しかし、この部族がどこから来たか、どんな宗教的な歴史を持っているかは、あまりわかっていない。

(高さ34cm。2001年、フランス・パリ中央部の、路上の臨時の蚤の市で買う。次の日には、影も形もない露店である。)


4-1:コンゴ民主共和国(旧ザイール)のレガ部族の「白人の面」

穏やかな、見方によっては無表情な木製の面。口の表情が特異である。

アフリカの面の中でも、この面が特異なのは、白く塗られていることだ。白人を模したものであろうか。

これはレガ(LEGA)部族(BALEGA, BALEGGA, REGA, WALEGA, WAREGAとも書く)が作った仮面だ。

レガ部族はコンゴ民主共和国(旧ザイール、コンゴ共和国の東隣)の東部、つまりアフリカの大地溝帯やタンガニイカ湖の近くに住む部族だ(上の3-1の部族の分布図を参照)。 人口は10〜25万人と、比較的小さい部族だ。

じつはカメルーン・ガボン・コンゴ共和国(コンゴ民主共和国の西隣の別の国)が国境を接する近くに住むクウェレ(KWELE)部族(BAKWELE, BEKWIL, EBAA, KOUELEともいう。3-1の部族分布図を参照)も、同じような白くて平板な顔の仮面を作っている。しかし、眉から鼻へのつながりが、このレガ民族のものとは、やや違っている。

なお、KWERE部族は東アフリカ、タンザニアに住む人口5万人ほどの小さな部族で、KWELE部族とは別の部族である。

(高さ26cm。1994年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市で買う)


4-2:コンゴ民主共和国(旧ザイール)のルバ部族の「ひょっとこの面」

彩色した木製の面。上の象牙海岸の道化の面と同じような用途で使われたものだろうか。

口は真四角で、顔中に皺(あるいは装飾)がある。鼻翼の表現が独特だ。

この仮面は、たぶんルバ(LUBA)部族 (BALUBA, KALUBA, LOUBA, URUWA, WALUBA, WARUAとも書く)のものだ。コンゴ民主共和国(旧ザイール、コンゴ共和国の東隣)の南東部、つまりアフリカの大地溝帯の近くに住む部族である(上の3-1の部族の分布図にLUBAとして出ている)。上の4-1のレガ部族よりは、南に住んでいる。

その北に住むソンギエ部族(SONGYE。その他 BASONGE, BASONGYE, BASSONGO, BAYEMBE, SONGE, SONGHAY, WASONGAとも書く)も、この仮面とやや似た、四角いひょっとこ口の仮面を作っている。顔中に皺(あるいは装飾)があるものもある。しかし、顔の形がデフォルメされているものが多く、このルバ族のものほど、丸と四角の形が単純ではない。

このルバ部族は100万人ほどいる、大きな部族だ。16世紀から19世紀にかけてルバ帝国を作り、領土を拡大していった、しかし、その後欧州列強によって没落させられてしまった。一方、ソンギエ部族は16世紀にこの辺に移住してきた部族で、現在15万人ほどいるといわれている。ルバ部族はCiluba (central Bantu)語を話すが、ソンギエ部族は KiSongye (Bantu)語を話す。

世紀末を彩ったウィーンの画家、グスタフ・クリムト(1862-1918)は56歳でなくなったが、その晩年、時代から取り残される自分を強く感じていた。そして、1914年にブリュッセルを訪れたクリムトは、そこで(当時の)ベルギー領コンゴのアフリカ美術を見て、いたく感心したと伝えられている。「彼らは独自の造形で我々よりはるかに多くのことが出来る」と述べたという。しかし、アフリカ美術から影響を受けて、新しい境地を開拓するための時間は、もう、クリムトには残されていなかったのであった。

(高さ17cm。1996年、英国・ロンドンのカムデンロックの蚤の市で買う。店の白人の主人は、しょっちゅう、アフリカに買い付けに行っているので、この面は留守番役の奥さんから買った。)


5-1:カメルーンの「部族長の面」

表情を表す、というよりも、手の込んだ細工で威厳を表しているように見える木製の面。鎖風の金属を、ごく硬い木の表面に埋め込んだ、恐ろしく手間がかかったに違いない面である。

顔の周りには髭を模したものだろうか、縄が廻されている。

この仮面を売っていたアフリカ系の男によれば、この仮面はカメルーンから来た、部族はわからない、ということだった。

しかし、いまのところは、この仮面は、そもそもカメルーンかどうかも謎である。しかし、たとえばカメルーンのチカール(Tikar)部族は、いくぶん似たような仮面を作っている。

アンゴラ東部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の南部、そしてザンビアに広くまたがって住んでいるチョクウェ(CHOKWE)部族(人口110万人を超えるというこの部族は、住んでいる地域が広いせいか、(BAJOKWE, BATSHIOKO, JOKWE, TCHOKWE, TSHOKWEなど、少なくとも30の別の書き方があるという)の仮面には、この硬い木や、顔を覆う縄など、似たところがある仮面が多い。しかし、これほど手の込んだ細工はない。

またダン(DAN)部族(2-5)も、この面に似ていなくもない仮面を作っているが、やはり、この精緻さにはかなわない。

(高さ40cm。1999年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市の「場外」(本来の市としては許されていない場所での露店)で買う)


5-2:セヌーフォ部族(象牙海岸など)の「女性を背負った面」

この表情は、笑っているのか、泣いているのか、私には読めない。口の表情も独特のものだ。

もちろん、ほかのアフリカの面と同じく、目のところは、このように細いものでも穴が開いていて、面を被ったときに前が見えるようになっている。

頭の上に、顔を正面に向けた女性の裸の全身座像を背負い、また顔の八方には、この写真にも一部見られるような、複雑な、まるで花魁のような飾りが突き出ている。

面は木製で彩色していない。 上の5-1などとは違って、木としてはツヤのない木だ。

これは、象牙海岸の奥地に住むセヌーフォ(SENUFO)部族 (SENOUFO, SIENA, SIENNAとも書く)の仮面だ。セヌーフォの仮面には多くの種類があるが、どの木彫にも、じつにすぐれた能力が発揮されている。

セヌーフォ部族は1-1の西アフリカの内陸の部族(太字)の分布地図の中央部にある(2-1の地図にも、部族の位置が出ている)ように、いまの象牙海岸の奥地を中心にして住んできた部族である。部族の人口は60〜100万、比較的大きな部族だ。

セヌーフォ部族が住んでいるのは象牙海岸とはいっても、海岸からは、はるかに遠い。このほか、ブルキナファソ、ガーナ、マリなど広い範囲に住んでいる。i

(高さ44cm。2000年、フランス・パリ、 レピュブリーク大通りのアフリカ民芸店の地下で買う)


5-3:タンガニイカ湖畔のベンバ部族の「顔が二つある面」

これも、ジョアン・ミロ風に見えなくもないが、私には、それを超えて、西欧の近代美術が到達できなかった高みの魂が作った面に見える。

パリの裏通りにあるピカソ美術館には、ピカソの作品のほか、ピカソが収集した美術品やアフリカの木彫品が展示されている。木彫品には、面は少なくとも展示してはいなかったが、動物の立像などがある。

【2015年2月に追記】1985年に開館していたパリのピカソ美術館は改修のために5年間閉館していたが、2014年10月に広くなって再開された。絵画や彫刻のほかデッサン、陶器など約5000点を所蔵する。改修によって展示スペースは2倍以上の3600平方メートルに増加した。

製作した人たちはそう思って作ったのではなくて、祭事に使うために作ったに違いない「アフリカの芸術」に、欧州の近代美術が、それなりに影響を受けたのは間違いがないだろう。

面は木製で彩色してある。不思議なことに、顔が二つあり、口はない。上の眼は安らかで、下の眼は、まるで慈しむような眼だ。鼻は上の顔にはあり、下の顔にはない。しかし、全体としてみると、不思議に、奇妙さも奇怪さもが感じられない。つまり、すぐれた美術品と同じなのである。

この不思議な仮面は、ベンバ(BEMBA)部族 (AWEMBA, AYEMBA, BABEMBA, BEMBE, WABEMBA, WEMBAとも書かれる)のものだと思われる。

ベンバ部族はザンビアの東北部からコンゴ民主共和国の南東部にかけてタンガニイカ湖の岸に住んでいる部族で、人口は6万しかいない(右の東アフリカの部族分布図、と3-1の図を参照)。部族の名前であるベンバ(あるいはBabemba)は「湖の人」の意味である。

小さい部族ゆえ、そして、あるいは戦いを好まなかった部族ゆえか、Lega(4-1), Buyu, Binjiといった周囲の部族と多くの習慣を共有してきている。

じつはタンガニイカ湖の北西部に住むゴマ(GOMA)部族(BAGOMA, BAHOMA, BENEMBAHO, HOMA, NGOMA, WAGOMAとも書く)も、全体の形や眼の表情が似ている仮面を作ってきた。しかし、彼らの仮面は、一様に、丸いおちょぼ口が突き出した、つまり日本のひょっとこのような口をしている。つまり、この口が仮面の表現にとって、大事な要素になっているのだ。それゆえ、この仮面とは違うものだと思われる。

(高さ37cm。2003年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)

6-1:アサンテ部族(ガーナ)の「安産のお守り」

これは、見てきたほかの「面」とは違って、全身像の顔の部分のクローズアップである。

これは、安産のためのお守りである。現在のガーナに住むAsante tribe(アサンテ部族)が作ったAkua'ba doll (アクアバ人形)というものだ。

アサンテASANTE部族は、ACHANTI, ASHANTE, ASHANTI、とも書かれるが、いまでいえばガーナの中南部に、17世紀初めに作られたアサンテ帝国の生き残りの部族で、約15000人がいるといわれている。

全身像の形は、日本の埴輪に似たところもある。乳房だけが象徴的に突き出した、簡略化された胴体から下の像と比べて、顔の部分は大きく、また胴体が簡略化されているのと比べて、頭の部分は精緻に作られている。なお、丸い顔は美女の象徴であった。

像は比較的硬い木製で、彩色してある。

2-1 の地図(西アフリカの海岸部の部族(太字)の分布地図)で、ガーナの中南部、象牙海岸に近いところにアサンテ族という表記がある。

(高さ33cm。1996年、オランダ・アムステルダムのウォーターループレインの蚤の市で買う)

7-1:ナイジェリアの「少年の面」

この面には、まるでウサギのような尖って大きな耳が付いている。その耳から延びた布らしきものが、頬かぶりのように下りてきている。祭りごとなのか、戦に赴く姿なのか、どちらであろうか。

像は木製で、黒いのは地色である。

(高さ21cm。1992年、英国・ロンドンのポートベローの蚤の市の「場外」(本来の市が終わった先)で買う。一般には、昔の植民地の縁で、西アフリカのフランス語圏の国々から来た面はフランスに多く、東アフリカの英語圏の国々の面は英国に多い)

8-1:(出所不明の)「着飾った丸顔の面」

なんという鮮やかな飾りだろう。色とりどりのビーズのほか、まるで金箔のような三角形の飾りまで纏っている。アイシャドーも金色だ。

面は木製で、彩色してある。飾りは、象嵌細工のように、はめ込んである。



右下の拡大写真で見られるように、ビーズは、精緻に埋め込んである。4つあるビーズの色も、ちゃんと計算されて配置されている。

たいへんな手間をかけて作られた作品というべきであろう。

(高さ13cm。1992年、オランダ・アムステルダムの骨董屋で買う。昔の植民地の縁からいえば、西アフリカの国々から来たのかもしれない)


8-2:(出所不明の)「着飾った猿の面」

この面は、胸部まであり、全体は盾の形をしている。写真の左下に見えているが、首から下の衣装部分も精緻な造りになっている。

しかし、衣装が精緻に出来ているのと違って、顔の部分は、あまりにも落差が大きい。顔は真っ平らだし、眼は、単に丸い穴が開いているだけで、なんの表情も窺えないし、色も朱色一色で塗りつぶしてある。

口も、人間をかたどったにしては、形がへんだ。つまり、この面は人面ではなくて、猿か類人猿を表したものではないだろうか。

だとしたら、上の8-1の丸い面も、鳥の顔のようにも見えてくる。 あるいは4-2のザイールの面も、もしかしたら猿のような動物であろうか。

面は木製で、彩色してある。

(高さ35cm。1998年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う。昔の植民地の縁からいえば、西アフリカの国々から来たのであろう)

【追記:2017年11月に日本で買ったアフリカの面】
8-3:(出所不明の)「昼と夜で表情が違う面」


日本のフリーマーケットで、不思議なアフリカの面を買った。探鉱技師だった父君が南アフリカに滞在中に買って、遺品の整理に売りに出したものだという。

これは昔の祭祀に使ったものではなく、あきらかに近年、観光客向けに作られたものだ。また、出所も「多分、アフリカ」という程度で、よくは分からない。

顔にかぶる面ではなくて、「背景」があり、壁に飾るものだ。しかし、明らかに昔の面づくりの伝統を引いているもので、唇が厚く、頬骨が高いアフリカに住む人々の特徴が出ている。

最後は目の細かいヤスリで仕上げてあるようで、仮面の顔の表面は、驚くほど平滑に出来ている。

作りもとてもいい。硬くて重い木を使っていて、重さは2kg近くもある。

不思議なことに、目の下の部分が裏まで抜けている細長い穴があいている(左の写真は裏面)。

この穴が、この面を暗いところに置くと、この面全体が寝ているように見える(下の写真)。つまり、目を開けた「昼の顔」と、目を伏せた「夜の顔」の両方を表現している面なのである。

不思議といえば、これ以上不思議なものはない面である。

(高さ32cm。2017年11月、東京都練馬区のフリーマーケットで買う)

 


9-1:パプアニューギニアの「おどけた面」

木製の仮面を作って祭事に使ったり、飾りにする習慣は、アフリカに限らず、世界中にある。

これは、パプアニューギニアの面である。パプアニューギニアは驚くほど多くの部族が独立に暮らしている「国」だから(それが「国として成り立つものかどうかはこちらを参照)、仮面も多岐に渡っている。

この面の表情は、悲しみや怒りではあるまい。驚愕でもなく、たぶん、上の1-6のような道化の面ではないかと思われる。一見不要なようだが、じつは部族にはなくてはならない役回しなのであろう。

この面は木製で彩色してある。面の表情も、絵の具の種類や塗り方も、アフリカの面とは、ずいぶん違う。木は、ごく柔らかい木だ。

(高さ40cm。1997年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)


9-2:パプアニューギニアの「戦士の憂いの面」

この面は同じく木製だが、彩色はしていない。上の面よりは、ずっと硬い木だ。

眉間に刻まれた深い皺、高くてまっすぐ通った鼻、意志の強そうな口、それでいて憂いを含んだ眼。この面は戦士の面に違いないと、私は思っている。

(高さ46cm。1997年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)

9-3:パプアニューギニアの「戦死者の面」

この面も柔らかい木を使った面だが、上のものと違って、鮮やかな彩色がされている。また、眼にはタカラガイがはめ込まれている。

パプアニューギニアの多くの部族は、顔にこのような色を塗って祭事を行っている。かつては頻繁に行われた部族の存続を賭けた闘いや、女性を取り戻すための闘いに赴いた姿である。この面にはめ込まれた貝の目は、死者の目に見えるが、違うのだろうか。

(高さ41cm。1996年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)

9-4:パプアニューギニアの「鳥人の面」

これはパプアニューギニアの本土の東北にある Sepik (セピック)川中流地方の Tambaum (タンバウム)村に住む部族が作った面である。

この鼻。この眼。見るものに恐怖心を与えるための面であろう。鳥をかたどった人というべきであろうか。パプアニューギニアの祭りも、鬼面人を驚かすような飾り付けや衣装が多い。ほとんど、秋田のなまはげの世界なのである。

右と左下の二つの仮面は私が持っているものではなくて、東京国立博物館(東洋館)の展示から。右の面は鼻の形や楕円形の顔の輪郭、額の形、それにつり上がった眼がよく似ている。左下の面は、鼻の形の反り方が違うが、形は、とてもよく似ている。これらはニューギニア島北東部(現パプアニューギニア、セピック川流域)で、20世紀の初頭に作られたものだという説明が付いている。

私が買って持っている20世紀末に作られたであろう仮面のほうが、現代風のデフォルメが進んでいる、というべきなのだろう。

(左上のものは高さ39cm。1994年、ニュージーランド・ウェリントンで買う。右と左のものは国立博物館所蔵。2014年2月に撮影)

9-5:パプアニューギニアの観光客向けの面

パプアニューギニアの面も、「観光資源」として商売になることが気づかれ出していた。右と下の写真は首都・ポートモレスビーにある店「PNG Art」で売られていた面の数々。

治安がよくないこの首都では、商店街にあるこの店に歩いていくのは危険である。このため、たとえ歩ける距離でも、車で行かなければならない。

ホテルの目と鼻の先で襲われたとしても、ホテルの警備員は決して助けてくれない。警備員の契約はあくまでホテルの構内だけだし、ときには、警備員が強盗とぐるのことさえあるからである。

私たち外国人は、町を歩いて買い物をしてもいけないと言われていた。もし、どうしても買い物がしたければ、ホテルの塀のような高い塀に囲まれた、つまり他の商店から隔離された、大きくて特別な商店にだけは行ける。

しかしこれは普通の買い物とは言えないだろう。その塀の中に車を滑り込ませて、もちろん鉄の門を閉め、その車を待たせている間だけ、買い物をすることができるのである。

このような「制約された」買い物客しかいなくても、観光客向けの商売は細々ながら行われていた。

そこで売られているパプアニューギニアの面は、たしかに伝統的な装いをまとっている。しかし、本当に神事に使われたものとは微妙に違って、観光客、とくに欧米からの観光客に「媚びた」風情が、そこここに滲んでいる。

(1996年、パプアニューギニアの首都・ポートモレスビーの店「PNG Art」で)

 


9-6:パプアニューギニアの「ひょうたんから作った仮面」

パプアニューギニアには、木彫りの他の面とは違って、「ひょうたん」から作った面がある。

ひょうたんは1万年もの栽培の歴史がある人類最古の栽培植物で、多くの場所で土器よりも古くから生活用具として使われてきた。丈夫で軽い、液体を入れられる、という特長を持つひょうたんは、アフリカ原産だが、世界で広く栽培されるようになった。大きなものは人の背くらいもある。日本でも縄文時代の遺跡からひょうたんの種子が見つかっている。

これは上の観光客に買って貰うための面ではなく、土俗的な儀式に使われていたものらしい。それなりに品があって、出来がいい。人間が持つある面を昇華させた妖怪として秀逸なデザインと言うべきだろう。

よく見ると、額の部分だけが左右非対称になっている。なぜだろう。

(顔の丸い部分の長さは約20 cm。2015年11月、東京国立科学博物館「世界のヒョウタン展」で)

9-7:パプアニューギニアの「抽象芸術、その1」

パプアニューギニアにも、上の9-1や9-3のような大味なものばかりではなくて、上のアフリカの3-1や5-1のような細かい細工の木彫りがある。これがそのひとつの例だ。

全体のフォルム、眼のまわりの念の入った刻み、胴体や鰭の装飾。愛らしい唇。これは具象芸術を昇華した、ほとんど抽象芸術というべきものだろう。

パプアニューギニアの本土の東北に離れているニューブリテン島のラバウルで買った。比較的柔らかい木を彫ったもので、白いところには、貝がはめ込んである。

(長さ16cm。1996年、パプアニューギニア・ラバウルで買う)


9-8:パプアニューギニアの「抽象芸術、その2」

パプアニューギニアのカメの木彫。カメを知り尽くして、なおここまでデフォルメできるのは、芸術的な才能であろう。要所要所には、上の魚と同じように、7色に光る貝が埋め込んである。

上の魚と違って眼のまわりが素っ気ないわりには、足の付け根や尻尾の先には、念の入った刻みが施されている。一方、甲羅の模様は具象というよりは抽象だ。省くところは省き、必要なところだけは過不足なく表現している。

パプアニューギニアの本土の東北に離れているニューブリテン島のラバウルで買った。黒檀かマホガニーのような硬い木を彫ったものだ。なお、腹側(裏側)にはなんの彫り込みもない。

(長さ26cm。1996年、パプアニューギニア・ラバウルで買う)


9-9:パプアニューギニアの「具象芸術」

しかし、パプアニューギニアの「抽象芸術」としての木彫りが優れているといっても、それは具象芸術としての「腕」が優れていないことを意味しているわけではない。

あたかもパブロ・ピカソが「青の時代」などに優れた具象的な作品を造ったあと、抽象芸術の花を咲かせたように、優れた具象芸術の腕があってこそ、抽象芸術が優れたものになるのであろう。

このワニはパプアニューギニアのラバウルで、私が滞在中に、現地の火山観測所の技官が半年間にわたった(海底地震計の)共同観測の餞別として彫ってくれたものだ。鼻の先から、尻尾の先まで(ワニの体長に沿って)60cmを超える大作である。

この木彫りには、ワニをふだんから見なれているものにしか分からないディテールまで、じつに細かく表現されている。リアリズムが凄い。そして、一方で、背中の模様などは、それなりに抽象化されているのが興味深い。

この種の「確かな木彫りの腕」が、パプアニューギニアには綿々と受け継がれている。その「腕」の上に、上の9-5や9-6のような具象的な木彫りが造られているのである。

(長さ43cm。1997年、パプアニューギニア・ラバウルで餞別として造って貰う)


9-10:フィジー諸島のワニ。これも具象芸術だが。

同じワニでも、南太平洋のフィジーで作られている木彫りは、パプアニューギニアのものとは、大分、違う。

この木彫りにも、ワニをふだんから見なれているものにしか分からないディテールがある。背中、腹、尾、脚。それぞれが忠実に表現されている。

しかし、パプアニューギニアのワニのような凄みのあるリアリズムは、ここにはない。殺すか、殺されるかの鋭い部族対立が続いていて殺伐としているパプアニューギニアとはちがって、南海の楽園というのにふさわしかったフィジーでは、木彫りのワニも、人間にとっての、よき「隣人」なのであろう。

しかし、最近のフィジーは、いろいろな問題が噴出している。世界のどこにも、楽園はなくなってしまったのであろう。

なお、このワニも、上のパプアニューギニアのワニも、腹側には雌の生殖器が彫られていることが共通しているのは興味深い。

(長さ37cm。体長は39cm。1973年、フィジー諸島スバで買う)


10-1:フィジー諸島の「王の面」(観光みやげ用の複製)

これは、南太平洋のフィジー諸島の面。貝から取った白い模様を象嵌細工のようにはめ込んであるのは、海の民らしい細工である。

上のアフリカの面とは、唇も、目の「表情」も違う。なお、この面は王冠をかぶっている。強い意志を感じさせる唇を持ち、それなりに気高い顔をしているというべきだろう。

(高さ33cm。1973年、フィジー島スバで買う)


11-1:カリブ海ハイチの「あまりにも貧相な面」

アフリカの面も、そして多くの地域の面も、喜怒哀楽の感情を表したり、あるいは威厳を示したりするためのものに違いない。いわば、魂がこもっているのである。

しかし、この面は、それらの面と違って、なんと貧相な顔つきをしているのだろう。鼻筋が通っていないのは、もしかして民族性かもしれないが、目や口の表情は、なんともなさけない。眼に力がなく、頬に表情がない。

木製でニス(樹脂)を塗った面だ。

どんな気持ちで作られて、どんな用途に使われた面か、私にはわからない。祭事にも、強い個性を発揮してくれては困る「その他大勢」が必要で、そのための面であろうか。

(高さ18cm。ハイチの首都ポルトープランスで買う)


12-1:サラワク(マレーシア・ボルネオ島)の「仁王様の面」とケランタン(マレーシア)の「身内が見た東洋人の面」

同じ木製の仮面でも、東南アジアに来ると、どこか日本の面に似てくる。左は日本の寺の入り口にある仁王様の顔に似ているし、右下は能面や、あるいはひょっとこの面に似ている。

このふたつの面はマレーシア・クアラルンプールの国際空港のロビーに民俗文化の紹介として展示してあったものだ。

左はボルネオ島(マレーシア。サラワク州)で儀式に使われていた面だ。Kayan mask といわれる。高さ38cm、幅26cm。つまり、顔を十分覆うほど大きい。

しかし、上のアフリカの面と比べると、なんと人間的な表情に乏しいのだろう。泣く子も黙る恐ろしさだけを訴えている日本の仁王像の顔と、無表情という意味では、そっくりである。

この12-1のふたつの面だけは、この頁のほかの木彫と違って、私の持ち物ではない。感情に乏しく、魂がこもっているようには見えないので、この種のものは、買う気がしなかったのである。


右はマレーシア。ケランタン州で演劇と音楽と踊りがミックスされた演芸のコメディアンに使われていた面だ

喜劇ゆえ、顔を全部覆ってしまうのではなく、口の表情を見せたり、聴衆に明瞭な発音を聞かせることが必要だったのだろう。ナマの口を見せるというのは、この頁に出している、どの面とも違った特異なものだ。

アフリカやパプアニューギニアの面と比べると、顔の造作や表情が、なんとも日本的、というよりも東南アジア的、なのが興味深い。上の3-1が「東洋人以外が見た典型的東洋人」なのに対して、こちらは「身内が見た東洋人」なのである。

なお、タイと国境を接するマレーシア北部のケランタン州の州都コタバルは第二次大戦中の南方侵略を始めた日本軍が1941年に最初に上陸したところだ。

最近、コタバルには日本軍が残した「傷跡」を展示する「第2次世界大戦博物館」が作られ、同国の生徒や一般人に歴史を語り継いでいる。日本人は忘れても、現地の人々は忘れていない。

(ともに2009年5月、マレーシア・クアラルンプールの国際空港ロビーで。なお、右写真の赤いものは仮面を置いてある台である。)


13-1:北極海の「牙彫り」

どちらが先か分からないが、木彫りのほかに、動物の牙や骨を彫る「芸術」もある。

たまたま手許にある材料を使ったことは同じで、ただ、入手できる材料の大きさや堅さから、自ずから「芸術」が違ってくる。

動物の牙や骨を彫るものには、象牙が有名だが、セイウチやトナカイなど北極海の動物の牙や角を彫った「作品」が各地で残されている。

これは、セイウチの牙を彫ったもので、材質が硬いから、木彫りのように大きな凹凸を造る代わりに、全体の形を生かして、こみ入った絵を彫り込んだものだ。

全体は鳥の頭を擬している。牙の形を生かして、嘴と鋭い目と頭部と羽根が、じつにみごとに表現されている。

それと同時に、北極海で行われている原始的なクジラ漁のありさまが、左右両側に描かれている。

貴重な蛋白源であり、油や骨やヒゲまで残すところなく使えたクジラは、北極圏に住む人たちにとって、大事な獲物だった。

もちろん、大きなクジラを、冷たくて荒れる北極海で、描かれているような小さな舟と原始的なモリで仕留めるのは、命がけの冒険でもあったに違いない。

この牙には「1850年、北極海で取れた」と英語で書いてある。

私はこの牙をオランダ・アムステルダムの有名な蚤の市 waterloo plein の古美術商から買った。もともと誰が造って、どうしてアムステルダムまで流れてきたものかは、残念ながら、売り主は知らなかった。

それゆえ、サーメやエスキモー(エスキモーと呼ばれるのを嫌がるカナダのイヌイットも、エスキモーと呼ばれてかまわないグリーンランドのエスキモーもいる)の製作になるものかどうかは分からない。もし、お分かりの方がおられたら、お教えいただければ幸いである。

この彫り物はほとんどむくで、ずっしりと重く、重さは400グラムもある。これを二本、顔につけて歩きまわっている海獣は、それなりにたいへんに違いない。

しかし、いずれにせよ、欧州の蚤の市には、なんでもある。私の知り合いのノルウェー在住の地質学者はロンドンの蚤の市で、マンモスの歯を二束三文で買った。ロンドンの売り主には、マンモスの歯は、たんに、形の悪い石にしか見えなかったに違いない。

アムステルダムのこの売り主は、額縁に入っていない藤田嗣治の猫の絵を売っていたことがある。売り主が差し出してくれたルーペで見ると、猫の毛の一本一本が極細の筆で描いてあった。生涯、(芸術家ではなく)Artisan(職人)にすぎない、として批判を受け続けた藤田嗣治ならではの筆使いに感心したことがある。

(長さ15cm。1980年代に、アムステルダムで買う)


魂の詩・アフリカの仮面(その2)はこちらへ

アフリカの部族とその芸術についての知識は、部族の分布地図を含めて、ラスキン父子のweb米国・アイオワ大学のwebに多くを教わりました。



島村英紀のエッセイ「アフリカの仮面との出会い」
島村英紀のエッセイ「アフリカの仮面の”眼”」
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