島村英紀『長周新聞』2021年1月1日(金曜)号。

自由を失った日本の科学の凋落

 2020年、日本はノーベル賞を逸した。いくつかのテレビ局が発表の瞬間の中継を狙ったが、空振りに終わった。

 1901年から始まったノーベル賞の100年あまりの歴史の中で、日本は非欧米諸国の中で最も多い28名の受賞者を出している。21世紀に入ってからでは、自然科学部門の国別で日本は米国に続く世界第2位のノーベル賞受賞者数だった。

 もちろん、ノーベル賞には否定的で厳しい評価もある。狙って獲るものだという話もある。また、白人優先はあるだろう。しかし、2020年はゼロだったことが象徴しているように、これは日本の科学の凋落ぶりを示している。


 日本の大学の理系の論文数が、2000年ごろから伸びが止まって、その後落ちてしまった。他方、世界では質の高い論文の本数がこの20年で世界的に増加していて、米国や中国の論文数が飛躍的に伸びている。「質の高い論文数を示す国別世界ランキング」で日本は2000年の4位から2016年は11位と急激に落ちた。


 2016年に発表された中国の論文数は約43万本で、約41万本だった米国を抜いた。日本は2015年にインドに抜かれ、2016年は中国、米国、インド、ドイツ、英国に続く6位だ。米国は中国に抜かれた領域も多い半面、生命科学分野の大半などで首位を堅持していて約20年前から一貫して全領域で上位5位以内に入っており、トップレベルの研究力を維持している。


日本は約20年前は83領域で5位以内だったが、最近は18領域に減少。首位はなく、2領域での3位が最高という現状なのだ。従来、日本が強いとされてきた化学や材料科学でも徐々に上位論文の割合が減少している。


 その間に、中国は2015〜2017年の同ランキングで理系の151研究領域のうち71領域で首位を占めている。これから中国はノーベル賞の獲得数でも多くなるに違いない。


 日本の科学の凋落には、いくつかの理由がある。

 ひとつの大きな要因は2004年にすべての国立大学が一斉に独立法人にされたことだ。国立大学を運営する予算である運営交付金も年々減らされ、10年間ごとに13%も減額された。自分で金を稼ぐこと、つまり外部資金を導入することが大学にとって不可欠になってきているのである。これは多くの基礎科学分野にとってのつらい制約だ。


 また、経営陣を大学外部から招いたほか、学内の教官たちによって選ばれた学長候補をさしおいて天下り官僚が学長になったところもある。


 そもそも、科学のための金が、付け焼き刃でしかなく、しかも、いまの日本の政治と直接に結びつきやすくなったことが日本の科学の凋落の大きな理由でもある。日本の官民合わせた研究開発費総額は、2007年度以降、17兆〜19兆円で推移していて10年以上横ばいで増えていない。他方、企業の儲けは内部留保に向かい、研究開発に投じられていない。研究開発費のうちで政府負担割合は日本はわずか15%で、主要国から大きく引き離されている。


 たとえば2014年に木曽御岳で戦後最大の火山被害が出た。63人の死者・行方不明者が出たのだ。その直後、政府は慌てて、火山研究に金を出すことを決めた。典型的な付け焼き刃である。

しかし金だけつければいいものではない。


 日本中で火山研究を積極的に研究している科学者は、じつは両手の指で数えられるくらいしかいないし、大学で火山学を専攻しているところも、せいぜい数カ所しかない。私立大学にはまったくない。気象庁にも、火山の大学院教育を受けた職員はほとんどいない。陸上の火山の1/7が、陸地の面積の0.28%に集中しているという火山大国・日本はお寒い現状なのである。


 金を出すことそのものには反対ではないが、これは根本的に改善すべき教育の方針そのものの問題である。急に水だけやっても植物が育つわけではない。


 火山学研究には限らない。人口当たりの修士・博士号取得者が、主要国では日本だけ減っている。日米英独仏中韓の7カ国で人口100万人当たり取得者数では修士号の取得者数は、中国で2008年度比1.6倍、フランスで1.3倍などで、日本以外は増加しているのに、日本だけが2008年度比0.97倍の570人と減っている。博士号も同じ傾向で、日本の博士号取得者は2006年度をピークに減少に転じている。

 政府は2015年度から「安全保障技術研究推進制度」を導入した。国の防衛分野の研究開発に役立つ基礎研究を民間企業や大学に委託、金を出す制度だ。公募は防衛装備庁が提示する研究テーマに沿っている。防衛装備庁は基礎研究が主体と主張している。

 2020年度には応募は120件で、そのうち21件の研究課題が採択になった。2020年は企業や公的研究機関が応募したために応募件数総計だけを見ると過去最多になったものだ。大学の採択は2つだ。玉川大学と情報セキュリティ大学院大学である。このほか、海洋研究開発機構や理化学研究所などの国立研究所が入っている。


 軍事目的のための科学研究を行わない方針の日本学術会議といくつかの大学は、この防衛分野の研究に反発している。このためもあって大学の応募は2015年度には半数以上の58件が大学からの応募だったのに、2020年度は9件に減少している。大学からの応募は年々減少傾向で2016〜2019年度でも23、22、12、9になっていて、じり貧状態だ。


 しかし研究者は、そもそも金、つまり研究費に飢えている。独立法人化や減らされている運営交付金という環境の中で、研究に使う研究資金が年々高騰しているので、数年前よりはずっと研究に使える金が減っているのだ。「どこからの金でも良い、貰えるならば」からは紙一重なのである。


 この「安全保障技術研究推進制度」には金がほしい研究者の足元を見ている。“研究者版経済的徴兵制”だという指摘もある。しかし、喉から手が出るほど欲しい金であることも事実なのである。


 日本では考えなければならないことがある。それは短期的な付け焼き刃ではなく、長期的な視点で底上げを図ることだ。

 欧州などいくつかの国では大学は無償である。たとえばノルウェーやアイスランドは無償だ。デンマークにも無償教育があり、18歳以上の学生、または18歳未満で高等教育を受けている学生に対して毎月の給付金を支給している。アルゼンチン、ブラジル、キューバ、チェコ、ギリシャ、ハンガリー、トルコ、ウルグアイなどは無償だ。2013年からはエストニアも無償の高等教育の提供を始めた。全員が無償で大学教育を受けられる。


 これは大学の無償化は「国力」だという考え方によっている。まさに「国力」で、将来への投資としては、もっとも有望なはずである。


 ところで日本では2019年5月に大学などの学費を無償化する「大学等における修学の支援に関する法律」が成立した。2020年4月から大学生に対する支援策が始まる。この政策は「大学無償化」として議論されてきたが、実際には低所得層に限定した支援策だ。全員が無償で大学教育を受けられるという、欧州その他の国々で導入されているような施策とは大いに違っている。


 ないよりもマシだが、私のいう本筋ではない。

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 この記事


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